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 清水由貴子さんが亡くなった。かつてのアイドルであり、著名人ということで、マスコミで大々的に取り上げられている。病身で老齢の母親の介護に疲れての自殺、というのが報道の大筋である。不謹慎を承知で書けば、珍しくもない事件なのだが、当事者が有名人ということで、介護の現場の悲惨さが、あらためてクローズアップされている。
 と、書き始めたのはいいが、そのあとで草薙剛の酒乱・ストリップ事件が発生、現役のトップアイドルのスキャンダルに吹き飛ばされるように、清水由貴子さんが死をもって提示した介護問題は、ぱったりと報道されることがなくなった。正直、酔っぱらってストリップをやらかす御仁はたくさんいて、“酔虎伝”や“武勇伝”として、笑い話ですんでしまう話なのだが、弱った獲物を狙うハゲタカのように、マスコミが群れている。「まったく、テレビってやつは……」と、久米宏の番宣のセリフでも呟きたくなってくる。
 ハゲタカも喰わねば死んでしまうので、それも仕方のないことか。視聴率という怪物は、一般 大衆の性根が産みの親なれば、我もハゲタカの同類である。今は、新型インフルエンザのニュース一色で、これは本物の脅威なので当たり前か。当初は、メキシコの死者の数に驚かされたが、本当に新型のインフルエンザが原因で死亡しかたどうか疑わしいということになって、今は大幅に数が減らされている。早く、過去の話題になってほしいものだが、ゴールデンウイーク明けの帰国ラッシュで、国内でも患者が発生すれば、ますます騒ぎは大きくなりそうである。
 せっかくの機会だから、介護のことを少し書いてみようか。わたしが母親の介護のために帰省したのが、5年余り前のことだ。くも膜下出血で緊急手術、老齢なので成功は難しいだろうと執刀医に脅かされたが、どうにか生還、1年足らずの入院を経て自宅に帰って来た。入院中はほとんどしゃべることがなかったのだが、帰宅して安心したのか、会話ができるようになった。今は、独り言をいうほどのおしゃべりである。しかし、介護認定はいちばん重い要介護5の寝た切りで、未だにその状態は続いている。
 北朝鮮のロケットの話題がニュースでさかんに報道されていた頃、母親が口癖のように言っていたことがある。「ロケットがここに落ちてくれれば、すぐに楽になれるんじゃが」。その願い叶わず、北朝鮮のロケットは日本上空を通 過して、その破片が落ちてくることもなく、母親は4月に無事、83歳の誕生日を迎えた。
 今の話題は、新型インフルエンザである。母親は、「みんなの犠牲になって、わたしが死ぬ 」、そう言い張っている。母親が感染したら、家族も危ないのだが、運命論者である母親の真意は、誰かが死ななくてはならないのなら、そのさだめはわたしが進んで引き受けます、ということなのだろう。
 本人がいちばんシンドイということはわかっているが、生きることがシンドイ人の面 倒を看るのも、かなりシンドイ。自宅介護の現場は、あらためて書く必要もないことだが、悲惨の一語である。希望がまったく見つからない。一日一日を懸命にもがいて、踏ん張って、辿り着いた終着駅には、さらなる悲しみが待っている……、いや、そうした感情すら喪失してしまっているのかもしれないな。
 老いることは、悪いことではないはずだ。病気になることも、仕方がない。老いが原因の病気であれば、予防することも困難だ。誰も悪くないのに、みんなが暗澹たる情況に陥っている。社会福祉が整備されていないせい? もちろんそれもあるのだろうが、もっと根元的な問題であるような気がする。人間が思考力を得て、動物の世界から抜け出たときから、介護の問題は存在するようになった。動物の場合は簡単である。老いて弱った個体は、自然に淘汰される。小説や映画で有名になった「楢山節考」の姥捨て伝説を持ち出すまでもなく、老人問題、介護問題は昔から存在した。ただ、人口増加、高齢化社会になって、顕著になっただけである。
 ちなみに、現在でも姥捨て山は存在する。介護を専門とする病院に勤めている友人に聞いた話だが、親を入院させたあとで、その保護者である家族と連絡が取れなくなることがあるという。当然、入院費の支払いもなし。あるいは、入院費は払っても、まったく見舞いに来ない家族もいる。
