亜木冬彦&赤川仁洋 作品集表紙に戻る

※10年ほど前に友人のHPに書いたエッセイを改稿&再編集しました。



《 前編を読む 》


 墓参りをすませて“通り過ぎる”つもりが、結局、実家には2泊してしまった。 会うたびに、両親は確実に老いている。
 8月17日から、旅行は再スタートだ。8時53分、備後庄原駅で芸備線の上りの列車 に乗った。30分ほどで終点の備後落合に到着、その列車は折り返しで三次行きとなる。うまいぐあいに、ホームの端に立っている安全確認ミラーに列車が映っていたので、写 真のモデルになってもらった。

 備後落合からターミナル駅の新見まで出た。姫新線の鈍行ダイヤは相変わらずズタボロで、伯備線を使うしかない。しかし、新見に着いたのが11時13分で、岡山行 きの始発が11時15分、わずか2分の乗り換え時間しかないのだ。伯備線のホームまで、全力で走った。ホームが離れているので、階段を上り下りしなければならない。 爺ちゃん婆ちゃんも、懸命に走っていた。
 発車のベルが鳴り終わっても、乗客全員が乗り込むまで、車掌さんは扉を開けて待っていてくれた。でも、それなら最初から発車時間をあと3分ぐらい、後ろにずらせないものだろうか。あるいは、芸備線の到着時間を少し早めるか。どうせローカル線なんだから、3分ぐらいはどうにでもなると思うんだけどな。時刻ダイヤには、不可解なことがたくさんある。
 岡山には 12時35分着、昼飯を食べるために駅の構外に出た。駅前のアーケードの入り口に、うらぶれた感じのうどん屋を見つけて、中に入った。性格なのだろうか、少し小汚い店の方が寛げるような気がする。
 注文したのは、きつねうどんとおにぎりのセット。大阪以西に行くと、無性にうどんが食べたくなる。地域によって、味が明らかに違っている。大阪のうどんは、麺の腰が強くておつゆに塩気が効いている。広島のうどんは鰹ダシが基本で、麺がやわらかい。岡山のうどんは、その中間ぐらいだろうか。どのうどんもそれなりにおいしいのだが、やはり一番しっくりくるのは、馴染んだ広島のうどんである。
 13時21分の電車で、岡山を立った。姫路、米原、大垣、豊橋と乗り継いで、ひたすら東に向かった。会社の夏休みは、明日で終わってしまう。今日中に距離をかせ いで、できるだけ東京に近づいておくつもりだった。
 電車の中では、ずっと文庫本を読んでいた。乗り物の中での読書は、いつもすぐ に目が疲れてしまうのだが、今回ばかりは小説の面白さがそれを凌駕している。デ ィック・フランシス、恐るべし! 『骨折』という長編サスペンスで、例によって英国の競馬界を舞台にしているのだが、相変わらず物語の構成と人物描写 が抜群に うまい。乗り換えで中断するのがもどかしいぐらいで、浜松に到着する前に読み終 えてしまった。旅の友は、上質のエンターティメントが一番だ。
 浜松に着いたのは、20時38分だった。で、乗り継ぎの静岡行きが20時39分発、わずか1分しかないが、番線が隣り合わせの同じホームなので、伯備線のときのようなあわただしさはなかった。でも、電車はかなり混んでいて、坐れなかった。座席にあぶれたのは、今回の旅行では初めてだ。それでも、2駅ばかり立っていただけで、運よく前の席が空いた。
 それからいくつかの駅を通過したときだった。ぼんやりしていたので駅名はわからないが、大勢の若者たちがどやどやと乗り込んで来た。その半分以上はカップル で、女の子は華やかな柄の浴衣を着込んでいる。夏祭りでもあったのだろうか。目の前に立った女の子は、下駄 の鼻緒の下に傷絆創膏を貼っていた。ふと、隅田川の花火大会のことを思い出した。7月の終わり頃、浅草の親戚 に招かれて、屋上で隅 田川の花火大会を見物した。その帰りの電車の中で、同じようなカップルの“群衆”と遭遇した。
 いきなり歓声が上がった。みんなの視線が、いっせいに窓の外に向けられている。何事だろうと、私もすぐに後ろを振り向いた。花火だった。真っ暗な水面 (みずも)の上に、色とりどりの閃光が大輪の花を咲かせている。電車の進行方向からみて、 あの水面は浜名湖だろうか。
 窓ガラスに、浴衣姿の女の子が映っている。うっとりした表情で、長身の男の肩に寄りかかっている。花火が打ち上げられる度に、まるで嘆息のような歓声が口から漏れた。花火の輪は次第に窓の片隅に追いやられ、やがて視界から姿を消した。こうして、夏の日も過ぎて行く……。
