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 寝たきり状態の母親が、週に2回ほど出かける日がある。 月曜日と金曜日に、介護施設が運営しているディサービスを利用している。出不精で対人関係が苦手な母親は、その日がくるのをひたすら懼れていて、家族に今日の曜日を確認しては、あと何日まだ間がある、もう明日には行かなければいけないなどと、ホッとしたり、心配したりしている。誤解のないように断っておくが、ディサービスでの扱いが悪いわけではない。職員のみなさんはみな親切で、待遇も申し分ない(と思う)。母親の話では、ディサービスに行くのを楽しみにしておられるお年寄りも多いらしい。これは、あくまでも母親の性格の問題である。
 行きたくはないが、行かないとダダをこねたことはほとんどない。お風呂はディサービスが頼りなので、衛生面 からも週2回は入っておきたいところだ。それに、ディサービスに行かなくなれば、曜日の感覚が薄れて、刺激もなくなってしまう。母親にとってはストレスなのかもしれないが、やっぱり自宅が居心地いいと感じてもらうためにも、日々のメリハリやアクセントをつけるためにも、大切な“行事”になっている。母親も、そのことを理解してくれているのだと思う。
 母親のディサービスの日は、家族、とくにわたしにとっては、貴重は自由時間でもある。今は、認知症の父親の状態が安定しているので、総菜やつくりおきのおかずを用意して、昼食は兄と父とで勝手に食べてもらう。 わたしは朝から車で出かけて、しばしの開放感を得ることができる。
 先日は、山陽の方の街(匿名にする理由あり!?)まで遠出した。広島の北海道と揶揄されるわが田舎町からは、車で90分近くかかった。目的は、古本屋巡り。郊外の幹線道路沿いには、古本の量 販店がたくさんある。最近は、コミック探しがメインになった。一読主義のわたしが、「ピアノの森」や「BECK」など、手元に置いて何度も読み返したいと願う作品がいくつかできた。資料として読んでみたい、あるいは保存しておきたい漫画もある。こうして文章を表現手段にしている身には悔しいことだが、今は小説よりも漫画の方が、物語として格段におもしろいと思う。日本の漫画やアニメが世界的に評価されているのも頷ける。
 買い物以外で楽しみにしているのが、食事である。外で食べる料理は、どうしてこんなにおいしいのかと思ってしまう。高級なものを食べているわけではない。安売りが自慢の牛丼チェーンだったり、ラーメンやカレーといったファーストフードが中心なのだが、わたしにとってはご馳走である。正直、自分の料理に飽きている。自信をなくしている。時間や手間をかけるほどに、料理がまずくなってしまうような気さえする。単純な焼き魚や冷や奴のおいしさに、負けている。もっとも、父親が料理番のときもひどかったので、味オンチ、料理オンチは血筋なのかもしれない。
 その日は、吉野屋の牛丼を食べる予定だったのだが、なかなか店舗が見つからない。空腹でイライラしているときに、その店を見つけてしまった。空き地のようなやけに広い駐車場の奥に、その店はあった。昭和30年代 にタイムスリップしてしまったかのように、その店の周辺の空気だけ違って見えた。バラック建てのような建物に、中華そばという薄汚れた暖簾。とんねるずの番組の「きたなシュラン」という企画を連想した。きたなくてもおいしい店を紹介している。
 旅行好きのくせに、わたしはかなりの食い物屋オンチである。行き当たりばったりの気ままな一人旅が多いので、おなかが空いたときに適当な店を選んで食べるのだが、かなりの確率で“外れ籤”を引いている。選ぶ基準の第一が、空いている店。一人で入るのに、混雑している店は気後れする。そして、なんとなく敷居が低いので、小汚い店を選んでしまう。つまり、繁盛していない店に入ることが多いので、料理も“ハズレ”の確率が高くなる。
 飲み屋の嗅覚が鋭い友人がいた。職場の先輩で、よく飲みに連れて行ってもらったのだが、その先輩が選ぶ店は、初見の店でも必ず“当たり”である。見知らぬ 繁華街をぶらぶら流していて、この店が良さそうだとピタリと当てる。どうしてわかるのですかと尋ねたことがあるのだが、「それだけ授業料を払っているからね」と笑っていた。呑んべえの嗅覚、とわたしは呼んでいたが、そういう意味では、わたしの 食の嗅覚はペケである。食い意地は張っているのだが、食に対するこだわりは乏しい。たぶん、舌が低俗なのだろう。だから、無難なチェーン店やファーストフードを選んでしまう。
 前置きはこれぐらいにしておこうか。今回もハズレだろうかと躊躇しながらも、恐る恐るその店の暖簾をくぐったのだが、店内も外観に負けていない。すべてのものが、茶褐色の油膜でセピア色にコーティングされている。丸椅子の白いカバーまで、なんだかベトベトする。
 カウンター席には先客がふたりいた。いずれも爺さんで、ひとりは中華そば、もうひとりは餃子を肴に昼間からビールを飲んでいた。老夫婦が、カウンターの中で仕事をしている。わたしの姿を認めて、いらっしゃいませとは言ってくれたものの、まるで愛想がない。わたしは、メニューの中から、「おすすめ!」と書かれた中華そばとチャーハンの定食を注文した。さてさて、広島の「きたなシュラン」 発見なるか!
 結果は、ペケペケのペケさらんぱん(2010年4月「編集後記」参照)。 最初にチャーハンが出てきたのだが、野菜が焦げていて見た目が悪い。味はもっとひどかった。脂っぽくてベタベタしているくせに、野菜とご飯が分離しているような感じでパサパサする。中華そばは、醤油のようなどす黒いスープで、見た目と同じ、コクのないただ濃いだけの味。途中で何度もくじけそうになったのだが、お百姓さんの労苦を思い浮かべて、どうにか食べ終えた。その代償に、胃がムカムカしてしばらく吐き気が収まらない。
 会計を終えると、サービス券をくれた。10枚たまると、看板メニューの定食が一食分、無料で食べられる。わたしが食べた中華そばとチャーハンのセットだ。今まで、サービス券を10枚ためて、無料の定食を食べた豪傑が存在するのだろうか。鉄の胃袋と、相当な忍耐が必要だろう。そこまで通 えば、愛想のない店主も、笑顔を見せてくれるだろうか。
 今回も、食い物屋選びは大惨敗。悔しいので、こうしてエッセイに書いて、少しでもモトを取ろうとしている? セコいよね(苦笑)。だけど、あのチャーハンは、負け惜しみではなく、一食の価値はあったのではないかと思っている。日本一まずいチャーハンに巡り会えたのかもしれない――。
(営業妨害にならないように、街の名前は匿名にさせていただきました)


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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