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 本が好きだ。今でも、書くよりは読む方が格段に好きである。しかし、子供の頃は、本を読んだという記憶があまりない。活字の魅力に目覚めたのは、中学生になってからだろうか。 学習研究社が出していた「中学○○コース」という学生誌に、偉人伝や海外ミステリの翻訳の文庫が付録としてはさまっていた。オマケなので、漫画雑誌で使うような粗雑な紙に印刷したペラペラの小冊子だ。それでも、その内容は、世間知らずで読書に初な少年にとっては、とりわけゴージャスに感じられた。
 エドガー・アラン・ポーに出会ったのも、この付録本だったと思う。「赤き死の仮面 」を読んだ夜は、一人でトイレに行くことができなかった。自分の体に赤い斑点がないかどうか、風呂場で確認する作業がしばらく日課になった。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズに出会ったのも付録本で、人間洞察を柱にした切れ味鋭い活劇に、たちまち魅了された。
 そして、学校の図書館で江戸川乱歩に出会った。エドガー・アラン・ポーの名前に似ているな、と思って興味を引かれた。中学に置いてあるのだから、怪人二十面 相が登場する「少年探偵団シリーズ」あたりか。このあたりの記憶は曖昧である。そのあとで、近所の本屋に行って、江戸川乱歩の文庫本を買うようになるのだから、おもしろかったのだと思う。「人間豹」、「陰獣」、「十字路」、「白髪鬼」、「押し絵と旅する男」、「パロラマ島奇譚」等々、その隠微な暗闇の世界の虜になった。本屋に行って、講談社文庫の青い背表紙を見ると心が躍ったものだ。こんなものを読んでもいいのだろうか、という罪悪感が、思春期の少年にとっては刺激的なスパイスとなった。
 青い背表紙を読み尽くしてしまうと、寂寥感を埋めるために、今度は黒い背表紙に手を伸ばした。どうして黒い背表紙を選んだかというと、圧倒的に数が多かったため。横溝正史との出会いだった。角川書店で「金田一耕助シリーズ」が映画化される前のことで、わたしは横溝正史という作家や金田一耕助という名探偵の存在をまったく知らなかった。人間の欲望や憎悪、因習などを巧みに織り上げた怨念のタペストリー、その凄艶な構成美に圧倒された。金田一耕助のとぼけた愛嬌のあるキャラは必須である。暗渠のような事件の中で、ランプの炎のような暖かい道しるべがあってこそ、読者は安心して同道できるのだ。中毒患者のように、貪り読んだのを覚えている。
 こうした棚の「読みつぶし」は、今でも続いている。図書館でおもしろい作家を見つけると、その作家の作品をしばらく読み続けるのだ。いつの間にか、棚に並んだすべての本を読み尽くしている。日本の作家では、柴田錬三郎、渋澤龍彦、山田風太郎、阿佐田哲也(色川武大)、神吉拓郎、新橋遊吉、隆慶一郎、神林長平、志水辰夫、篠田節子、本多孝好等々。海外では、ディック・フランシス、バーナード・コーンウェル、ウイルバー・スミス、マイクル・Z・リューイン、ジェレマイア・ヒーリィ、トレヴェニアン等々。
 ディック・フランシスが未読の方は幸せである。数多(あまた)の至福の時間が約束されている。わたしが独り旅に出かけるときには、ディック・フランシスの文庫本を持参するのが恒例になっていた。旅先に、つまらない本を持って来てしまったときは最悪である。まったくのお荷物で、捨ててしまいたいぐらいだが、図書館の本だとそうもいかない。その点、フランシスならば、まず外れはない。ただ、本に熱中し過ぎて、旅行よりも読書がメインになってしまうこともあるが、それもまた楽し、である。
 最近では、中国の歴史武侠小説の巨人・金庸、リアルで骨太なサスペンスの巧者・横山秀夫、和製ハードボイルドの鬼才・東直巳の作品をすべて読みつぶして、新作は“入荷”していないかと、図書館に行く度に棚を確認している。 こうした作者とは、とりわけ相性が良かったのだろう。一冊目で感激して次の作品でガッカリ、もう一冊だけためしてみたが途中でリタイア……、こんなケースも多くて、なかなか読みつぶすまでは付き合えない。我が儘な読者を自認しているが、読書とは我が儘でいいいのだと思う。おもしろいという感覚こそが、すべてなのだから。
 本に囲まれて暮らしてみたいというのが、昔からの夢だった。でも、それを実現するだけの生活スペースも経済的な余裕もない。本屋や古本屋に憧れていた時期もあるが、自分にはそうした経営の才が乏しいことを自覚している。だから、図書館は、わたしにとっては大切な場所である。
 東京の郊外に住んでいたときは、図書館に行くということは、手軽なリクレーションでもあった。天気の良い日は、付近を散策しながら図書館に向かい、到着したらまずロビーで自販機のコーヒーを飲みながら一服する。それから、たっぷり時間をかけて借りる本を選別 して、そのあとは、駅前の食べ物屋で本をめくりながらランチタイムを過ごす。お金はないけど、時間ならたくさんあるという人にとっては、図書館は最高の友である。
 小金井市に住んでいた頃には、違う市の図書カードを5枚くらい持っていた。その市の住人ではなくても、近隣の市であれば、図書カードを作ってくれるのだ。愛車のチャリンコを漕いで、新規開拓の図書館まで出かけて行く。まだインターネットが整備される前のことで、地元の図書館の電話帳で所在地を調べて、地図を頼りに探すのだ。そんな図書館で本を借りることは滅多にないのだが(返却が大変)、ついつい図書カードを作ってしまう。図書カードを作ることで、その図書館に受け入れられたという安心感が持てるのだろう。こうした遠征は一日がかりで、図書館周辺の商店街なども散策したりするので、小旅行をするような楽しみがある。
 さて、家庭の事情で5年ほど前に広島の山間地にある実家にUターンしたのだが、図書館通 いは相変わらず続いている。とてもおもしろいというか、ありがたい図書館を見つけたのだが、この話はまた次回に。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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