 21時35分、焼津に到着。これで青春18きっぷは、3回分の役目を終えた。駅の2階にある改札を出て、左手にあるラーメンショップで遅い夕食。本当は米の飯が食べたくて、いったん駅の外に出てみたのだが、食べ物屋がある雰囲気ではなかった。 戻って来たときには、そのラーメンショップも後片付けをしている最中だった。おばちゃんに頼み込んで、ようやく食事にありつけた。ゴマラーメン 610円也、物珍しさで注文したが、味噌に磨り胡麻の風味が溶け込んで、なかなかの味だった。
 駅から歩いて2、3分で、焼津駅前健康センター到着。受付の女性に言われるままに、自販機で2,000円の入浴券を買った。パンフレットには、午後10時からは1,300円に割引されると書いてあった。時計を見ると、すでに10時を回っている。不審に思ったが、宝塚のカラカラテルメのように、お盆期間の特別 料金なのだ ろうと気持を納得させた。
 ロッカーで着ているものを脱いで、すぐに浴場に向かった。まず、風呂ありきだ。純和風の造りで、下町の銭湯の豪華版といったところだろうか。泉質はナトリウム、 カルシウム高温泉、かなり塩辛い。海辺の温泉は、海水を沸かしたような所が多い。 正直、あまり好きなお湯ではない。海水浴のあとのように、体がベタつくような気がする。わたしが山間地の生まれだというのも影響しているのだろうか。
 ここのもう一つの売り物は薬湯だ。漢方励明薬湯と命名された浴槽に近づくと、猛烈な漢方薬の臭気がただよってくる。とくに、桂皮のにおいが強烈だ。泥のような色のお湯にしばらく浸かっていると、肌がカッカと火照ってくる。とくに、粘膜の部分に直撃だ。唐辛子を大量 に入れているのか、ジリジリと焼けるような感覚が襲ってくる。お湯から出たあとでも30分ぐらい、その感覚は抜けなかった。
 浴衣をはおって、2階に行った。仮眠室はどこだろうと襖戸を開けたら、座卓の脇で毛布を被って寝ている婆さんの姿が目に入った。奥まった場所では、テレビが 騒々しい音を響かせている。その前に、小柄な婆さんが一人、まるで置物のように ちょこんと正座している。
 飲食用の座敷が、夜になると仮眠室に化けるらしい。座卓の上には、ポットや湯飲み茶碗、お品書きなんかが置かれたままだ。細長い座布団が、そのまま敷布団になる。先客の婆さんにならって、座敷の片隅に積んである毛布を2枚、確保した。1枚をたたんで、枕の代用にする。毛布は毛羽だっていて、汚れが目立った。引っ 越し屋が使っている家具の防除用の毛布の方が、まだマシなぐらいだ。
 うつらうつらしているうちに、消灯時間になった。テレビの画面はすでに消えて いて、置物のような婆さんの姿も消えていた。客がまばらだった座敷も、いつの間にか八分目ぐらい埋まっている。夜間用の薄暗い明かりの下で、苦しそうな咳払いが聞こえてきた。まるで悲鳴のような、哀しい音だった。体は疲れているはずなの に、なかなか寝付けなかった。
 あの婆さんたちは、どうしてこんな所で夜を明かしているのだろうか。こんな汚い毛布にくるまって、何を考えているのだろうか。眠りながら、どんな夢を見るのだろうか。それとも、もう夢を見ることもなくなってしまったのか。
 老いということが、いつの間にかそれほど遠い存在ではなくなっている。20代の頃は、40歳の自分の姿など、想像することができなかった。今は、老人になった自分の姿が、おぼろげながらも見えている。ただし、生命力がそんなに逞しい人間ではないと自覚しているので、老人になるまで長生きできるかどうかは甚だ心もとないのだが……。
 翌朝の6時頃、チェックアウト、深夜の延長料金は1,000円だった。そのとき、受付の貼り紙に初めて気づいた。午後10時以降の割引料金のことがちゃんと書いて ある。今さらそのことを持ち出す気はなかったが、後味の悪さが残った。入場するときに、確認しなかった、いや、確認できなかった自分のひ弱さが情けない。
 海を見たいと思っていたので、健康センターのパンフレットに載っている地図を頼りに、海岸線を目指した。歩いて5分ほどで焼津港に到着、大小さまざまな漁船が停泊している。盆休みの期間なので、漁を休んでいるのだろうか。それとも、す でにひと仕事終えたのか。漁師さんらしい日焼けしたおっちゃんが、錆だらけの自転車に乗って、悠然と通 り過ぎて行った。

