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 車に乗っていて、CDを聴かなくなったのはいつからだろう。お気に入りのジャズナンバーや中島みゆきのアルバムがボックスの中に入れてあるのに、いつもラジオをかけっぱなしにしている。山間の電波事情の劣悪な環境なので、地元のRCC放送しか入らないのだが、そのままつけっぱなしで、エンジンを始動するとラジオの音声が聞こえてくる。
 暇な年寄りが、見るとはなしに一日中、テレビの前に坐っている。それと根っこは同じかもしれない。どうせなら、好きな番組の録画や映画のDVDでも見ればいいのにと思うが、そうした熱意もない。もちろん、機械に疎いということもあるのだろうが、たとえ最新のプレイヤーが自在に操れたとしても、いつの間にかテレビをボーッと眺めているのでないか。それが再放送だったとしても、リアルタイムで世の中とつながっている、もちろん錯覚なのだが、そうした安心感がテレビやラジオにはある、そんなことを考えてしまった。 要は、自分が齢を取ったという自覚、いや、愚痴である。
 先日、ラジオから懐かしい曲が聴こえてきた。西岡恭平の「プカプカ」。昭和49年に発売されたレコードなので、わたしが高校生のときである。そのときはまったく知らなくて、初めてこの曲を聴いたのは大学一年のとき。同じアパートに住んでいた大学生が部屋に遊びに来たときに、わたしのフォークギターを取り上げて、唄ってくれたのがプカプカだった。
 当時は吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫などのフォーク全盛で、誰でも自前のフォークギターをかき鳴らして、作詞作曲をして、シンガーソングライターを気取っている時代だった。
 そのアパートは大学の委託寮で、東京・八王子市の山間部に移転した大学が、近在の農家に委託してアパートを建ててもらい、その大学の学生が入居していた。そうしなければ住む場所がないところだった。当時はコンビニもなくて、買い物をする店は農協(A-COPではない)しかない。中国山地の田舎から上京してきたわたしは、東京にもこんな田舎があるんだと唖然とした。
 入居して早々、消化器販売の詐欺にあった。「消防署から来ました」という人物から、消火器を買わされたのだ。みんな2本買うそうなのだが、お金が足りなくて1本だけで勘弁してもらった。
 左隣の住人にその話をすると、それは詐欺だと言う。「消防署から来ました」という言葉も、「消防署の方から来ました」という具合に、あとでトラブルになったときに言い逃れができるようになっている。やはり、ここは都会なのだと実感した。
 ちなみに、右隣の住人は消火器を2本、買わされていた。北海道根室の出身で、わたし同様、純朴な田舎者なのである。後年、彼の結婚式に招かれて友人代表としてスピーチしたのだが、このときのエピソードを話して大うけした。消火器一本分の価値はあったと自負している。
 昔話だと脱線続きだ。これも齢を取ったということか。プカプカを唄ってくれたのは大学の4回生で最上級生、当時の薬科大学は4年制だった。
 簡単なコードの気だるいメロディに、これまた思いっきりアンニュイな歌詞がのせられている。まだ煙草を吸ったこともないのだが、自分がプカプカと煙草をくゆらせているような錯覚を覚えた。以下、その歌詞をネットで拾って記しておく。

 おれのあん娘はタバコが好きで
 いつも プカ プカ プカ
 体に悪いからやめなって言っても
 いつも プカ プカ プカ
 遠い空から降ってくるって言う 「幸せ」ってやつがあたいにわかるまで
 あたい タバコ やめないわ
 プカ プカ プカ プカ プカ

 おれのあん娘はスウィングが好きで
 いつも ドゥビ ドゥビ ドゥ
 下手くそなスウィング やめなって言っても
 いつも ドゥビ ドゥビ ドゥ
 あんたが あたいの どうでもいいうたを 涙 流すまで わかってくれるまで
 あたい スウィング やめないわ
 ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥ

 Ah おれのあん娘は 男が好きで
 いつも ウフ ウフ ウフ
 おいらのことなんか ほったらかして
 いつも ウフ ウフ ウフ
 あんたが あたいの 寝た男達と 夜が明けるまで お酒のめるまで
 あたい 男 やめないわ
 ウフ ウフ ウフ ウフ ウフ

 おれのあん娘はうらないが好きで
 トランプ スタ スタ スタ
 よしなって言うのに おいらをうらなう
 おいら 明日死ぬそうな
 あたいの うらないが ピタリと当るまで あんたとあたいの 死ぬ時わかるまで
 あたい トランプ やめないわ
 スタ スタ スタ スタ スタ
 あんたとあたいの 死ぬ時わかるまで
 あたい トランプ やめないわ
 スタ スタ スタ スタ スタ

 人生の酸いも甘いも噛み分けた男女の歌詞である。わかるはずはないのだが、染み入るように心に入り込んできた。たぶん、こんな恋がしてみたいという憧れなのだろう。
 以来、うろおぼえでギターをかき鳴らして、プカプカの歌を唄っている。ギターを弾かなくなって、ギターを処分してしまってからも、鼻歌でプカプカと唄っていることがある。
 歌のメロディが先に作られるようになったのはいつからだろう。今はメロディに合わせて、歌詞が作られるという。歌詞が先だろうと、素人のわたしは思ってしまう。そうでなければ、プカプカのような心に染みる歌は誕生しない……、感傷だろうか。
 西岡恭三のプカプカを聴くたびに、違和感を覚える。メロディが違うのである。大学のときの先輩が間違って唄っていたのか、わたしが自己流でアレンジしてしまったのかわからないが、節回しがかなり違っている。
 ああ、なるほどな、本当はこう唄うんだな、と納得して、しばらく正調のプカプカを口ずさんでいる。しかし、いつの間にか、慣れ親しんだメロディに戻ってしまっている。それでいいのだ、と思っている。
 今回、プカプカの歌詞を検索していて、西岡恭三氏が50歳のときに自殺していることを知った。作詞家だった夫人のKUROさんの三回忌の前日だったという。トランプ占いは当たったのかな、そんな不遜なことを考えてしまった。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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