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 11月の半ばに、しばし上京した。目的は、7月に急死した次兄の遺したマンションを整理すること。わたしが代理人になって、父親が相続&名義変更を行ったのだが、このまま放置していれば、マンションの管理費や修繕積立金、固定資産税を払うだけになってしまう。それで考えたのが、賃貸での貸し出しである。ネットで、賃貸業務を請け負っている会社に見積もりを出してもらった。交渉が進んで、今回の上京時に実物を見てもらうことになっていた。
 うちの奥さんと羽田空港で落ち合って、そのまま一緒に、板橋にあるマンションに向かった。賃貸代行会社の人との待ち合わせは明日だが、その前に部屋を下見して、汚いようならある程度、片づけておくつもりだった。次兄が暮らしていた埼玉 のアパートが、煙草のヤニやにおいで惨憺たる状態だったので、もしかしたらという心配があった。板橋のマンションからの電気代の請求は、兄が死んでからも継続されている。電気を止めていないのなら、マンションの方をセカンドハウスとして利用していた可能性がある。
 もう一方で、期待もあった。兄の内面が伺える何かを見つけることができるのではないか。埼玉 のアパートにあったのは生活臭ばかりで、それ以外の、例えば兄がどんなことを考え、あり余る自分の時間をどう過ごしていたのかを知るような具体的な手がかりは皆無だった。独身男には必須アイテム(?)のエロ本の類さえ、見つからなかった。
 夕闇が早くて、目当てのマンションを見つけるのにかなり時間がかかった。下り坂が急なので、昔は武蔵野の渓谷だったのかもしれない。たどり着いてみれば、白いタイルの外壁の瀟洒な建物だった。谷間の底の土地に建てられているので、4階のフロアに玄関がある。兄の部屋は、その4階にあった。
 ドアの鍵を開けて、玄関にある配電盤の電気のブレーカーを上げた。蛍光灯で室内が照らし出された。安堵と共に、わたしは失望した。ワンルームのフロアに、生活の痕跡はほとんどなかった。ほぼ改装したままの状態で、部屋は放置されていた。壁紙は真っ白なままで、部屋を閉め切りにしていたせいか、カーペットの上を歩いても汚れは感じられない。
 窓際に、数少ない荷物がまとめて置かれていた。パソコン用のデスクとチェアのセット、それに折り畳み式のベッド。すべて、購入時の梱包されたままの状態だった。配達伝票が貼り付けてあったが、平成17年の日付だった。その傍らに、小さな薄型テレビとノートパソコンが、カーペットの床にそのまま置かれている。このテレビはスイッチが入ったままだったようで、ブレーカーを上げたときに、いきなり人の声が響いて驚かされた。ノートパソコンの中身を確認したが、これといったデータは何も見あたらなかった。
 兄がこのマンションを購入したのは、4年半以上も前のことだ。パソコンデスクやベッドを購入しているので、このマンションを手に入れたのが利殖目的ではなく、自分が住むため、あるいはセカンドハウスや仕事部屋として使うつもりだったのは間違いない。それが、どうして心変わりしたのか? 何かトラブルがあったのだろうか?