 パンフレットの地図に載っていた「虚空蔵さん」の文字が気にかかって、そこまで足を伸ばしてみることにした。虚空蔵菩薩を本尊とするお寺のことだろう。仏像には昔から興味があった。虚空蔵菩薩は、光をそそぎ雨をもたらす虚空、つまり天の恵みを仏格化したものだ。限りない福徳と知恵が授けられるという、欲張りな者にはたまらないホトケさんなのである。
 住宅街を抜けた先に、赤い頭巾を被った6体のお地蔵さんが、まるで道案内でもするかのように並んでいた。参道の入り口に立ててある看板に、「香集寺」の来歴 が記載されていた。弘仁6年(815年)、弘法大師の開基と伝える真言宗の古刹。本尊の虚空蔵菩薩は聖徳太子の作で、日本三虚空蔵の一つとされている云々。弘法大師と聖徳太子という日本史の二大スターの共演だ。いささか胡散くさくはあるが、こうした故事来歴はありがたく受け入れるに限る。
 鬱蒼とした森の中へと続いている参道に足を踏み入れた。しかし、参道というよりも山道だった。石ころだらけの急な登りに、早々に息が上がった。いくら登っても、境内が見えてこない。限りない福徳と知恵は、簡単には手に入らないということか。ようやく朱塗りの山門の前に出たときは、両足のふくら脛がワナワナ震えて いた。
 整備された石段をどうにか登り切って、後ろを振り返った。木立の間から、眼下に駿河湾が一望できる。焼津港の堂々とした漁船が、まるで小さな貝のように見える。こんな所まで登って来たのかと唖然とした。そして、その贅沢なご褒美をしばし楽しんだ。汗ばんだ肌の上を、潮風が通 り抜けて行く。聞こえるのは、覆い被さるような蝉時雨ばかりだ。

