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 三八(サンパチ)豪雪という言葉がある。昭和38年の豪雪、正確には昭和37年の冬の豪雪なのだが、38年1月の被害が甚大だったために三八豪雪と呼ばれている。新潟県長岡市では318センチの積雪を観測し、全国で死者が228名という大災害になった。わがふるさと、広島県北でも比婆郡高野町(現在は庄原市高野町)が雪のために道路が封鎖され、食料品をヘリで空輸するという非常事態となった。
 ちなみに積雪量のギネス記録は11メートル以上、文字通り桁が違うが、場所は日本の滋賀県で1927年に伊吹山で計測されている。日本は世界有数の豪雪地帯だと言えるが、世界には観測していない、いや、観測できない場所での積雪量がもっと多い所は他にあるのかもしれない。
 それで、書こうと思ったのは今年の冬のこと。冷え込みがきついし、雪が降るのが早い。多くの人がそんな印象を持っている。
 気になる記事を読んだ。今年は黒潮の大蛇行とラーニャ現象が同時に発生しているらしい。これは三八豪雪のときと同じ。平成17年にも同じことが起こったようだが、その年の冬も大雪になっている。因果関係が科学的に証明されたわけではないだろうが、今年の冬は雪が要警戒である。暖冬で毎年のように雪不足であえいでいた県北のスキー場にとっては朗報か。ただし、あまり積もりすぎると道路が封鎖されて、元の木阿弥になってしまう。
 どら書房で出しているミニコミ誌「県北どらくろあ12月号」の編集後記で、「寒いと部屋の中で本を読む人が増えて本が売れる、いや、本屋まで出かけるのがしんどいので本が売れない……。さあ、答えはどちらでしょうか(苦笑)」と書いた。正解は「出かけるのがしんどうので本が売れない」、のつもりだったのだが、12月に入って売上が伸びている。
 ネット販売の方はそこそこなので、店頭での売上が健闘している。「寒くなったので、外に出ないで本でも読もうと思ってね」、そう言って常連さんが本を買い溜めしてくれる。新規のお客さんも増えている、ような気がする。まあ、その反動で、またピタリと客足が途絶えるかもしれないのだが、嬉しい誤算である。ミニコミ誌による宣伝効果がようやく出てきたのかもしれない。
 今回は俳句のことを書くつもりだったのだが、つい寒さが身に染みて、季節ネタに時間を費やしてしまった。雪で一句ものにできればいいのだが、こればかりはいくら雪が降っても、アイデアは降ってくれない。
「俳句界」という月刊誌を購読するようになって半年以上が経過する。お目当ては、付録でついてくる「投稿俳句界」で、これに応募するために定期購読するようになったのだが、最初に投句したきりでさぼっていたら、今年の7月号で「恋猫よわたしを食べてくれないか」という句を夏石番矢さんが「秀逸」で採ってくれて俄然やる気が出た。現金なものである。たぶん、褒められて成長するタイプ?(苦笑)
 12月号でも夏石さんが「遺伝子のどんづまり俺カボチャ食う」を秀逸で採用してくれた。西池冬扇さんという選者も同じ句を佳作に採ってくれていて、複数の人に評価されたのはちょっと嬉しい。
 同じ12月号で夏石番矢さんが特選の第1位に採った句が「天の川忘却の河かもしれず」。うん? 首を傾げてしまった。ちょっと独りよがりのような前衛句で、夏石さんの作る句と雰囲気がどこか似ている。こういう句は苦手で、正直、好きになれない。
 特選第2位の「満月を黒々と産む川がある」、これは少しわかるが、ピントが合ってはくれない。第3位の「翼うしなひ鰯は迷子ずっと迷子」、これはいい。鰯という漢字のイメージが素直に耳目に飛び込んでくる。
 秀逸の中で「夕焼けを買物かごいっぱいに」や「銀河鉄道切符売り場はどこだろう」が印象に残った。夏石さんの作る句は好きではないが、選者としての夏石さんが選んだ句には共感できるものが多い。
 投稿俳句界では、添削教室の選者が2人、俳句トーナメントの選者が4人、兼題選者が7人、雑詠選者が16人いる。兼題とは、毎月のお題を決めて、その文字を俳句の中に必ず入れなくてはならない。漢字一字と決まっているようで、12月号の兼題は「足」だった。
 特選句の 「八月の六足す九は十五かな」にはうなった。八月の句では「八月や六日九日十五日」が有名で、発想が重複するのか、あちこちの俳誌や新聞俳壇で同じような句が投稿されている、らしい。六日の広島、九日の長崎の原爆、そして十五日の敗戦を詠んだものである。意図的に盗作したわけではないだろうが、良い句なので選者が知らないと採ってしまう。
 それで採用句だが、「六足す九」という発想がすばらしい。悲惨な出来事を重ねて終戦に至ったというイメージがより増幅されている。新たな視点を加えると、類句であってもより高みに、より深みに到達できる。俳句は本当に奥が深い。
 それにしても、採用される句は選者によってまったく違う。良い句ならば、多くの選者が採用するはずだが、重複しているのはほんの一握り。ある選者が特選に採った句を、他の選者は佳作にも入れていない。俳句は感覚、インスピレーションの藝術なのだとつくづく思う。
 12月号は本体の「俳句界」もおもしろかった。いつもであれば、広告のスポンサーである結社の親分(主催者)のしょうもない句を大量に載せているのだが、今回は年末ということで「平成俳句検証」という企画。そのなかで「あなたが選ぶ平成を代表する句」が良かった。
 アンケートで5票を集めたのが「おおかみに蛍が一つ付いていた」、作者の金子兜太は平成を代表する俳人でも25票を集めてダントツの1位。しかし、この句はこしらえ過ぎの感じがしてわたしはあまり好きではない。次点の4票を集めた櫂美智子の「一瞬にしてみな遺品雲の峰」。説明は不用だろう。東日本大震災を詠んだ句だが、この句に出会えただけでも俳句界を購入している甲斐があった。同じ作者の「いきいきと死んでゐるなり水中花」にも溜息。言葉の魔術師だ。
 自分の俳句はわがままでいいと思っている。好き嫌いの激しい素人でいいと思っている。俳句歳時記に掲載されている名句、だとされる作品も、わたしは7割以上、その良さがわからない。勉強や研鑽を重ねれば理解できるようになるのかもしれないが、そういう時間はもう残されていない……、いや、その覚悟がないのだろう。わたしにとって俳句は、楽しませてもらうだけで充分なのである。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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