亜木冬彦&赤川仁洋 作品集表紙に戻る

前回次回

 今朝、店舗の扉を開けて外に出ると、黒い虫がひっくり返って、手足をばたつかせてジタバタしているのを見つけた。一瞬、ゴキブリではないかと警戒したが、そうではないことを確認して足を伸ばした。ゴキブリだったら、そのまま踏みつぶして……、いや、そんな勇気はないか。踏みつぶすことよりも、そのサンダルをそのまま履き続ける勇気がない。
 サンダルの先でひっくり返そうとしたのだが、コガネムシサイズの小さな甲虫なのでうまくいかない。手こずっているうちに、サンダルの先にしがみつかれてしまった。足を振ってふりほどこうとしたのだが、びくともしない。サンダルを脱いで観察すると、口の部分に小さな鍬が付いている。クワガタの雌だろうか。
 背中の甲をつまんで引き剥がそうとしたが、サンダルの縁の布に鍵足をがっしりと食い込ませて抵抗する。このまま強引に引っ張ると、手足がもげてしまいそうだ。歩くと踏みつぶしてしまうので、仕方がないので違うサンダルに履きかえた。「朝顔につるべとられてもらい水」という有名な句があるが、今までこれほど“女性”に執着されたことがないので、履き古したサンダルぐらい、貸しておいてあげよう。
 最初に店舗の扉と書いたが、薬局はもう5年も前に廃業して、自動ドアもいつの間にか故障している。故障した自動ドアは、手動よりも面 倒、というより厄介だが、店じまいしているので、お金をかけて修理する気にはなれない。取っ手がないので、透明なガラス戸の端の隙間に指先をこじ入れて、強引に引き開ける。以前は、扉を開けて新聞を取り込むのは朝の早い父親の役目だったのだが、わたしの担当になってしまった。扉の鍵を開けるのが面 倒だということもあるのだろうが、新聞に対する興味が薄れたのだろう。認知症状が出てきて、読解力が萎えてしまった。
 わたしの実家は、店舗のあるビルと、その裏手にある木造家屋に分かれている。しかし、ビルと書くのが恥ずかしいような二階建てのちんまりした建物で、わたしが物心つく頃には存在していたので、築50年ぐらいは経っているのではないか。市内で初めての鉄筋コンクリートビル、それが父親の自慢である。当時、大阪で建設業を営んでいた父親の叔父の勧めで、ほとんど材料費だけのような安価な費用で建ててもらったようだ。
 身内の仕事なれば、昨今はやりの手抜き工事などはあろうはずもなく、50年経っても健在である。しかし、老齢ゆえに雨水が染み雨漏りがするようになって、屋上には塩化ビニールの屋根を設置、それもかなり傷んできて、台風がきたら吹き飛ばされるのではないかと心配することになる。雪の重みも不安である。
 わたしの部屋は、この店舗ビルの二階にある。ほとんど物置状態になっていた応接室を整頓して占拠した。いつの間にか溜まってしまった身の回り品を収納して生活空間を確保するには、その場所しかなかった。しかし、50年前の建築である。断熱材などは使っていないで、内装はコンクリートの上に塗料を塗っただけ。真夏はコンクリートが太陽熱を吸収して酷暑になり、真冬は外の寒気がそのまま入り込んでくる。寒暖の変化が激しい盆地の気候が、それに拍車をかける。日本の気候には、やはり、木と土と紙で出来た日本家屋が適している。
 東京では、冬でも裸足を掛け布団の外に出していたわたしが、厚い靴下を穿いて寝るようになった。それでも、背中がしんしん冷え込んで寝付けないので、電気毛布を敷くようになってしまった。慣れとは怖いもので、冬場の旅先などでは電気毛布がないので、寝るときに背中が寒くて仕方がない。冷え性になってしまったようだ。
 さて、いよいよこれから暑い夏が始まる。仕事をしていた頃は、日中はクーラーが効いている職場にいたからまだ我慢できた。それでも休日の昼間は、簡保の宿のロビーや図書館、高速道路のサービスエリアの休憩コーナーなど、クーラーの冷気を求めて外に出ていた。介護休暇をとっている今は……、今後もそうだろうが、気軽に家を空けることはできない。気分は、いや覚悟は“籠城”である。
 ならば、少しでも自分の部屋の居心地を良くしようと思ったのだが、クーラーを入れるのには問題が二つある。一つは部屋が広すぎること。六畳二間分はゆうにあるだろうか。高性能で大型のクーラーが必要になる。浪人中の身にはこの出費は痛いし、使ったら使ったで、電気代も不経済だ。