 境内の賽銭箱に小銭を入れ、両手を合わせた。すでに福徳をいただいているので、あまり欲張らない。まずは、健康第一だ。聖徳太子作の虚空蔵菩薩は、秘仏なのか、残念ながら廟の扉の中だった。
 頂にある境内の回りを一周してみると、裏手に下りの道を見つけた。興味を引かれて、その道をたどってみた。ちょうど、山門の反対側に出た。眼下に、巨大なシャベルで削り取ったような崖が続いている。大崩(おおくずれ)海岸、駿河湾のもう一つの顔だ。荒々しくて男性的な景観だった。海の色さえ違って見えた。
 そのまま迂回するように山路を進むと、山門の下の参道に合流した。下りの道は足が速い。登りの苦労が嘘のように、思いのほか早くお地蔵さんたちに再会できた。 そのあと、海水浴場のある砂浜や河口堰を散策、適当な食べ物屋がみつからなかっ たので、朝食はコンビニのパンですませた。さすがに歩き疲れて、河口堰の堤防のそばに腰を降ろして、買って来たアンパンを頬張った。一筋の飛行機雲が、水彩 絵の具で掃いたように、真っ青な空に滲んでいた。
 あちこち寄り道したので、焼津駅まで戻って来たときは、9時半を過ぎていた。夏休みは今日1日だけだ。とにかく、小金井の自宅までたどり着かねばならない。12時2分の東海道線の上りの電車で焼津を出発、富士で途中下車した。そのまま真 っすぐ東京を目指した方が早いのだが、それではつまらない。最後に鄙びた温泉に立ち寄りたいと思った。頭に浮かんだのは、「1万円の旅」で行った山梨の岩下温泉だ。あの岩清水のような冷泉に浸かりたいと、真夏の日差しで火照った体が訴え ている。
 富士に着いたのが10時40分、甲府行きの始発電車が10時46分で、申し分のない乗り継ぎだと思っていたら、身延線が不通 になっていた。踏み切りでトラックが脱輪しているらしい。やれやれ、だ。また、東海道線に戻ろうかとも考えたが、もはや 頭の中の冷泉のイメージを追い払えない。とことん待つつもりでいたが、35分ほどの遅れて電車はスタートした。
 鈍行という言葉がふさわしい電車だった。富士から甲府までの間に、37の駅がひしめいている。その多くが、無人駅だ。身延山の裾野をかすめるように、大きく湾 曲して下部温泉を通り、中央線の甲府に連絡する。2時間半近くかかった。特急だと1時間45分足らずだが、青春18きっぷは使えない。特急券の他に、乗車券まで買わねばならない。この辺りが、青春18きっぷの弱点だろうか。
 甲府駅のホームの立ちそば屋で遅い昼食、もちろん、そばを食べた。電車に乗る前に、岩下温泉に電話で確認すると、残念なことに今日は月曜日の定休日だった。 塩山温泉の宏池荘に電話してみると、ありがたいことに営業していた。中央線の塩山で途中下車、歩いて15分ほどで宏池荘に到着。「1万円の旅」でも書いたが、旅館とは別 に外来専門の施設が隣接している。料金は300円で、銭湯よりも安い。沸かし湯の浴槽で温まってから、25度の源泉に浸かった。張力のある鉱泉が、火照った肌をやさしく包んでくれる。夏は冷泉が一番だ。
 15時48分の立川行きで塩山を出発、終点で乗り換えて東小金井駅に着いたときは、17時半を回っていた。これで青春18きっぷは、4回目の役目を終えた。駅からの帰路の途中、うちの奥さんとばったり顔を合わせた。甲府で電話を入れておいたので、駅まで迎えに出るつもりだったらしい。なんだか、ずいぶん長い間、家を空けていたような気がした。明日から、また、いつもの生活が始まる――。
 これで夏休みの旅行は終わりだが、あとでかかった費用を計算してみた。青春18きっぷの11,500円を入れて、全部で34,000円足らず。ちなみに、いつものルートを使って帰省したときの往復の交通 費が34,040円(新幹線利用、広島駅経由、乗車券往復割引使用)。意識したわけではないのだが、同じぐらいの金額になった。


