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 長い冬がようやく終わろうとしている。「ハットウジの多い年は雪が多い」、そんな言い伝えがこの地方にはある。ハットウジとは、この地方でのカメムシの方言で、農家にとっては厄介な害虫であり、刺激するとひどい臭気を出すので嫌われものである。ヘコキムシという名前で呼んでいる地方もある。
 ハットウジの呼称は、岡山県吉永町にある天台宗の古刹、照鏡山八塔寺に由来するという説が有力だ。寺院が焼失して生活に困った寺僧が薬草を近隣諸国に売って生活の糧を得ていたのだが、身なりに気を使う余裕がなくて僧衣は汚れ、身体からは異臭を放ち……、やはり「臭(にお)い」が語源であるらしい。
 去年の夏から秋にかけて、家の中にカメムシがたくさん侵入してきた。捕まえたり、無理に追いだそうとすると最後っ屁をくらうので、対処が悩ましい。ゴキブリであれば即撃退であるが、カメムシを放置しても実害はない……、と思う。しかし、家屋の中に入ろうとする理由は何だろうか。
 蘊蓄が長くなってしまった。ここ何年も暖冬なので、そんなに雪が降ることはないだろうと高を括っていたら、突然のドカ雪である。昔から豪雪地帯として有名だった高野町が庄原市に合併されたことで、その降雪量が全国ニュースで報道され、心配した友人知人から電話やメールが届いた。温暖な瀬戸内のイメージが強い広島で、こんなに雪が降るのかという驚きも大きかったのだろう。
 うん? このことは以前にも書いたような、と思って「風に吹かれて」のバックナンバーを確認してみると、前々回にしっかりネタにしている。最近、こういうことが多くなった。本を読んでいる途中で、以前に読了した本だと気づくのだが、それがもう半分以上も読んでしまっていたり。脳の機能が劣化、いや老化しているのだろうが、古本屋やミニコミ誌に手を出してしまい身辺が慌ただしく、記憶の引き出しが散らかり放題になっている。
 書きたかったのは雪道のことで、母親が入所している介護専門病院の坂道が急勾配で、雪の日は鬼門になっている。昨冬の雪の日に、愛車のワゴンRが坂の途中でスリップ、立ち往生してしまった。冬用のスタッドレスタイヤをはいていても、四駆でないと急坂はきつい。運良く通りかかった車の人が知り合いで、その人に車を押してもらって脱出できたのだが、その経験がトラウマになって、積雪の日は病院には行かないようにしている。
 長兄が毎日、母親の病室に通っているのだが、車の運転免許を持っていない。朝はバスを利用してもらっているが、夕方の便は早々に終了してしまうので、どら書房の店じまいをした後で、病院まで車で迎えに行くのが日課になっているのだが、雪の日はタクシーで帰ってもらうことにしている。タクシーならばチェーンを装着しているので、ある程度の雪道なら走行できる。こうした心配も、春になれば無用である。
 4月は母親の誕生日がある月だ。桜の季節を過ぎれば、母親がまた年を重ねることができる。当たり前のことが、当たり前ではなくなってからもう13年になる。母親が蜘蛛膜下出血で倒れてからの年月である。紆余曲折があって、一緒に介護していた父親が89歳で亡くなった。母親は今度の誕生日で91歳になるので、すでに夫である父親の年齢を超えている。
 母親はよく、父親のことを話してくれる。昔話ではなく、現在の話。病室によく顔を見せてくれるのだという。亡くなった父親が寂しがって迎えに来ているのだろうと考えていたが、話をしているうちに、わたしの父親ではなくて、母親の父親、つまりわたしの祖父であることがわかった。
 どういうわけかいつも3人トリオで登場するらしい。祖父以外のふたりは知らない人だという。わたしの覚えている祖父は、いつも和服を着ていたという印象があるのだが、母親の前に登場する祖父は、ダンディなスーツを着込んでシルクハットをかぶっているらしい。そして、石原裕次郎の歌を唄うのだという。
 どうして石原裕次郎の歌なのか、母親もわからない。母親は、とくに裕次郎のファンというわけでもないようだ。どちらかというと、声のよく通る小林旭の歌を好んで聞いている。祖父が裕次郎の歌を好きだったということでもないようだ。そもそも祖父が唄っているところを見たことがないという。
 長兄を迎えに行ったときは、なるべく母親と会話するようにしているのだが、「今日もお父さんが裕次郎の歌を唄っていたよ」と報告してくれるのだ。もう祖父が亡くなっていることはわかっているはずだが、怖がっている風でもなく、ただ単に不思議がっているという口調なので、わたしも適当に相槌を打って聞き流している。
 最近の母親の口癖は「金さん銀さんのようになってしまう」。100歳を超えるまで長生きした双子の姉妹のことである。「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳。ダスキン呼ぶなら100番100番」のCMで人気者になった。姉の成田きんさんは107歳、妹の蟹江ぎんさんは108歳の天寿を全うした。
  きんさんぎんさんの名古屋弁が印象に残っているようで、「あんな恥ずかしい姿を見せとうない」と母親は憤慨する。見ている分には微笑ましくて愛らしい双子のお婆ちゃんだったが、自分がそんな年齢になれば、見世物のようになってみんなから笑われると本気で心配している。
「大丈夫だよ。100歳まではまだまだ先が長いから」
 そう言って宥めると、
「そんなに長生きはしとうない。はよう死にたい」
 いつものやり取りが始まってしまう。手足が不自由になって、関節のあちこちに痛みもある。とても頑張ってくれとはかわいそうで言えないが、内心、思っていることがある。
 平成天皇が生前退位の希望を表明された。その意向をくんで、どうやら平成は18年で終了、翌年から新しい年号がスタートするらしい。それまでどうにかこうにかたどり着いてほしい。そんな願望をひそかに抱いている。
 母親は大正15年生まれ、もう少しで昭和になる直前である。それから昭和、平成と生き抜いて、次の年号になれば4つの年号を経験したことになる。これは、大きな勲章なのではないか。間近で闘病を見守ってきただけに、凄いことなのだと実感できるのだ。
 そのときは、祖父と一緒に父親も、50代の半ばで急逝した次兄も一緒に登場して、石原裕次郎の歌で祝ってほしい。しかし、その光景を想像しただけで、耳鳴りがしてきそうだ。祖父以外は、わが肉親ながら社会性も協調性も皆無。ハーモニーなど期待できそうもないのである。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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