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 季節は晩秋である。あれだけ鮮やかで艶やかだった山々の黄葉も、木枯らしに生命力を吹き飛ばされたかのように、急速に老いている。
 雪の心配をしなくてはいけない時期が近づいてきた。いつ、冬用のタイヤ(スタッドレス)に履きかえるかが悩ましい。例年だと、12月に入ってからなのだが、今日は一番の冷え込みで、とうとう初雪が舞った。積もると通 勤が危ういので、用心して早めに交換しておくべきだという焦りがある。ただし、ノーマルに比べて割高なスタッドレスは、なるべく使用期間を短くして長持ちさせたいという思惑や、面 倒なことは先送りにしたいという怠け心もある。
 晩秋には、マイルス・デイビスのトランペットがやけに心地良い。聴いているのは、マイルスの初期から10年ぐらいのプレイをセレクトした「acostic」、哀愁たっぷりの音色で心を震わせたかと思うと、シンプルで力強いリズムで、萎えそうになる想いを優しく鼓舞してくれる。
 本当は、図書館から朗読のCDを借りていたのだが、とうとう聴かずじまいで貸出期限がきて、そのまま返却してしまった。太宰治の「人間失格」、中学時代、思春期のアレルギーで心を真っ赤に腫らしているときに読んで、多大な影響を受けた作品だが、聴くだけの元気が、いや、勇気がなかった。晩秋には、ちと荷が重い……
 その前に借りた「富獄百景」は良かった。自分の弱さが素直に吐露されていて、俳優の憂いを含んだ声でささやくように朗読されると、素直に共感できた。昔の作家は、とりわけ太宰のような自分の内面 をモチーフにするような作家は、自分の心の奥底にある僅かな“狂気”を掘り起こして、それを増幅、ときには爆裂させて、原稿に向かうエネルギーにしていたのではないか。たとえそれが、社会生活においてはマイナスのエネルギーであっても。
 もう気づいた方もいると思うが、「晩秋には、マイルス・デイビス……」のフレーズは、「富士には月見草がよく似合う」のパクリである。そういえば、「acostic」も同じ地元の図書館から借りたCDで、こちらはコピーさせてもらったので、返却期限を気にしないで聴き続けることができる。
 さて、広島の山間にある地方都市に帰省してからのわたしの図書館遍歴だが、隣町の調剤薬局に就職したときには、近くに大きな図書館があったので、昼休みの時間によく通 った。門前薬局なので、処方箋を発行する医院に合わせて、昼休憩が90分もあった。図書館のそばのお好み焼き屋(当然、広島風などという珍妙な看板は掲げていない)で昼飯を済ませてから、図書館で時間をつぶした。
 お気に入りは、前面がすべてガラス張りの二階の学習室で、鵜飼いで有名な馬洗川の景観が一望できる。40代も半ばを過ぎてからの転居、転職で、若いスタッフが多い狭い職場では居心地が悪かったということもあるが、独りになれる時間を欲していたんだと思う。この図書館では、水木しげるさんの自伝漫画「昭和史」と出会った。
「人間は食べることと眠ることが大切である」という水木さんの人生訓は新鮮だった。寝る間も惜しんで、という言葉が美徳のように口にされているが、腹が減っては戦は出来ぬ 、睡眠不足では思考力が低下して良いアイデアも浮かばない。これでは生きる力が薄っぺらになってしまう(読後感を自分の言葉に直しています)……、なるほどなと感心した。それで、勉強を疎かにしても、睡眠時間だけはたっぷり取っていたせいなのか、新しい職場は8ヶ月しか保たなかった。食事と睡眠、そして努力も大切です。
 毎日のように通ったその図書館も、今は滅多に行くことはなくなった。職場と共に、図書カードの資格も失ってしまったのだ。市民や市内への通 勤・通学者しか貸し出しを認めていない。これは、わたしの住んでいる市でも同様で、隣接しているんだから図書館の本ぐらい、と思うのだが、仲が良くないのかな。本好き、図書館好きにとっては残念至極で、狭量 だという印象は拭えない。
 ネットで、ユニークな図書館を見つけた。広島市まんが図書館、漫画を専門に扱う日本で唯一の公立図書館だ。桜の名所である比治山公園の中にある。方向感覚に自信がないので、カーナビを購入した。少しでも早く着いて長く居たい、それだけ期待値は高かった。
