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 久しぶりに健康診断を受けた。年に一度の成人病検診、いわゆるメタボリック検診というやつである。本当は、去年の3月にも受ける予定だったが、父親の体調が悪化してキャンセル、その後も介護休暇を取ったりしていたので、メタボ検診は初めての経験である。会社が費用を負担してくれるので渋々……、胃カメラなどの検査が苦痛であるということもあるが、正直、結果 が怖いのだ。
 朝の8時前に、総合病院に出かけた。最初に命じられたのが検尿で、コップを渡されてトイレに入ったのだが、出てくれなくて困った。いつもの朝の習慣で、寝起きに一回、外出前に一回と、自宅のトイレで済ませている。しまったと思ったが、もう遅い。なんとか踏ん張ってみたものの、「この線までで十分です」と書かれたラインまで到達しない。その半分ぐらいだろうか。時間をかけても出そうにない。一瞬、水道の水でアメリカン、なんて思ったが、そのまま指定のボックスの中に入れた。テレビのトーク番組で、誰だったか忘れたが、小学生のときの検便で犬の便を提出して大騒ぎになったという話を思い出した。採尿のやり直しを覚悟していたが、問題はなかったようだ。簡易検査では、ほんの少量 の尿でも大丈夫なのだろう。
 待合室で検査着に着替えて、テレビを観ながら自分の順番がくるのを待っていた。健康ランドの休憩室のようなリクライニングシートで、テレビや雑誌などの読み物もたくさん用意されている。この病院には、産休の薬剤師の代わりに一年ほど勤めたことがあるのだが、こんなに居心地の良い場所があることを知らなかった。わたしが辞めたあとで出来たのかもしれないが、リクライニングシートを含めて室内の調度品は、かなり年季が入っている。成人検診は通 院しなくてもいいので地元で受ける必要性がなく、思いのほか競争が激しいのかもしれないな、などと推測した。
 で、検査結果であるが、50の坂をいくつか越えて、それなりにガタがきている。ショックだったのは胃カメラで、しばらく前から胃の辺りに痛みを覚えていたので、胃炎と診断されるのは覚悟していた。原因はわかっている。介護している母親が風邪を引いて、しばらく車椅子への移乗を控えていたのだが、今度は腰の痛みを訴えるようになった。以前に、股関節の骨折で、人工関節の置換手術を受けているので、無理はできない、というか、介護する方も恐怖心がある。一時はオムツ交換も困難なほど痛みがひどくなって、途方に暮れた。
 痛い痛いと訴えられては、そっとしておいてあげたいが、オムツの中の汚物を処理しなくては、膀胱炎や褥瘡の原因になってしまう。ポータブルのトイレにも坐れないので、余計にオムツが汚れて悪循環。痛みを訴える本人がいちばん辛いのはわかっているが、介護する方もいじめているようで、神経がまいってしまう。
 以前にも、足の痛みでまったく寝返りが打てなくなって、救急車で病院に搬送してもらったことがあるのだが、レントゲンの検査をしても異常なし。痛み止めの薬を処方してもらって様子をみることになったが、自然と痛みが和らいで、いつもの生活を送れるようになった。あのときは、検査や待ち時間が長くて疲労困憊してしまい、母親は病院に行くことをひどく嫌っている。判断が難しいところだ。
 幸い、電気敷き毛布で体を温めることで、腰の痛みが和らいだ。腰痛は、急激な冷え込みにも原因があったようだ。エアコンがかなりくたびれていて、気温が下がりすぎるとサボタージュを起こしてしまう。尿漏れによる漏電や体の乾燥が心配で、今まで電気毛布を敬遠していたのだが、製品が格段に進歩している。丸洗い出来る上に、漏電などの異常時には送電停止の安全機能がついている。