 さて、青春18きっぷはまだ1回分、残っている。利用有効期間は、7月20日から9月10日まで。日帰りで、どこかの温泉に行って来ようと思った。せっかくの乗り放題の切符なのだから、近場ではつまらない。しかし、あまり欲張って遠出すると、日帰りできなくなってしまう。時刻表と旅行雑誌をあれこれ調べて、ようやく目的地が決定した。
 出発したのは9月6日、まだ夏の暑さがそのままデンと居坐っている。早朝の6時前の電車で東小金井駅を出立、終点の高尾まで出た。すでに6時15分発の松本行きが、同じホームの反対車線で待機している。電車の扉の脇にある長椅子型のシートを確保した。一人旅のときは、いつもこの座席を狙う。足を伸ばせるので、くつろげるのだ。わたしはさして体が大きい方ではないのだが、それでもボックス席は窮屈に感じられる。体の大きな人は、拷問に等しいのではないか。
 電車が走りだすのを待って、持参のアンパンとジュースで朝食をすませた。それから、文庫本をバッグから取り出した。今回の旅の友は、早川書房の『宇宙英雄ロ ーダン・シリーズ』の最新刊。ドイツのSF小説界の重鎮たちがプロジェクトチー ムを組んで、同じテーマで書き継いでいる大宇宙叙事詩だ。初刊を読んだのは高校生のときだった。以来、20年以上も新刊が出るのを楽しみにしている。今回で233刊目だ。松谷健二氏の簡潔で歯切れのいい訳文が、わたしの文章修行のお手本だった。氏にファンレターを出したときの返信が、わたしの宝物になっている。便箋の代わりに、絵はがきの裏面 に万年筆で達筆な文字が書かれていて、それが封書に入っていた。
 読んでいて、面白い記述をみつけた。大型宇宙船が異銀河に進出する35世紀の世界を描いているのだが、「写 真を現像する」という表現が出てくる。原作が書かれたのは20年以上も昔のことだSF小説の大御所も、デジタルカメラの出現は予見できなかったのだろう。使い古された言葉だが、現代はすでにSFの世界に入っている。
 終点の松本で乗り換えて、長野に着いたのが10時37分。JRの改札を出て、駅前の地下にある長野電鉄に向かった。ダイヤがうまく噛み合わず、駅の周辺をしばし散策して時間を潰し、11時20分発の特急に乗り込んだ。40分余りで、終点の湯田中に到着。JRではないので青春18きっぷは使えないが(乗車券は1,130円)、特急券がオール100円というのがありがたい。駅前からさ らにバスに乗って10分足らず、『渋温泉入口』で降車した。渋温泉は1200年前、僧行基が全国行脚のおりに発見したという古い湯治場だ。
 川沿いのバス通りから、旅館や土産物屋が居並ぶ旧道に入った。湯上がりの肌のような薄桃色のタイルが敷き詰めてある。射的屋の前で足が止まった。薄暗い店内に人気はなく、まるで骨董品のような時代遅れの景品が、未だに台の上で頑張っている。あんな大きな射的を、コルク玉 なんかで撃ち落とせる人がいるんだろうか― ―、子供の頃の疑惑を証明しているようなのものだ。奥まった場所には、スマートボールのゲーム台がいくつか並んでいた。
 店構えの大きな土産物屋を選んで、店内に入った。地元の手拭い(300円)と温泉饅頭を買って、土産物屋のおばちゃんに共同浴場の鍵を貸してもらった。渋温泉には、共同浴場(外湯)が九つある。旅館の宿泊客は無料、日帰り客でも土産物屋で買い物をすれば、浴場の鍵を貸してもらえるシステムになっている。今回の目的 は、その九つの外湯巡りだ。すべてのお湯に入れば、九(苦)労を流し、不老長寿などの御利益がある。「一浴十年」(一度外湯に入ると10年長生きする)とも言われている。

 土産物屋で余分な荷物を預けて、まずは近くの蕎麦屋で腹ごしらえだ。靴と靴下 を脱いで、用意してきた下駄に履き替えた。蕎麦屋を出たのが12時半過ぎ、いよいよ外湯巡りのスタートだ。ここで、土産物屋で買った手拭いの出番となる。「信州渋温泉巡浴祈願」と染め抜かれた下に、一番湯から九番の結願湯までの名前が書いてある。入浴する度に、名前の下に印判を押して行く。手拭いの包み紙に、外湯巡りの地図が載っていた。
 まず、一番湯の初湯から。手拭いの包み紙には、胃腸の湯と書いてある。九つの外湯は泉質が微妙に違っていて、それぞれの効能が異なるらしい。神社のような軒先に、男女別 の扉が設けられている。印判の場所を示した看板の上には、小さな仏様を安置したミニサイズの祠が掲げてある。その脇には、賽銭箱まで用意してあった。仏様に両手を合わせ、手拭いに最初の印判を押した。

