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 毎週、月曜日は、市内にある簡保の宿の温泉に入ることにしている。もともと大の温泉好きということもあるのだが、実家の風呂場では介護している老父母の汚物を処理することが多くて、気分的にくつろげない。どうしても、臭いがこもっているような気がして、心身共にさっぱりするという感覚が得られないのである。
 15日の月曜日にも、いつものように昼餉のおさんどんを済ませたあとに出かけて行ったのだが、お盆ということで仕事休みの人が多いのか、いつになく混雑していた。週末明けの平日ならば、館内は閑散としていて、冷房のよく効いたロビーのソファで缶 コーヒーでも飲みながら、新聞ラックにかけてあるスポーツ新聞を読むのが定番なのだが、いつにないロビーの人出を見て、すぐに2階の大浴場に向かった。
 わたしが週5日、ないしは6日、みっちり働いていたときは、盆休みや祝日が楽しみだった。今は逆になっている。介護のために出勤と休日の比率が逆転して、現在は週2日のペースで働いている。平日のゆったりした雰囲気に、心身が馴染んでしまっている。たまたま外出したときに、祝日が重なっていたりするとリズムが狂わされて、祝祭日なんかない方がいいなどと思ってしまう。人間は勝手なものである。
 大浴場も客が多くて、お気に入りのミストサウナも、いつになく混雑していた。わたしは、くだらないことで負けず嫌いなところがあって、 サウナで先客がいると、その人が先に出るまでやせ我慢して熱気に耐えている。舌を筒状に丸めて口から突き出して、気化熱を発散させながら呼吸するというヨガ式の秘技まで繰り出して、対抗する。そのしょうもない性分のために、今日は二度ばかり奇妙な場面 に遭遇した。
 一度目は、娘ふたりを連れたお父さんがサウナ室に入って来たとき。妹の方は早々に音を上げてぐずりだして、お父さんに連れられて外に出た。しかし、お姉ちゃんの方が頑張るのである。小学校の二、三年生といった年頃か。満員だったサウナルームが、一人減り、二人減りして、とうとうそのお姉ちゃんと二人だけになった。こうなると、子供に負けるわけにはいかない。その子がのぼせた顔で立ち上がったときは、心の中でガッツポーズ。しかし、密室の中、裸の女の子と二人だけで汗を流している光景は、かなり異常だったような気がする。お父さん、もう少し用心した方がいいですよ(苦笑)。
 もう一つは、先客がかなりいたときのこと。出入り口に近い場所に空きを一つ見つけて、わたしはそこに坐った。ミストサウナなので、普通 のサウナルームのような広さはなく、御影石の腰掛けに5人も坐ると満員になってしまう。そこに、もう一人、入って来た。諦めればいいのに、電車の座席のような感じで、隙間を見つけて強引に割り込んだ。その両隣の先客が腰をずらして空きを作ったので、わたしも仕方なく壁に体を密着するようにして、腰をずらした。それから、いつものように我慢比べである。一人減り、二人減りして最後に、60年輩の隣の人とわたしだけが残った。スペースに余裕ができたので、少し離れてくれればいいのに、カツラのようなぺっとりとした髪をした隣人に動く気配はない。他に空き席があるのに、まるで裸の二人が片隅に寄り添うようにして坐っている。誤解されかねないシチュエーションである。サウナの暑さにはまだまだ耐えられたが、わたしの方が先にリタイアした。
 こんな感じで、お盆だからといって、我が家では取り立てて特別なことをするわけではない。帰省してくる家族がいるわけでもなく、エベントは墓参りぐらいだろうか。14日の早朝に迎え火を焚いて、15日の夕方、送り火を焚く。母親の話によると、14日は夜明け前に墓参するのが習わしだったという。真っ暗な墓地の坂道に、提灯をぶら下げた行列ができたというから、そのしきたりを護っている家も多かったのだろう。
 母親がそんなに言うんだからと、わたしも帰省した最初の二、三年は懐中電灯を持って真夜中に出かけていたのだが、広い墓地に火種は一つか二つ。たぶん、迎え火を焚いているのだろうが、かなり離れているので、ひょっとしたら人魂が燃えているのではないかなどと、馬鹿馬鹿しい考えが脳裏をよぎったりする。まだ眠いし、暗闇での作業は面 倒だし、藪蚊には刺されるしで、母親の諒解を得て、今は夜が明けてから出かけることにしている。
 昨日も6時前に一人で出かけたのだが、その日は日曜日ということもあって、意外なほど人出があった。家族連れも多い。今回も草むしりを覚悟していたが、先月の23日が次兄の命日で、そのときの墓参でこまめに草を抜いておいたので、簡単にすますことができた。次兄の埋葬のときに累代墓を新調して、周囲に新たに砂利石を敷き詰めてもらったので当分は大丈夫だろうと思っていたが、雑草の生命力はすさまじい。
 切り花を手向けて、敷地の隅っこで迎え火を焚いた。肥松という木切れの束で、お盆が近付いてくると一般 の店頭やスーパーで大量に積み上げられている。松ヤニの多い松の根っこを乾燥させて裁断したものだそうで、黒煙を上げながらよく燃える。しかし、松食い虫の被害で全国的に松の木が減っている現状では、他の木で代用しているのかもしれない。包装に生産地や木の種類は記されていなかった。あるいは、こんなものまで外国からの輸入品か。中国産の肥松で迎え火を焚くのは抵抗があるが……。