 話が脱線してしまった。検診を受けたときは、まだ電気毛布は試していなくて、これからどうしようかと悩んでいた。完全に、ストレス性の胃炎である。胃カメラでは予想通 り、胃壁が赤く爛れていて「慢性胃炎」だと診断されたが、もう一つ、聞き慣れない病名を告げられた。「食道裂孔ヘルニア」、胃カメラの画像を見ながら説明を受けた。食道は横隔膜を貫通 して胃とつながっているが、この貫通部分を食道裂孔といい、裂孔が大きくなって筋肉が緩み、胃の上部が横隔膜から飛び出して胸に入り込んだ状態を食道裂孔ヘルニアという。
 原因は加齢だろうが、その他にも思い当たることが多々ある。早食いでよく噛まないで飲み込んでしまい、熱いものや辛いものが大好き。これでは食道も胃もダメージを受けて当然か。胸焼けの症状で知られる逆流性食道炎は、食道裂孔ヘルニアによるものも多いという。
 パレット上皮というおまけもあった。食道下部が炎症を繰り返すことによって、食道の粘膜が胃や腸に似た粘膜に変質してしまう。パレット上皮になると、食道ガンになる危険性が20〜40倍も高くなるともいわれているらしい。困ったことに、食道裂孔ヘルニアもパレット上皮も、手術以外では根治は不可能。怖くなって、さっそくガン保険のパンフレットを取り寄せた(苦笑)。
 血液検査の結果も大いに問題ありで、血糖値は正常値と糖尿病との間の境界型。コレステロールも、LDL(悪玉 コレステロール)がかなり高目で基準値をオーバーしている。問題は尿酸値で、痛風になってもおかしくない数値。酒、煙草はやらないし、何が原因だろうとネットで調べてみた。意外だったのは、いつも朝食のときに飲んでいる豆乳 に、尿酸が増えるといわれるプリン体が多く含まれていること。ただし、豆乳は尿酸の排泄を促すので、痛風の人は大いに飲むべし、と推奨しているサイトもけっこうある。
 ビールというとプリン体を多く含む食品の代表で、痛風の大敵のようにいわれているが、「ビールを飲んでも痛風は治る」という著書を出している痛風の専門医がいる。自身が痛風を患った体験記だから、説得力がある。要約すると、無理して好きなビールを我慢するよりも、ビールのストレス発散や利尿効果 の方が有益である、ということだろうか。わたしは豆乳を飲まなくてもストレスは感じないので、さっそく低脂肪の牛乳に変更することにした。牛乳にはプリン体は入っておらず、胃の粘膜の修復効果 もある。
 で、尿酸値を上げる一番の原因は何かというと、ストレス! やはりそうくるか。こればかりは、うまく気分転換しながら付き合って行くしかない。血糖値やLDLのこともあるので、食生活は改善、いや、改革する必要を痛感した。肥らない体質なので、心のどこかで成人病は自分には無縁だと慢心していた。食パンにマーガリンを山盛りに塗っていたり、夏場に炭酸飲料をガブ飲みしたり、職場の昼食は菓子パンで済ませていたりと、思い当たる原因はたくさんある。
 メタボ検診の結果は散々だったが、手遅れになる前に、こうして警告を受けたのは良かったと思う。やはり、定期的な健康診断は必要だと認めるが、胃カメラの苦痛はどうにかならないものか。昔よりも管が細くなったとはいえ、何度も何度もえずいて往生した。飲み過ぎて、吐くためにトイレで喉に指を突っ込んでいる状態を延々と続けている感じ。異物が体の中を蹂躙している感覚は、屈辱でさえある。
 鼻から入れるタイプ(経鼻内視鏡)は、従来の胃カメラよりも細い管が使われているらしい。ただし、麻酔などの処置が複雑で時間がかかり、鼻の痛みや出血の可能性があると、案内文に書かれていた。時間がかかるために人数制限があり、前もって予約する必要がある。日本が技術立国を目差しているのであれば、こういう分野にこそ力を発揮してもらいたいものだ。胃カメラで、不自然な姿勢でもがいていたので、今でも腰の蝶番(ちょうつがい)の具合が悪いのである。……、これは歳のせいかな(苦笑)。
 さて、前振りはこれぐらいにして、本題に入ろうか。今まで書いたことは、我々中高年の世代は多かれ少なかれ経験していることで、こんな愚痴めいた話を題材にしてもつまらない。今回の検診では、もう一つ、わたしにとっては晴天の霹靂とでもいうべき意外な結果 が出たのである。
