T-Timeファイル亜木冬彦&赤川仁洋 作品集表紙に戻る


 メールソフトを立ち上げると、メールが一通、入っていた。タイトルは「無料相談依頼」、身元がわからないように警戒しているのか、送信元にはフリーメールを使用している。
「フジミヤ電脳探偵局」がスタートして、半年余りになる。本業の「藤宮探偵事務所」のホームページとして、依頼人を募集するために開設したのだが、反応はさっぱりだった。まずは訪問者を増やすのが先決だと、無料相談を始めたのだ。
『匿名で失礼します。わたしは、27歳の専業主婦ですが、5歳になる息子のことで、ご相談があります。最近になって、わたしの財布から、ちょくちょくお金をくすねるようになりました。いつも決まって、五百円玉だけを盗って行きます。最初は、わたしの気のせいかと思っていたのですが、度重なるもので、それとなく見張っていたのです。すると、居間にあるわたしのバッグから、息子が財布を取りだしているのを見てしまったんです。
 わたしは、息子の気持を傷つけないように、それとなく何かほしいものはないかと尋ねました。息子は、何も欲しいものはないと言います。でも、相変わらず、五百円玉をときどきくすねています。何か買っているのかと、息子の持ち物を調べても、何も出てきません。
 こうして書いていると、どうして直接、息子を追求しないのだと思われるでしょうね。実は、わたしは後妻で、息子とは血のつながりがないのです。最近になって、ようやくなついてくれたので、この関係をこわしたくはありません。わたしは、どうすればいいんでしょうか? アドバイスをお願いします。』
 真希(まき)は、やれやれとかぶりを振った。
(うちは探偵事務所で、家庭相談所じゃないんだからね)
 それでも、専用のチャットルームのパスワードを記したメールを返信した。以前に、隣の飼い猫に悩まされているという相談を門前払いにしたら、ウィルスメールやアダルト画像の添付メールにしばらく悩まされた。
(でも、この人、相談できるような人が誰もいないんだろうな)
 27歳の継母(ままはは)に、少しだけ同情した。
 真希は、壁掛けの時計の時刻を確認すると、机の上においてあった本を取り上げた。父親の英慈(えいじ)の書棚にあった古い詰め将棋の本だった。駒の動かし方は、その本の解説で覚えた。
 クラスのみんなが熱中しているファミコンなんかより、よっぽどおもしろいと真希は思う。とくに、いろんな種類の駒があって、それぞれの能力が違うところが気に入っている。まるで、人間みたいではないか。それぞれの能力を組み合わせて、王将を詰め上げたときは、魔法のように気持がすっきりした。そう、詰め将棋には、必ず正解があるのだ。今の世の中、答えの出ないことが多すぎる……。
 17手詰めの問題に取り組んでいるときだった。頭の中で、銀が成り込んで金になったところで、電話が鳴り始めた。
「はい、藤宮です」
 返事がなくて、忍び笑いが聞こえてきた。
「ママなの?」
「ピンポーン、梨沙(りさ)ちゃんでーす!」
 真希は、受話器から耳を離して顔をしかめた。
「酔ってるの?」
「当たり前じゃない。お酒を飲めば、人間は酔っぱらうの。そのために飲んでるんだからさあ」
「まだ、昼過ぎだよ」
「だから、どうだっていうのさ。昼だろうと夜中だろうと、あたしが飲みたいときに飲むんだよ。それとも何かい。昼過ぎに酒を飲んじゃいけないっていう法律でもできたのかい?」
 相変わらず、からみ上戸(じょうご)の悪い酒だ。アルコールで熟した息を、フーッと顔に吐きかけられたような気がした。
「そうよ、先月に国会で決まったの」
 ピシャリと言った。受話器が沈黙した。
「おチビちゃんは、相変わらずキツいなあ」
 媚びを含んだ口調になった。旗色が悪くなると、「あたしのかわいいおチビちゃん」と猫なで声で呼びかけるのだ。
(ママのなかでは、わたしは二年前のままなんだ)
 二年前は、クラスで背がいちばん小さかった。あれから身長は7センチも伸びている。クラスでも、前から3番目になった……。
「ところで、あいつは元気にしてる」
「誰のこと?」
 真希はいじわるをした。
「ゴリラ野郎」
 確かに英慈はゴリラによく似ていた。それに、バナナが大好物なのだ。
「うん、元気だよ」
「そうだね。あいつ、体力だけが取り柄だもんね」
 そんなことはないと、真希は心のなかで反発した。
「かわいがってくれてる?」
「もちろん」
 即答した。しばらく声が途切れた。
「あいつ、顔は悪いけど、気持の方はいくらかマシだもんね。まあ、あたしが選んだ男だから」
 そう言って、愉快そうに笑った。
「真希、あんた、何歳になったんだっけ?」
 答えなかった。怒ったのではない。そんな母親だということはよくわかっている。ただ、教えたくなかった。
「真希、あんた、お姉ちゃんになるよ」
 突然の宣言だった。意味がわかるまで、しばらくかかった。
「いつ産まれるの?」
「えーと、いま5ヶ月だから12月だな。そうだ、マリアさんみたいに、クリスマスに産んでやろうか。そうすれば、ケーキがひとつですむもんね」
 真希も頷いた。そうすれば、誕生日を忘れられることもないだろう……。