 本の内容は充実していた。最新刊から、資料的な価値の高い昔の作品、海外の翻訳本まで、きめ細かく整備している。ジャンプやサンデー、マガジンなどの雑誌コーナーも充実している。タダで思う存分、漫画が読めるのだから、わたしのような漫画好きにはたまらない図書館なのだが、同じことを考える人は多いようで、わざわざ平日を選んで遠征したのだが、スペースの乏しい館内は混雑していて、坐る場所を確保するのが大変だった。それに、読みたいと思っていた本が、貸し出し中で空振りだった。公立の図書館なので、ギャンブルやエロ度の強い漫画もNG。これじゃ、お金を払っても漫画喫茶に行った方がマシ、というのが正直な感想だ。
 こういう図書館が近くにあれば、とは思う。やはり図書館は、本を借りる所なのだ。図書カードを作れなかったので(わたしの住所は、有資格者の10市12町に入っていない)、その後、まんが図書館には一度、再訪しただけだ。図書カードを所持していないと、自分の図書館、自分のテリトリーだという愛着を持つことができないのだろう。
 そして、理想の図書館を見つけた。今年の正月明けから、岡山の県境にある町の調剤薬局に転勤になったのだが、隣接する新見市まで食事や買い物でちょくちょく足を延ばしていた。道の駅の隣に、その図書館はあった。ドーム型の建物で、体育館のような施設だろうと思って気にかけていなかったのだが、運転中に「図書館」という看板の文字が視界を過ぎった。まさかと思って立ち寄ると、本当の図書館だった。集会ホールや診療所が併設されている。失礼な話だが、こんな田舎にこんな大きな図書館があるなんて、というのが最初の印象だった。
 ここの図書館は、通路と図書スペースが区分されていて、図書スペースには靴を脱いで上がる。驚いたのは、漫画コーナーである。まんが図書館は別 格として、これだけ一般の漫画をそろえている公立図書館を、わたしは他に知らない。陳列されている漫画をいくつか手に取ってみて、少し合点した。寄贈本が多いのである。しかし、一般 の漫画書籍を図書館の蔵書として受け入れるのは勇気がいる。
 館内に展示されている新聞記事のコピーを読んで、合点した。この図書館は、新見市の公立図書館でありながら、地域のNPO法人が管理・運営している。新見市と合併する前の、独自のポリシーや活動を維持しているのだ。漫画だって、要望があれば、良い作品をどんどん取り入れて行こうという柔軟な姿勢は、地域住民が運営に参加しているからだろう。それを認めさせた住民パワーも、それを認めた市の度量 も、なかなかのものである。
 居心地の良さそうな図書館だな、と無料で開放されているマーサージチェアを見てそう思った。でも、貸し出しは無理だろうなと思った。隣接しているとはいえ、県境をまたいで、わたしは他県人なのである。しかし、利用案内のパンフレットを見て、心が躍った。「市外の方でも利用できます」と記載されているではないか。もしかして、と思って受付で確認すると、身分証(免許証)を明示して申込書を提出するだけで、簡単に図書カードを作ることができた。つまり、身分を証明するものさえあれば、誰でも貸し出しオッケーなのである。しかも、10冊まで借りることができる。これは、凄いことだ。
 ちなみに、新見市内の他の公立図書館は、市民や市内への通勤・通学者しか貸し出しを認めていない。貸し出し限度冊数も、平均的な5冊まで。
 この図書館で、珠玉の名作「ピアノの森」(一色まこと)に出会えた。「MONSTER」「20世紀少年」(浦沢直樹)、「ブラックジャックによろしく」(佐藤秀峰)、「N'sあおい」(こしのりょう)、「Dr.コトー診療所」(山田貴敏)、「はじめの一歩」(森川ジョージ)、「ジパング」(かわぐちせいじ)、「クロサギ」(夏原武&黒丸)、「犬夜叉」(高橋留美子)……、通 い詰めて、読んだ漫画は半年足らずで、軽く200冊を超えている。
 新見市立哲西図書館、わたしの図書館である。


追記:このエッセイを書き始めたのは11月の半ばで、いろいろあって中断、とうとう12月までずれこんでしまった。冒頭で晩秋と書いたが、すでにかなりの積雪があり、車はスタッドレスに履きかえている。モタモタしているうちに、季節に置き去りにされてしまった(トホホ)。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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