 男湯の扉の鍵を開けて、中に入った。鍵は一つだけで、すべての外湯に共通 する。 扉を閉めると、自動的に鍵がロックされる。2畳ほどの脱衣室の奥に、6畳ほどの 浴室があった。使い込まれた板張りの床が心地よい。浴槽は入りやすいように、その床下に切ってある。歴史ある湯治場らしい心配りだ。
 先客がいた。50年配の二人組が、お湯が熱いとさかんにこぼしている。試しに指先を浸けてみると、まるで熱湯のようだ。どんどん水をくべたが、なかなか湯温が 下がらない。先客は諦めて、早々に次の湯に向かった。一人が壁を隔てた女湯の方に声をかけると、元気のいい声が返ってきた。どうやら、夫婦で巡浴しているらしい。
 わたしの方はしばらく粘って、どうにか湯船に体を沈めることができた。しかし、1、2分でゆで蛸のように茹だってしまった。大汗をかきながら、次の湯に向かった。 下駄を用意したのは大正解だが、欲を言えば洋服ではなく、浴衣姿で歩きたいものだ。
 二番湯は、笹薮から噴き出た温泉なので、笹の湯と呼ばれている。効能は「慢性 湿疹、腺病質他、諸病快復期効能アリ」と書かれている。当然ながら、初湯で顔を合わせた二人組と再会した。浴室や湯船は初湯よりもかなり小さめだが、お湯は温めでちょうどいい温度だった。
 狭い湯船に一緒に浸かっていると、自然と言葉を交わすようになる。東京から来 たと聞いて、正直、驚いた。木訥な風貌から、地元の人だとばかり思っていた。奥さん同伴で山登りに来たのだが、天候が不安なので温泉巡りに切り替えたのだとい う。今日の天気予報は雨だったが、どうやら外れらしい。曇天ながらも、雨の降る 気配はなかった。 「全部のお湯に入りたいので、お先に失礼します」と声をかけて、わたしの方が早く二 番湯を切り上げた。土産物屋のおばちゃんは、一日で全部の外湯を巡るのは難しいと言っていた。のんびり浸かっていては、途中で湯あたりしてしまう。
 三番・綿の湯(切り傷、おでき)、四番・竹の湯(慢性通風他)と巡浴して、五 番・松の湯(軽度の脊髄病、神経症、諸病快復期)の浴室に足を踏み入れたときだ。 豊満な乳房が、いきなり目の中に飛び込んできた。女湯と間違えたのかと一瞬、青くなった。しかし、すぐに男性もいることに気づいた。
「どうぞ、遠慮なさらずに入って下さい」
 初老の男性に促されて、浴室の奥へと歩を進めた。50年配の夫婦が二組、いずれも奥さんの方の体の動きがぎこちない。そのとき、五番湯の効能を思い出して納得した。わたしに声をかけてくれた男性が、奥さんの麻痺した右足にお湯をかけて、入念に揉みほぐしている。やさしくも力強い手の動きに、真摯な祈りが込められている。 湯船に浸かりながら、夫婦とはかくありなんと心に銘じた。

 六番・目洗の湯(眼病他)、七番・七操の湯(外傷性諸障害、諸病快復期)、八番・神明滝の湯(中枢及末梢麻痺、婦人生殖器の慢性諸病他)、最後の結願湯・渋大湯(神経痛、リュウマチ、諸病快復期、痔病他)と湯船を独占できた。あとで土産物屋のおばちゃんに聞いた話では、外湯が混雑するのは夕方の4時頃からだという。ちょうど宿泊客が到着する時間帯だ。
 大湯には、脱衣所の奥に蒸し風呂まで備えてあった。渋温泉を代表する名湯だけに、脱衣所も浴室も広々としている。湯質はやや白濁した弱食塩泉で、これが絶妙の塩加減だ。上品な澄まし汁くらいの塩気、と書けば、イメージにかなり近いだろうか。
 これで、九(苦)労をすべて流し去り、結願湯のそばにある石段を登って行った。温泉街を見下ろす渋薬師庵で最後の受印、これで巡浴手拭いが完成した。僧行基が 刻んだという薬師如来に向かって両手を合わせながら、厄年になったらまた来よう、などと考えていた。石段を降りるときに、腕時計の時刻を確認した。14時半になるところだった。

 これで青春18きっぷをすべて使い切ったわけだが、あらためて乗車したJRの営 業キロ数を計算してみた。括弧内は、通常の普通乗車料金だ。

1回目:錦糸町から三田、宝塚       603.7キロ(9,350円)
2回目:西ノ宮から福山、塩町、備後庄原  310.7キロ(5,250円)
3回目:備後庄原から新見、岡山、焼津   694.4キロ(9,870円)
4回目:焼津から富士、甲府、東小金井   252.9キロ(4,310円)
5回目:東小金井から長野(往復)     562キロ (9,240円)

 通常運賃の総計は38,020円、青春18きっぷ11,500円の約3.5倍になる。青春18きっぷは、春、夏、冬の3シーズンに、期間限定で販売されている。今度は、違う季節に旅立ちたいと思っている。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


◆ 「青春18きっぷの旅」の感想
(掲示板)
合い言葉は「ゆうやけ」

*タイトルバックに「Gallery DORA 」の素材を使用させていただきました。
*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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