 兄の性格を考えれば、なんとなく想像はできる。兄がマンションを買ったのは、自分だけのシェルターを造りたかったのではないか。埼玉 のアパートは、所詮は借り物である。家主の都合で退去させられる可能性もあるし、家賃が払えなくなれば、出て行かなくてはならない。ワンルームとはいえ、一国一城の主となれば、そこは自分だけの世界である。世間知らずのところのある兄は、そう考えて、価格の手ごろな中古マンションを購入したのではないか。
 しかし、マンションは小さな村と一緒である。住民の管理組合が存在し、交代で何かの役職に就かねばならないこともある。気軽なアパート暮らしと違って、交流が意外と密なのである。 そのことに気づいた兄は、マンションで暮らすことを躊躇した。いや、あっさり興味を失ったのかも知れない。それでもマンションを処分しなかったのは、面 倒くさがりやで、何事にも淡泊だった性格ゆえか――、あくまでわたしの推測である。
 翌日、そのマンションで、賃貸代行会社の人と待ち合わせた。部屋がきれいだったこともあって、無事に“商談”は成立。古いエアコンを新しい省エネタイプのものと交換し、あらためて専門業者に部屋をクリーニングしてもらい、現在は入居者を募集中である。年末を控えて、引っ越しを考える人は少ないだろうから、時期的には最悪のようだ。
 わたしが上京しているときはずっとアパート暮らしで、家賃を払い続ける立場だった。大家というのは、なんていい商売なのだろうかと、やっかみ半分で羨望の念を抱いていた。払う側よるも、もらう方が良いに決まっている。しかし、こうして大家の立場になってみると、そんなにぼろい商売ではないことに気づかされた。修繕やリフォームを行うと、何ヶ月分もの家賃があっけなくふっとんでしまう。それに、昨今の「賃貸で利殖」ブームでにわか大家が急増して、物件がだぶつき気味らしい。入居者がいないと、大赤字である。
 願わくば、死んだ兄のようなヘビースモーカーの横着者ではなく、嫌煙家のきれい好きな人に住んでいただきたいものだ。兄の住んでいたアパートの修繕費用をめぐって、不動産屋と大喧嘩をしている身には(「風に吹かれて14」参照)、虫の良すぎる願望なのだが。

 その日の夕刻は、兄が仕事を請け負っていた翻訳会社の担当者の方と、新橋で会う約束をしていた。最初の予定は夕方の4時だったが、マンションに放置されていたテレビやノートパソコン、パソコンデスクやベッドなどを処分するために連絡を取ったリサイクル業者が道に迷って到着が遅れ、二度も時間変更の電話をしなければならない羽目になった。
 マンションの立地している場所が複雑で、一方通行の細い道が迷路のように入り組んでいるので、管理人さんに借りた地図を頼りに、こちらが電話でナビをする始末だ。腹立たしくも、苛立たしくもあったが、リサイクル業者さんにとっても労多くして収穫の少ない依頼だったのだと思う。直前の仕事で手荷物を盗難に遭ったりと、散々な一日だったようだ。
 結局、翻訳会社のMさんと落ち合えたのは、日のどっぷり暮れた5時半を過ぎていた。新橋は、Mさんの翻訳会社のあるところで、晩秋の冷たい雨が降っていたが、駅前は古本祭りのテントで賑わっていた。Mさんに案内してもらった喫茶店で、話を聞いた。
 兄が仕事を請け負っていたのは、おもに2つの翻訳会社だった。アパートで保管してあった確定申告の控えで、そのことがわかった。それぞれの社の担当者に、兄の急死を連絡した。仕事の途中であれば、迷惑をおかけすることになる。幸いなことに、現在進行形での仕事はしていないようだった。
 兄の死に、情のこもった応対をしていただいたのが、Mさんだった。 わたしが連絡を入れたときは、あいにくMさんは留守だったが、あとで電話をもらった。わたしに、会えませんかと言ってくれたのも、Mさんの方からだった。そのときは帰省の途中だったので、次回に上京するときは連絡しますと約束した。後日、Mさんの会社から香典が届いた。もう一社の翻訳会社の担当者が、事務的で冷淡な印象を受けたのとは対照的だった。
 人嫌いで愛想が皆無の兄に好意を示してくれる人は希少だ。兄が大学生の頃、下宿していた家に遊びに行ったことがある。大家のおばあさんが兄のことをとても気に入っていて、大いに歓迎してくれた。こんなに真面 目な学生は初めてだと褒めちぎる。その理由を聞いて、なるほどと思ったものだ。兄は、大学からほとんど寄り道をしないで帰って来る。友達を連れて来て、部屋で騒ぐようなこともしないし、夜遊びで遅くなったり外泊することもなかった。
