T-Timeファイル石井久恵 作品集表紙に戻る

 連載を一年間でうまく収めようと思っていたのに、文章量の調節に失敗して、11ヶ月で終了してしまった。新作の構想もあるが、新年からにして、息抜きのようなエッセイを書いてみる。このコーナーでの久々のエッセイなので、何を書こうかとテーマを選び、絞り込んでいるうち、そもそも「テーマ」とは何かという難題に突き当たってしまった。
「テーマは何ですか?」
 そんな問いかけが、聞こえてきたのだ。
 先日、こじゃれたレストランで友人とのランチととっていると、隣りの席の声が耳に飛び込んできた。
「この間の『グリーン・マイル』観た?」
「テレビでしょ? 観た、観た。でもイマイチね。トム・ハンクスはいいけど」
「うん、テーマがね……刑務所の話だもん」
 テーマが刑務所……?!
 私は一瞬耳を疑い、次の瞬間、立ち上がって抗議したい衝動を押さえるのに苦心した。盗み見ると、臨席には女性が5人、本日のおすすめランチを食している。
『グリーン・マイル』は原作も読み、私はかなり気に入っていた。スティーブン・キングの小説には、映画化されてたものが多い。だがヒットするかどうかは、必ずしも小説の人気に比例しない。モダン・ホラーと位置付けられたキングの数々の作品は、そのほとんどに、読者を日常から徐々に非日常へ誘い込む独特の手腕が発揮されている。作中かなり細密な描写をし登場人物の真情が手に取るようにわかる書き方をするため、世界中のどの読者も、読み進みながら同じ体験をしていくのだと、評価した一文を読んだことがある。同時に、頭の中に作品のイメージが描写と伴って出来上がってしまうから、作品が映画化されたとき、小説のファンは映画に違和感を感じ、小説はいいが映画はだめだと感じるの場合があるそうだ。映画『グリーン・マイル』の場合、キング特有の毒気がかなり抜かれているが、ある程度原作をなぞっている。原作のおもしろさを踏みにじって……と怒るほどのことはない。さて臨席から聞こえる話を組み立ててみると、どうやら彼女等は、作品の舞台が刑務所だったことが気に入らないらしい。きっと設定が気に入らないあまり、作品の根底にあるテーマには思いが至らなかったのだろう……彼女達の名誉のため、寛大な解釈をして、私は憤怒を押さえた。
 テーマねぇ……自分も食事をしながら、頭の片隅で思考をもてあそんでいると、目の前の友人がこんな話をした。その人は防衛関係の仕事をしていて――またまた、お耳新しい話題で恐縮だが、話の進行上ご理解願いたい――防衛庁が刊行する雑誌に、第2次世界大戦中の硫黄島での激戦について、執筆を依頼されたという。硫黄島での戦闘は、悲劇性も強い上に特異なエピソードも多い。ただ戦いの経緯を書くだけでなく、できればその場にいた人々にまで思いを馳せたい、と考えるのは自然の成り行きだ。そして書き進めていると、予定の文字数をはるかに越えてしまったそうだ。どこをどう削ろうかと迷ううち、困り果てたその人は、「そちらでいいようにまとめてください」と編集者にゲタを預けてしまった。出来上がってみると、人間ドラマや執筆者の感想・意見などの部分がかなり削除され、戦闘経緯の紹介に近いものになっていたという。書いた本人は、上手く納めてくれたことには感謝したが、なんとなくテーマが薄れた気がして、釈然としなかったそうだ。書きたかったテーマは記録の羅列ではなかったのだ。
 私の場合は「そちらでいいようにまとめてください」といったのに削除されず、そのまま掲載されたことがあった。そしてその次以降は増えたままの文章量が定着した。これが繰り返されて、気が付けば頁は増える一方である。
「内容が認められたわけだ。それだけ書ければ、テーマもいろいろ盛り込めるでしょう?」友人は言う。
 嬉しく有り難いことに違いないが、これはこれで大変で、墓穴を掘ったと反省している。
 編集者が使う場合は、この問いには微妙な違いがある。編集担当者は最初の読者だから、その第一号が作品に目を通したあと、「で? テーマは?」と聞かれるようでは作者は悶絶ものだ。「あの編集ったらバカだから、この高邁なテーマが理解できないのだ」と嘯(うそぶ)いたところで、不採用なら、仕方がない。
「テーマは何ですか?」
 そういえば自分が訊ねられた事もあった。かつてブロック紙に「私の織田信長」と題して随想を連載していたら訊ねられたのだ。
 毎回読んでいますとか、あるいは、何だあれは! という言葉なら、返答のしようもある。だがテーマは?と訊ねられると、答えに窮する。そもそも、随想連作形式だったし、執筆にも不慣れだった。書き始める前、産みの苦しみを人並みに経験した後「信長への形を変えたラブレターにしよう、中止になったらなったで構うものか」と、開き直ったのだ。あからさまな信長賛美はしないが、読後、信長とその時代が少しでも伝わればいい、ぐらいに思っていた。だが、わざわざ聞かれるとは、いくら勝手に書いているとはいえ、それほどにメッセージ性がないのかと、自分の力不足に脱力した。
