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 先月に、今年の冬は大雪に注意、という内容のことを書いた。三八(サンパチ)豪雪のときと同じ、黒潮の大蛇行とラーニャ現象が同時に発生している、というデータを提示して、さも知ったかぶりのことを書いてしまったが、結果は大ハズレで、ほとんど雪が降らないままに年を越した。
 これを書いている一週間前あたりから寒波が襲ってきて、まとまった雪が積もったが、昨日今日の雨でそれも消えてしまった。もう雪はたいして降らないだろうというのが、希望を入れたわたしの予想である。雪が降れば、乏しい客足がさらに途絶える。吹雪けば店頭のガレージ部分まで雪が舞い込んで、防水シートで覆うなどの処置が必要になる。一度、濡れた本は、乾かしてもシワが残って、商品価値はがた落ち、売上がないのに余計な手間がかかる。
 本の在庫が増えているので、店頭でのセール品も増えている。1冊40円、3冊で100円の文庫本コーナーが人気で、よく売れている。一昔前のヤケやシミ、汚れで変色してしまった文庫本たちで、ほとんどがもらったりタダ同然の値段で引き取った本ばかりなので、そんな値段でも十分に利益がでる。
 なりは汚いが、世界的な文豪の名作や、流行作家のベストセラーがたくさん、とくに高木彬光の本はお薦めだ。本格派推理小説の大御所で、よく売れたのでその分、古本屋にも数多く流れてくる。今は新装版がでることもなく過去の作家になってしまっているが、いずれ再評価される、いや、再評価されるべき作家だと思う。阿佐田哲也の麻雀小説もけっこう数がある。早い者勝ちである。
 ここで、なんだかんだと愚痴を垂れ流しながらも、古本屋らしくなってきている。それは店主も同様で、古本屋のおやじらくしなってきている、ような気がする。これは自己評価なので、自惚れも多分にあるのかもしれない。一方通行を承知で毎年出している年賀状で、珍しく手紙をくれた旧友がいて、その返信で「天職を得た」などと感傷的なことを書いてしまった。情況が許されるならば、この店と共に朽ちてゆく、そんな覚悟だけはできているようだ。
 年末年始も、定休日の月、火曜日以外は店を開けた。去年の元旦は日曜日だったので店を開けていたら、初詣帰りの常連さんに、「やってたんだ」と半分呆れて感心された。今年の元旦は月曜日だったので、翌日の火曜日も含めて、ありがたく正月休みを取らせてもらった。
 年末年始で困ったのは歯のトラブルだ。左下の奥歯にかぶせた金属が外れてしまった。あわてて歯科医院に向かったが、すでに休みに入っていて、年明けの5日まで受診できない。最悪のタイミングである。
 右側はすでに下の奥歯が2本、抜けていて、部分入れ歯を使っている。違和感があってつけたりつけなかったりだが、左で噛めないのだから使うしかない。こうして齢を取って行くのだと、しみじみと思ってしまった。
 義歯を顎の骨に埋め込むインプラントという方法がある。保険が利かないので、一本当たり30万円以上かかるらしい。部分入れ歯がしっくりしないので、インプラントにしてみるかと思ったこともあるのだが、そのときの職場の同僚に話したら強硬に反対された。なんでも、知り合いの人がインプラントにして、顎の骨がガタガタになってしまったらしい。
 ネットで情報を集めた限りでは、インプラントの経験を積んだ歯科医師であれば、そんなに危険はないようなのだが、近くにその経験豊富な歯科医院がなかったせいもあり、また、古本屋という道楽に手を出して収入が細ってしまったこともあって、わたしのインプラント計画は自然消滅した。
 歯のトラブルが起きるのは、治療した歯ばかり。かぶせた、あるいは埋め込んだ金属の脱落である。そのたびに、もとの歯が削られてかぼそくなってしまう。こんなことならもっと歯磨きを丹念にして大事にするべきだったと身に染みて後悔しているが、後の祭り。
 子供のときは歯の頑丈なのが自慢だっだ。サイダーなどの金属製の栓を、自分の歯で噛んで抜いていた。今のねじ込み式のキャップではなく、ビール瓶のような金具をはめ込んだ蓋で、栓抜きが必要だった。