 暗いことばかり書くようだが、介護を始めた当初は、こんな後ろ向きの気持ではなかった。張りつめた気持で、使命感を持って、母親の世話をしていた。思い返せば、短距離のようにがむしゃらに走っていたのだろう。介護は、永遠に続くマラソンのようなもので、ゴールがまったく見えてこない。そして、ゴールを予想することも、ゴールを望むことも許されない過酷なレース。紙オムツの糞尿のにおいが部屋や体に染みつくように、澱のような灰色の疲労感がたまってゆく。清水由貴子さんのように、途中棄権したくなるのも当然である。
 生命維持装置という医療機器をご存じだろうか。現代科学、医学の進歩で、自力では生命を維持できる能力がなくなった人でも、機械の力を借りて生き続けることができるようになった。それで、臓器移植が可能になった。脳死という概念が新たに生まれて、脳が再生不能の状態に破損した肉体は、死体だと定義される。反対に、脳が機能していれば、生者である。今度は、尊厳死の問題が発生した。
 事故に遭遇して、意識を取り戻したときには、生命維持装置につながれていた。意識や思考力はあるが、自分では指一本、動かすことができない。こんな状態では、生きていても仕方がない。しかし、死を望んでも、自力ではどうすることもできない。生命維持装置の停止を要求するが、それに応えるかどうかは難しい問題である。
 介護を続けていると、自分が生命維持装置になってしまったような感慨に囚われることがある。自分が、あるいは家族が面 倒を看なければ、母親は生命を維持することはできない。本人が生きたいと願っているのであれば、生命維持装置の存在意義もある。反対に、本人が生きる希望を失っているのであれば……、こんなことを考えてもしょうもないのだが、自分の存在が、そのおためごかしの行為が、反対に本人を苦しませている、辛い思いを長引かせているのではないかという罪悪感、いや、違うな、徒労感だろうな。自分も老いを感じ始めて、そんなに多くは残されていないであろう人生の後半生の貴重な時間を費やして、おれはいったい、なんでこんなことをやっているんだろうなどと、考えてはいけないことを、つい考えてしまっている。介護にはタブーがやけに多いのだ。
 やはり、愚痴になってしまった。今まで、介護の話題を敬遠してきた理由でもある。しかし、母親の介護のために帰省したことを、後悔したことは一度もない。病床の老親を見捨てておくことができるほど、わたしは強くない。たとえ、それまでの東京での生活を継続していたとしても、気の小さい自分が、その罪悪感や親戚 の非難に耐えられるわけがない。お気楽に、勝手気ままな暮らしを続けることなどできるわけはないのである。どちらもハズレ籤だが、両方を天秤にかけて、少しでも楽な方を選択した。肉親の愛情というよりも、打算なのだと自覚している。

 願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
 室町から鎌倉時代にかけて活躍した漂泊の歌人、西行法師の有名な歌である。その望み通 りに、春爛漫、桜の咲く満月の日に、西行法師は入寂したと言われている。4月に、義父が亡くなった。87歳だった。千葉で行われた通 夜に駆けつけたときに見た月が、見事な満月だった。斎場に入る前の桜並木が満開で、送迎のバスの中で思わず歓声が上がった。
 半年ぶりに再会した奥さんの、細くなってしまった背中に、よく頑張ったねと、心の中で声をかけた。これからも、残されたお義母さんの支えにならなくてはならない。
 季節の変わり目である木の芽時は、気温の変化が激しく、体力のない老人には鬼門である。父親も体調を崩した。一時は、このまま寝込んでしまうのではないかと心配したが、どうにか身の回りのことができるまでには持ち直している。しかし、今までは調理担当だった父親に代わって、わたしが台所に立ったり、レトルト食品や弁当などでどうにかしのいでいる。長兄とわたし、父親の三人でどうにか維持してきた介護のトロイカ体制は、あっけなく崩壊した。
 会社の厚意で、来月から介護休暇をもらうことになっている。といっても、支給される給付金は給料の4割で、期間も93日分だけ、失業とほとんど変わりはない。
 これも打算の選択、とうそぶく元気はないが、仕事を辞めて自分の時間が増えるのは、楽しみではある。マラソンの長い長い下り坂は、これからが本番なのかもしれない。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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