 焼香して合掌、家に帰ってから、自宅の仏壇に焼香して合掌。 これで無事にご先祖様を家にお迎えすることができた、ということになる。陰気でむさ苦しい我が家では、ご先祖様もくつろげないと思うのだが、これも血縁ならば、我慢していただくしかない。そして今日の夕方、送り火を焚いて、お盆の行事は無事、終了した。
 こうした土着の風習には、無条件で迎合することにしている。もともと性分が根っからの小市民なので、波風を立てずに静かに暮らして行きたいと願っている。でも、そんな小心者のわたしでも、抵抗を覚える慣習がある。そのひとつが、半返しというシステム。香典の半返しは、一般 的な習慣だろう。葬儀で香典を渡すと、後日にその金額の半分に見合うだけの返礼の品や商品券が送られてくる。今は、カタログが送られてくることも多いだろうか。そのカタログの中から、自分の好きなものを選べるようになっている。
 そうしたことは、葬儀会社が代行してくれるのだろうが、葬儀の場ではなく個人的に香典をもらったりすると、不謹慎だがやれやれと思ってしまう。例えば、5千円の香典をもらったとする。その半返しのために、ショッピングセンターに出かけて3千円の商品券を買い、香典返しの熨斗をつけてもらう。それを相手の自宅まで届けて、ありがとうございましたと頭を下げる。こうした面 倒を考えると、厚意はありがたいのだが、香典は辞退したくなってくる。
 かくいうわたしも、友人の親族のご不幸には、香典を不躾におくりつけてしまうこともある。弔意を表すのに、他に方法を知らない。しかし、厚意の押し売り、友情の押しつけであることも自覚している。いっそ、香典の半返しという習慣がなくなれば、すっきりと香典をおくることができるのだが、などと八つ当たり、いや罰当たりなことを考えてしまう。
 何年か前に、父方の伯母の葬儀に出席した。 香典はご遠慮しますというシステムだった。ああ、こんなやり方もあるのだと、目から鱗が落ちるような気がした。香典を貰わなければ、半返しもしなくていいのである。出席者の心のこもったお別 れの祈りさえあれば充分なのだ。お金に気持を込めるには、現代の金銭は汚れすぎている。ただし、経済的に余裕がないと、こうしたことはできないのも事実。葬儀費用にもお金がかかるのである。
 香典の半返しの話が長くなってしまった。介護している両親のことが念頭にあるからだろう。縁起でもないが、心の準備はしておかなくてはならないと思っている。さて、半返しだが、わたしの故郷では、このシステムがすべてに応用される。何かをもらったら、半分を返すのである。
 父親が近所で家庭菜園をやっていることは、ここのエッセイでも何度か書いたが、たとえばキュウリが大量 にできたとする。我が家だけでは食べ切れないので、ご近所に差し上げようとしても、「返すものがないから受け取れない」などと断られることになる。
 餞別やお祝い金などでも、半返しが必要になる。わたしは帰郷してから二度ほど転職しているのだが、その都度、餞別 をもらっている。半返しのシステムを知らないわたしは、ありがたく頂戴しておいたのだが、本来であれば餞別 の半分の金額で、何か品物を買って返すべきであった。礼儀知らず、あるいは、金にがめつい人間だと思われた可能性が大である。
 わたしが祝い金や餞別などを渡すときは、返しはいいですからと念を押すようにしている。それでも、返しをもらうことが多い。親しい間柄であれば、「返すなら倍返しだぞ」と恫喝するようにしている。
 その半返しのことで、ご近所の方と話をしたことがある。ゴミ出しをしたときに、近況の四方山話になって、半返しの話題になった。その方は独り暮らしのおばあさんで、しばらく前に体調を崩して入院していたのだという。しかし、近所の人には気づかれないように黙っていた。入院していることがバレると、お見舞いに来て、見舞金を渡されることになる。その返しをするのが大変なので、入院を極秘にしていたというのだ。
 その気持はよくわかる。そうでなくてもご老体で体力がないのに、返しの品を用意したり相手の家まで持参するのは重労働である。そんなことをすれば、また体調を崩してしまうかもしれない。共感したわたしは、つい次兄が亡くなったことを話してしまった。香典を遠慮したかったので、みなさんにはお知らせしなかったという趣旨の話をしたと思う。
 で、後日、その方は次兄の香典を持って来訪された。これは、鄭重にご辞退させていただいた。お悔やみと香典は礼儀、いや、しきたりなのである。その方が入院を隠していたように、次兄のことを話さなければよかったのだ。余計なことをしゃべってしまったために、義理や義務が生じてしまった。都会の垢がまだ抜けていないのだろう。たが、そのことを誇らしく思っている自分もいるのである。 


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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