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 5年ほど前に、信州は伊那谷にある高遠城址公園の桜を見に行った。温泉仲間の旅行に花見をくっつけたのだが、幹事役だったわたしの目的は、最初から高遠の桜にあった。天然記念物になっているタカトオコヒガンザクラを、写 真ではなく、自分の目で見たいと前々から思っていた。
 高遠の桜は、4月上旬に咲き始めて、中旬あたりから満開になる。メンバーの都合で、20日を過ぎて出かけて行ったのだが、その年の桜は開花が遅く、ちょうど満開の時期に遭遇した。一週間前は、まだほとんど咲いていなかったというタクシーの運転手の話に、自分たちの幸運を感謝した。
 さて、高遠の桜であるが、一目瞭然、ソメイヨシノの白っぽい花とは色が違っている。高遠の桜は、本当にピンク色をしているのだ。その艶やかな姿を目にしたとき、なんだかとても懐かしい気がした。これが、本物の桜の色だと思った。
 この感覚は何故だろうと考えて、ある結論を得た。高遠の桜は、雑誌や本の写真、あるいは絵画で描かれている桜の色に近いのだ。ソメイヨシノの写真は、見映えをよくするために、花の色をかなり補正しているのだと思う。そうした情報やイメージが子供の頃から刷り込まれているので、桜の花はピンク色だと思い込まされている。いわば、高遠の桜は、みんなの心の中にある理想の桜なのである。
 桃源郷という言葉があるが、桜源郷とでも表現したらいいのだろうか。コヒガンザクラの老木が1,500本、その桜の天然ドームの天井を見上げて歩いていると、足がふわふわと宙に浮いてくるような感覚をおぼえた。確かに、アルコールが少し入ってはいた。しかし、そんな物理的な酔いではなかった。目の網膜から、艶麗な花弁の色素がじわじわと染みこんで、魂が酩酊するのである。
 このまま死んでもいいな、そんな感慨さえ覚えた。西行法師を気取るつもりはないが、高遠の満開の桜の下で死ねたら……、いや、死ぬのではなく、天に昇るのだ。高遠は、尸解(しかい)の場所なのかもしれない。

尸解:仙術によって、肉体を残したまま、魂だけ体外へ抜け出ること。


Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


◆「高遠の桜」の感想


*「文華」の課題作品のテーマ「花」or「華」に参加した作品を改稿しました。
*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別 館に収録されています。


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