 何を書きたいのか、さっぱりわからん、と言われたような気がした。でもまあ、そんなことを言う人も、一人くらいはいるだろう、連載中止にはならなかったし、案外、皮肉ではなく、親近感からつい出た台詞(せりふ)かもしれないと考えて、自分を納得させた。
 テレビや雑誌で作家や映画監督をインタビューする記者が、作品に対し「今回の作品のテーマは?」と質問をぶつけるシーンをよく見かける。月並みな質問だがあれは納得できる。クリエイターの生の声をそのまま使おうと思っているから分かっていても聞くのだ。作家のほうも、くだらん質問だと思っても、単刀直入にメッセージをPRできるから、それなりに答える。読者が著者に聞く場合とはニュアンスが違う。もし映画監督が、映画を見終わった人から、「作品、観ました、テーマは何ですか?」と面と向かって聞かれたら、さぞショックだろう。
「テーマは何ですか?」
 自分から問い掛けたこともあったことが思い出された。編集の立場として、相手が絶句するのを覚悟で、この「テーマは何ですか?」の質問を、描き手に投げかけた事がある。歴史漫画特集本の編集をしていたころだ。この本はアマチュアに広く作品募集をし、かつ“今一歩”の作品は添削して完成度を上げ、掲載に結びつきえようという、かなり手間のかかることをしていた。ちょっとしたアドバイスや手直しで、かなりレベルを上げられる作者もいたが、反面、考え直して、全部描き直したほうがいい作品なのに、なかなか、それに気づかない作者もいた。そんなときに、禁句に近い、その台詞を使ったのだ。さて、その返答がまた、いかにもである。幕末を描いていた一人は「テーマは新撰組です」と言い、戦国時代を手がけた人は「川中島の合戦です」と答えた。
「そうじゃないでしょう? 青春群像を描きたいとか、戦いの中での人の運命とか、そのへんに本当のテーマがあるんじゃないですか?」
 余計なことかもしれないと思いつつ、言ってみる。
「それはそうですけど……」と作者。
「なら、そういうテーマが伝わるように書かなくちゃ」
「でも、それだと規定のページじゃ足りないんです。ページが増えてもいいんでしょうか」
 聞いたほうが悶絶する。こんなふうでは千ページあってもテーマは浮き彫りに出来まい。文字数に余裕があれば、かなりのものが描けるのは事実だが、投稿では難しい。規定に入りきらないテーマなら、初めから練り直さなければならないはずだ。
 戦史、あるいは歴史を描く場合、年表や公式記録でない限り、どんなに記録に忠実に描いていても主観が入る事は免れない。その主観こそがテーマだと、私は思う。サイコな作品でもホラーでも、テーマは“恐怖”ではない。短い怪談の中にさえ、根底に流れるものがある。作者にとってテーマは、メッセージに近い。
 テーマとは何か?
 簡単なようで深遠だ。辞書を紐解いてみると、Themaはドイツ語で、主題だと説明している。主な題目、その文章・作品の中心になる内容、音楽では中心となる旋律、とあった。現実にはテーマという単語は、人生のテーマ、テーマある旅行など、もっと広い意味で使われる。テーマは何かとのい問いには、必ずテーマとは何かという疑問がセットになっている。
 他人への問いかけより、むしろ自分に対して使う場合のほうが多いかもしれない……そう考えると、人に対して「テーマは何か?」と問い掛ける時、あるいは問い掛けられる時に感じる違和感が納得できる。テーマはまず自分で自分に問い掛けなければならないものだろう。そしてもし、自作に対してテーマは何かと問われたら、誰にでも納得できる答えを用意できなくてはなるまい。
 さて、こうした自ら見出した教訓を心に刻みつつ、自分がものを書いている最中、いつ、「テーマ」が現れるか、思い出してみた。適当に書きたいことを書けばいいと開き直っていた昔と違い、今は多少はこれでも考えている。
 執筆前はまだ「こんなことを書きたい」と思いつき、表現のための題材を並べるが、テーマは姿を見せてはくれない。執筆の最中は、あえてテーマを気にかけない場合が多い。完成に近づき、「自分はなぜこんなことを書きたかったのか」と振り返ったあたりで、テーマがやっと顔を出す。そんなプロセスがあるように思う。実際には、執筆はゴール目前なのに、テーマは何かと自問すれば、頭と尻尾と手足がバラバラの鵺(ぬえ)だったりもする。もともと鵺にしようと目論んだのならいい。しかしそうでないなら、予期せぬ出現をした妖怪には退散願うほかはない。
 そうテーマは妖怪だ。在ると断言したとたんに胡散(うさん)くさくなる。ストーリィの水面下に在るか無きかのそこはかとない姿を漂わせ、ライトが当ったとたんに見えにくくなる。
 現在、新作に取り組みながら、自分自身にしきりに問いかけを始めているところだ。
「ところで、テーマは何ですか?」


Copyright(c): Hisae Ishii 著作:石井 久恵

◆ 「テーマは何ですか?」の感想

*石井久恵さんの作品集が、文華別館 に収録されています。
*光文社が一般公募していた「奇妙におかしい話」(阿刀田高選、文庫457円)に石井さんの作品が入選、収載されています。


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