 学校の先生の言いつけを守って、毎晩、寝る前にゴシゴシと歯を磨いていたのだが、磨きすぎて歯茎がすり減ってしまったようだ。歯医者に行くたびに、歯ブラシの使い方を注意される。その都度、もう手遅れだと内心、憤慨&嘆息するのだが、時代と共に歯磨きの正しいやり方というやつが変化するのでめんどくさい。
 横にゴシゴシやるのは歯茎に悪いので、上下動の縦に磨けと言われていたら、それも良くないということになって、歯ブラシを歯茎と歯の間に押し当てて、振動するように動かして磨けという。ゴシゴシガシュガシュ、ガラガラぺっぺで済ませていた歯磨きが、やけに時間のかかる面倒な作業になってしまった。歯磨きをさぼるようになったのはそのせいだ。とくに、酔って帰った日は、アルコールに弱い体質もあってバタンキューである。50歳を過ぎて、回転式の電動歯ブラシを使うようになって、ようやく歯磨きの呪縛から解放された。
 新卒で入った会社が東京の日本橋にあって、近所の歯科医院に通ったときのことをよく覚えている。歯科医はかなりの高齢女性、そういう印象なのだが、なにぶん20代前半の時の記憶なので、そんなイメージが残っているのかもしれない。
 そのときの60歳はもう爺さんで、定年で隠居してもいい年齢……、そんな感覚だ。自分にとってははるか先の世界、いや、自分がそんなに長生きできるとは思っていなかった。心のどこかで、ノストラダムスの予言を信じていた。
 予言は大外れで、わたしは今月末に60歳になってしまう。純情だったということだろう。世紀末を生き延びてから、これはいかんと年金を真面目に払い始めた。
 いや、話が脱線続きだ。そのばあさんの歯医者さんが言ったことを覚えている。なんでも、虫歯を削った後にセラミックを補填して焼き付けるという最新技法があって、それだと仕上がりもきれいで長持ちする。しかし、保険適応外で、1本あたり10万円ぐらいの自己負担が必要になる。
「まあ、念のために説明しておきますからね」
 言外に、あなたにはそんな高額な治療費は払えないでしょうがね、という本音が透けて見える。まあ、実際にその通りで、すべて保険で納まる範囲でお願いした。右の下の奥歯2本に金属がかぶせられた。
 痛み止めで、笑気ガスを初めて吸った。最初で最後の体験だった。ネットで検索してみると、笑気ガスは副作用もなく現在でも歯科治療では使用されているようなのだが、小さな医院では扱いが難しいのだろうか。
 ちなみに笑気ガスの正式名称は亜硫酸窒素で、吸い込むと顔の筋肉が緩んで笑っているように見えるので、笑気ガスと呼ばれているそうだ。確かに気分が楽になって、緊張感やこわばりが消えて、だらしなく笑っていたような気がする。麻薬のように悪用されて、死亡事故が起きたりしているので、そのあたりも敬遠されている原因なのかもしれない。
「ひどいことをするな」
 後年、その治療された奥歯を見た他の歯科医の先生が憤慨してそう言った。なんでも、連結といって2本一緒に成形した金属を被せてしまっているようなのだ。どうしてだめなんですかと尋ねると、「1本だけ治療しようと思っても、これだと2本とも治す必要があるでしょ」、納得である。たぶん、保険しか使わない患者なので、労力と時間を惜しんだのだろう。結局、その奥歯2本は虫歯が進行して、何度も治療を繰り返したあげく、今は部分入れ歯になってしまった。
 つまらぬことを思い出してしまった。正月明けに歯科医院に行き、外れた歯を持参して手早く装着してもらおうとしたのだが、そんな簡単なことではないことが判明した。外れたのではなく、金属を被せた元の歯が折れている……。
 どうにか土台を作ってもらって新しい金属の義歯をかぶせてもらえることになったが、今度折れたら、もうあきらめてもらうしかないですよと脅かされている。
「才能は細部に宿る」、芥川賞受賞作家であり、後年には同賞の選考委員を長らく務めた開高健の至言である。「老化は細部に現れる」、これは還暦を目前にした古本屋のおやじの言葉。だらだらと話にまとまりがないのも老化の現れ?(苦笑)

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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