 これは母からの伝聞だが、その大家のおばあさんは天涯孤独の身の上で、こんな息子が自分にいたらと思っていますと、母に心情を吐露したことがあるという。キセルで煙草をくゆらす愛煙家だった。その影響で、兄も煙草を吸うようになったようだ。
 Mさんの話によると、兄の仕事は主に、日本の会社が海外(ほとんどアメリカだが)で特許を取得するさいの書類を英訳することなのだそうだ。大学の専攻が電子工学なので、その知識を活かすことができたようだ。翻訳した文章を一読しただけで、その人が内容をちゃんと理解して訳しているかどうかすぐにわかるとMさんは言う。わかっている人の訳文は、シンプルでわかりやすい。
 兄は、常に内容を理解してから訳すことを心がけていたようだ。そのために仕事は遅れがち。そのときに、よく体調不良を理由にしていたようだが、これはすこしあやしいか。実際に、今年の7月に急病死しているのだから、本当に体調が悪かったのかもしれないのだが、「体調不良」は文筆を生業(なりわい)とする者にとっては言い訳の常套句だ。
「煮詰まっているのが、わかるんですよねえ」とMさんは言った。原本をメーカーの技術者が書いていることが多いので、日本語としてもあやしい表現がたくさんあるらしい。翻訳者の苦労や苦渋がよくわかっている。それだけに、兄のことを高く……、いや、少なくとも正当に評価していただいていた。難しそうな仕事がくると、兄ならばなんとかしてくれるだろうと、頼りにもしていただいていた。
 兄らしいと思った話がある。Mさんの会社では、お盆や年末年始の予定を、契約している翻訳者に確認するのだという。 帰省などの用事がある人は、仕事を断ることになる。しかし、多くの翻訳者が、お盆や年末年始に仕事をすることを希望する。そうした混雑する時期を避けて、休暇の予定を立てようとする。それが、自由業の特権だからだ。
 兄はいつも、休むことを選択した。Mさんは、帰省でもしているのだろうと思っていたようだが、5年以上も前に、母親がくも膜下出血で危篤状態に陥ったとき以外は、兄は実家に帰っていない。ものぐさなので、旅行することもなかったはずだ。アパートの部屋を整理したときに、そんな痕跡は何もなかった。そもそも、旅行をするならもっと空いている時期を選ぶだろう。
 思い浮かぶのは、穴蔵のような部屋にこもって、煙草をくゆらせている姿だけだ。何も予定はないが、仕事もしたくない……、そんなところか。兄の方からMさんに、仕事を求めたことは一度もなかったそうだ。生活できる分だけ稼げれば、あとはなるべく働きたくない。わたしも同感であるが、なかなか実践は難しい。
 兄がMさんの会社に応募したのは、2001年12月のことだ。そのときのメールを見せてもらった。住所氏名以外は、「学歴、経歴」が3行、「翻訳歴」が3行、たったそれだけだ。そのあとで、「以上です。」ときっぱり断言している。その学歴から、Mさんは兄のことを、ほぼ同学年だと推測していたようだが、Mさんと兄は同い年の6月生まれて、さらに、誕生日が3日しか違っていないことが判明した。想えば、不思議な縁(えにし)である。兄は、Mさんのような“理解者”を得ることが出来て、幸運だったと思う。
 しかるに、である。兄はMさんに一度も会ったことがないのだ。Mさんの方から、何度か誘ったことがあるそうなのだが、兄は言葉を濁して、会おうとはしなかった。Mさんの会社に立ち寄ることもなかった。仕事の資料も、宅急便ではなく、メールのファイルで送ることを希望していたという。
 この話を聞いたとき、唖然とすると同時に、わたしは心の中でニヤリと笑った。孤高の人なのだ。これ以上、内面 に踏み入ることを許さない。「以上です。」とピシャリと扉を閉ざされたような気がした。そして、苦笑を浮かべながらも、大いに納得している自分がいるのである。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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