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 脳梗塞で入院していた父親が、担当医が驚くほどの生命力を発揮して、流動食が食べられるまでに回復した。痰のからみがひどくて、食事の経口摂取は難しいかもしれませんと言われていた。そうなると、チューブで直接、胃に栄養を送るための「胃瘻(いろう)」を腹部に穿つことになる。医療的にはそれが正解だろうし、医師としては当然の判断なのだろうが、意識が朦朧とした中でも延々と身体だけは生き続ける、いや生かされ続けるわけで、人間としてはどうなのか……。しかし、そうしなければ衰弱して死んでしまいますよと迫られたとしたら、拒絶することは難しいだろう。
 父親の頑健な体のおかげで、そうした辛い選択をすることはなかったのだが、大きな問題が立ちはだかっている。急性期の病状は収束して、状態が安定しているので、病院から退院を勧告されたのだ。これは覚悟していた。現在の日本の医療制度では、高齢者は一般 病棟に90日間しか入院できないようになっている。90日を過ぎると保険点数がガクンと減額されるので、経営が成り立たないようになっている。例外はあるが、それは余程の重症者か難病患者、特殊な医療が必要な患者に限られている。その基準は厳しく、たとえわたしの父親が胃瘻の手術を受けていたとしても、退院を迫られることに変わりはない。こういう無体なシステムがつくられた理由はただひとつ、老人医療費の削減である。
 リハビリの担当者の方と面談したときに、「退院後はどうされますか? 自宅に戻られますか?」と質問されたときに、思わず激しい言葉が迸ってしまった。「無理です。寝たきりの母親の介護をしていて、場所がありません。二人の介護となると、何のために生きているのかわかりません」 。自分で自分の言葉に驚いたが、本音であることに間違いはない。父親の状態は、かなり回復したといっても、右手の指は力が入らず、意識も混濁したままだ。呼びかけにもほとんど反応しないことの方が多い。そんな父親を自宅で介護することを考えただけで、絶望感に襲われる。
 となると、介護専門病院や老人施設に入れるしかないのだが、そうやって病院を追い出された高齢者や、自宅で面 倒を看きれなくなった老人で、どこの施設もあふれかえっている。都会の方が情況はより深刻で、わざわざ地方の施設に入所している人も多いらしい。一番希望の地元にある介護病院では、入院の予約待ちが50人だと言われた。しかし、他の施設にも予約を入れている人がほとんどで、意外と早く順番がくるかもしれないとも言われた。わたしも、父親の入院している病院の“担当者”に言われるままに、複数箇所の施設に予約を入れている。こうした重複予約が、余計に実態を不透明にしている。
 介護する家族は、まるでサンドバッグのように打たれ続けているようなものだ。老親が救急車で運ばれて、命が助かったと思ってホッとしていたら、3カ月も経たないうちに退院を迫られる。自宅介護は、自分の仕事や生活、つまりは残りの人生の多くを犠牲にすることになる。施設はどこも満員で、運良くもぐり込めたとしても、少なくない費用の負担に喘ぐことになる。
 病院の窓口に、もう少し情報を集約するシステムを築けないものかとも思う。急性期の医療を担う一般 病院と、介護専門病院や老人施設をオンラインで連携すればすむことだ。 空き室情報や施設の紹介、料金体系などを提示して、患者サイドで選択できるようにする。そして、病院からオンラインで申込みができるようにする。地方行政が担うべき仕事かもしれないが、さして労力や費用はかからないので、病院でもできるはずだ。そうなれば、病院から追い出されたというイメージは薄まって、“転院”となるのではないか。
 現状は、施設のパンフレット一枚、用意されているわけではないので、病院の担当者に渡された施設の一覧表の住所を頼りに、独力で申し込まねばならない。インターネットで地図が検索できない高齢者や車の運転ができない人は大変だと思う。当然、現地に行って初めて施設を眼にして、システムや料金等の説明を受けるわけだが、もとより介護者の家族に選択する権利はない。どんな条件でも受け入れて、入院、もしくは入所させていただくしかないわけである。
 病院の悪口を書いているようだが、病院の運営が大変だということは、わたしもよくわかっている。医師不足は深刻で、父親が入院している地元の基幹病院では未だに産婦人科は閉鎖されたままだ。転勤する前に働いていた調剤薬局の門前の市立病院では、退任した内科医の補充ができずに、長期処方で患者数を減らして当座をしのいでいる。医師に限らず、充分な人員を確保できないので、その皺寄せが患者にくる。
 国の医療行政に問題がある? もちろん、そうなのだろうが、根本の問題は増える一方の医療費にある。消費税を上げればいい? 鼬ごっこで、借金大国の日本がどこまで消費税を上げれば、医療費が賄えるのか。未曾有の超高齢化社会が現出している。医療が発達して、昔は亡くなっていた高齢者が助かるようになった。助かる命を救うのは医療人としては当たり前のことなのだが、消えそうな灯火(命)を維持するには、大変な労力と費用がかかる。自分で自分の首を絞めているような、負のスパイラル……。
 仕方のないことだとも思う。このまま平均寿命が延びれば、百歳を過ぎても元気に働くことができる社会がくるかもしれない。わたしの両親のような高齢患者の頑張りや介護家族の懊悩が、そのための一里塚であると考えれば、いくばくかの慰めを得ることもできるだろう。楢山節考を持ち出すまでもなく、高齢者の扶養、介護問題は、人類が抱えている永遠のテーマなのである。
 さて、父親の行き場所だが、隣町にある介護病院から入院の許可が出た。やれやれである。ただし、空きがあるにはそれなりの理由がある。遠方で、入院費用が割高になる。しかし、選択の余地はない。明日が退院、そして入院の予定日になっている。自分で父親を連れて、入院しなくてはならない。母親のために購入した車椅子用の福祉軽自動車が、今回も役に立つ。8年が経過して、新車もすっかりロートルになってしまった。雪路用のスタッドレスタイヤもかなり摩耗して、そろそろ交換を考える時期にきている。明日は、雪が降らないことを願っている。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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