 もう一つは、電源のこと。昔の建築なので、電源の電圧が低く設定されている。当時は、これほどまでに電気製品が氾濫するとは、想定外のことだったのだろう。わたしの部屋で、トースターと電気ポットを同時に使うと、それだけでブレーカーが落ちてしまう。夜半にブレーカーが落ちると最悪で、一階の奥まった部屋にブレーカーが設置されているので、その手前の部屋で寝ている父親を起こさないように、懐中電灯をもって遠征しなければならない。何度もこれをやって、辛抱たまらんと電力会社に相談、実際に視察もしてもらったのだが、電圧を上げるには大がかりな配線工事が必要だと言われて断念した。いくら省電力のエコが売りの最新エアコンでも、大型となるとブレーカーが心配になってくる。
 それで目をつけたのが、応接間の隣にある四畳半ほどの小部屋。客間用にベッドが入れてあるのだが、やはり物置と化している。わたしが応接間にあったものを押し込んだので、今は足の踏み場もないほどだ。リサイクルショップに連絡して、応接セットやテーブル、揺り椅子などの大物家具を買い取ってもらった。
 次に、剥がれたりカビが生えてしまった壁紙である。剥がれた箇所やぶよぶよに浮いてしまった部分をボンドで補修、壁紙の上から同系色の塗料をぬ って、簡単にすませるつもりだった。ペンキの匂いがこもるのが嫌なので、水性塗料を使った。これが大失敗だった。壁紙が布製なので、塗料を吸い込んでしまう。いくら塗っても、広がってくれない。塗った箇所がベトベトジトジトで、見栄えも悪いしこれでは乾くのに時間がかかってしまう。いや、その前に塗料がすぐになくなってしまう。
 癇癪を起こして、壁紙をひっぺがした。糊がついている箇所が壁にこびりついて、 斑になってしまった。まだ、糊の部分は時間をかけて擦れば取れてくれるが、ボンドで修復したところは最悪である。壁紙はこさげ落とせても、ボンドのざらざらした残骸が痘痕(あばた)のように残ってしまう。大変な作業になってしまった。
 数時間でお色直しを完了させるつもりが、コツコツと金属のヘラで壁紙を取り除いて、半月以上もかかってしまった。ガラスを嵌め込んだ大きな書棚は動かすのがしんどいので、その後ろの壁紙はそのままだ。それでもどうにか作業を終えて、ヒビのの入った部分には充填材を埋め込んで、ようやく塗装。今度はうまくいった。もともとは白く塗られていたコンクリート壁が黄ばんでいたので、淡いクリーム色を選択した。軽く塗るだけで、表面 の汚れが目立たなくなった。ボンドの痘痕も、この肌色のファンデーションで隠すことができた。すっかりあか抜けして綺麗になった壁を眺めながら、 長い時間をかけて化粧をする女性の気持がわかったような気がした。
 調度品はシンプルに、リサイクルショップで買ってきた机と椅子のセットに、今までほとんど利用していなかった布貼りのソファベット。汚れで雑巾のようになったカーテンを取り替えて、新たに購入した窓用のエアコンを自分で取り付けて完成である。ウインドウエアコンは音がうるさいというイメージがあったが、今は改善されて気にならない。
 帰省したときに通販で買ったアンティーク調のステレオを、新たな書斎に持ち込んだ。レコードとCD、カセット、ラジオが聴けるというのがウリだが、欠陥品なのかCDがうまく聴けない。市販の音楽CDは問題ないのだが、コピーしたCDはうまく読み取れない。レコードも操作が面 倒で、今まではほとんどラジオとして利用していたのだが、久しぶりにレコードをかけてみた。軽い音だが、耳にも心にもやさしい音色だ。吉祥寺の中古レコード屋に通 って、せっせと買い込んでいた古いジャズのレコードがたくさんある。
 そして、ノートパソコンを奮発した。NECの「LaVie Light」が店頭品で32,000円、ネットで見つけて購入した。ワープロとして利用するのが主な目的なので、機能は充分である。これで籠城する準備はすっかり整ったのだが、お気に入りのノートパソコンも、今はもっぱら将棋ゲームの対戦相手である。頭の中のリフォームも必要のようだ。
 さて、冒頭で書いたクワガタの雌だが、干している残飯のそばにサンダルを置いていたら、思惑通 りバナナの皮に移動して、しきりに口を動かしている。その懸命さがいじらしくて、本物のバナナをご馳走したくなったが、アブナイアブナイ、女性に甘い顔を見せると……  


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆ 「風に吹かれて(12)」の感想 (掲示板)
合い言葉は「ゆうやけ」

*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


亜木冬彦&赤川仁洋 作品集表紙に戻る