 子供の頃からわたしは、目が良いのが自慢だった。検眼ではいつも、両目ともに最高の1.5。もっと小さな文字も見える自信があったから、2.0ぐらいは軽くあったのではないかと思っている。大学までのわたしは、眼鏡とは無縁の生活を送っていた。
 異変が起きたのは、社会人になって2年目ぐらいのとき。当時は会社の野球部に所属していていたのだが、自慢の視力を武器にヒットを量 産、チームトップの打率を誇っていたわたしのバットが、急に沈黙した。空振りが多くなった。ボールがよく見えていないのだ。ひょっとして、視力が落ちている? 試しに先輩の近眼用の眼鏡を借りると、バットの真芯にあたって痛烈なヒット。いつの間にか近眼になってしまっていた。
 原因は、たぶんカラーテレビ。給料で念願のカラーテレビを買ったのだが、ボロアパートの狭い部屋にベッドを入れていたので、窮屈な場所でテレビを観ていた。 それこそ、ブラウン管に食い入るように観ていたんだと思う。刺激の強いカラー画面 なので、目に良いはずはないだろう。
 バッターボックスに入るたびに、先輩の眼鏡を貸してもらうわけにはいかないので、眼鏡屋で初めて自分の眼鏡を作った。検眼すると、右目が0.3で左目が0.2。立派な近視である。わたしの運転免許証には、免許の条件で「眼鏡等」の文字が入るようになった。
 日常生活ではそんなに不便を感じないので、いつも眼鏡をかけているわけではなかったが、眼鏡にはそれなりにお世話になりながら日々を過ごしていた。それが、40の半ばを過ぎてからは、車を運転するとき以外はほとんど眼鏡をかけることがなくなった。理由は老眼である。
 あなたが最初に老いを意識した理由は何ですか? と問われれば、わたしはすぐに老眼だと答える。小さな文字が霞んで見えなくなった。わたしは、活字がなければ時間を持て余してしまう人間なので、老眼鏡を買った。ありがたいことに、100円ショップでいろんなデザインの老眼鏡がたくさん売っている。老眼が進むと、近視用の眼鏡をかけるとますます近くの視界がぼやけてしまう。それが嫌で、次第に近視用の眼鏡を使わなくなってしまった。
 俗説で、近視の人が老眼になると、近視と遠視が相殺されて視力が回復する、などとまことしやかにいわれている。しかし、遠視と老眼はまったく別 物で、遠視は焦点距離がずれていて、近くはよく見えないが遠くは見える。その反対が近視である。老眼は、焦点を合わすための水晶体の調節能力が、老化のために衰えることで、近くのものにピントが合わなくなること。だから、近視の人でも、遠視の人でも、同じように老眼になる。老眼によって、視力が回復することはありえない……、というのが常識。
 今回の検診の視力検査で、右が1.2で左が0.8という結果が出た。何かの間違いではないかと耳を疑ったが、思い当たることはいくつかある。以前は、テレビで字幕入りの映画を観るときは、近眼用の眼鏡をかけていたのだが、今は必要なくなっている。離れた場所の、たとえば本棚に並んだ背表紙の文字やカレンダーの数字が、近付かなくても読み取れる。確かに、視力は回復しているのである。
 理由が老眼ではないとすると、帰省して緑の多い田舎の景色に囲まれているからだろうか。派手なネオンの看板で、目が焼かれることもなくなった。それとも、近眼の焦点距離のズレが、老眼によって偶発的に矯正されたのだろうか。ネットで調べてみると、老眼により近視が治ったという例は皆無ではない。
 試しに眼鏡なしで車の運転をしてみたのだが、標識もよく見えるし、怖さは感じない。ただし、継続するには問題がある。警察の検問にでも引っかかって免許の提示を求められたら、「眼鏡等」のことが指摘されるだろう。今度の免許の更新では、眼鏡なしで挑戦してみようと思っている。
 それにしても、視力が回復した理由、誰かわかりません?  ちなみに、近くが見えない老眼は、相変わらずなのです。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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