「真希ちゃんに妹ができるんだ……」
「どうして、女の子だとわかるの?」
「だって、あたしの子だよ」
 真希は納得した。あの雌そのものの母親から、男の子が産まれてくるはずがないではないか。
「きっと、この子は美人に育つよ。あの男、最低のイタチ野郎だけど、顔だけはマシだからね」
 母親にとっては、男はすべて動物なのだ。
「ママ……」
 言葉が出てこない。
「うん?」
「おめでとう」
 喉から押し出した。受話器が沈黙した。
「ありがとう……」
 消え入るような声だった。それで電話は切れた。


 指定した時間にチャットルームに入室すると、5分ほど遅れて相談相手が現れた。ハンドルネームは「ママハハ」、そのものズバリだが、融通のきかない頑(かたく)なな性格を思わせた。
『はじめまして。藤宮探偵事務所の副代表をつとめているマキと申します。』
 肩書きは相手を安心させる。
『すみません。こんなこと、探偵事務所に相談することじゃないって、わかってるんですが、誰も話す相手がいなくて。』
『わたしにも子供がいますから、お気持はよくわかります。』
 嘘も方便だ。
『マキさんは、女性ですか?』
『はい、そうです。』
『なんだかホッとしました。』
『それはよかった。では、あらためて、相談の内容を話していただけますか?』
 真希の要求に、ママハハは、メールとほぼ同じ内容の話を書き出した。
(悪戯じゃないみたいだな)
 真希はそう判断した。匿名性を利用して、デタラメのメールを送ってくる輩(やから)もいるのだ。
『ご主人には相談されましたか?』
 しばらく、返事がなかった。
『わたし、同居している主人の母親に良く思われてないんです。前の奥さんを追い出したような形で、家に入ったから。』
 真希の脳裏に、ある言葉が浮かんだ。「略奪愛」、女性週刊誌の新聞広告によく出てくる文字だ。「奪われる方が悪いのさ」、ママの声が聞こえたような気がした。
『主人にはいつも釘をさされているんです。子供のことでは、義母さんには絶対、心配をかけないようにしてくれって。』
 他人の家で暮らす窮屈さは、真希もよく知っている。
『それで、子供が盗んだお金を何に使っているか、まったく見当がつかないんですね?』
 五百円硬貨ばかりをくすねているのだ。5歳児にとっての五百円は相当に使いでがある。何か目的があるはずだった。
『何かを買っているという様子は、まったくないんです。』
『興味を持っているものはないのですか?』
『鯉、ですかね。』
 意外な答えが返ってきた。
『庭の池で鯉を飼っているんです。以前は母親、息子の本当の母親が世話をしていたらしいのですが、今は息子が餌をやっています。』
 真希は、大きな庭のある旧家を思い浮かべた。それは、真希の生まれた家だった。
『新しい鯉が欲しいとか?』
『錦鯉ですから、とても五百円では買えません。』
 もっともな答えだった。
(新しい鯉を買うために、お金を貯めているのかも)
 真希は、苦笑を浮かべた。錦鯉を買うために、盗んだ金を貯金している5歳児……、そんな子供がいたら、ちょっと怖い。
 このあたりで切り上げようと真希は思った。これは身内の問題だ。辛い立場なのはわかるが、父親に登場してもらうしかないではないか。
『この間も、息子を連れて、近所にある公園に行ったら、その池で飼われている鯉に夢中になりましてね。どうしてここの鯉は、こんなに大きくて色がきれいなのかときかれて困りました。』
『なんて、答えたのですか?』
『きっと、ご馳走をたくさん食べているからだろうと答えました。』
『鯉の餌はどうですか? そのために、お金を使っているのでは?』
『鯉の餌は、専門の業者から仕入れていますから、不足していることはありません。息子の持ち物にも、鯉の餌はありませんでした。』
 即答だった。たぶんこの母親も、最初に鯉の餌を疑ったのだろう。
『でも、思い返せば、息子がお金をくすねるようになったのは、その公園に連れて行ったあとからなんです。』
『なんていう公園ですか?』
 返事がなかった。相手に情報を与えて、身元がバレるのを警戒しているのだ。
『無理に教えていただかなくてもけっこうです。』
 少し突き放した書き方をした。
『宮本庭園公園です。』
 名前だけは聞いたことがあった。横浜の郊外にある公園だった。
『ネットで調べてみますから、こんまましばらく待っててください。』
 真希は、チャットルームから退室すると、検索ページを呼び出して、「宮本庭園公園」で検索した。すぐに、公式のホームページが見つかった。アクセスすると、築山のある立派な庭園の写真が現れた。紹介文を読むと、元子爵の邸宅を、横浜市が買い上げて公園として整備したものらしい。宮本某という元子爵は、錦鯉のコレクターとして有名で、庭園内の池には500匹を超える色鮮やかな錦鯉が飼われていると書かれていた。
 トップメニューの「購買部」をクリックして、お土産品をチェックした。錦鯉のぼり、錦鯉Tシャツ、錦鯉携帯ストラップ等々、錦鯉の名所だけあって、錦鯉に関連したグッズがそろっている。そのなかで、真希が探しているものが見つかった。茶色の封筒に、錦鯉の簡単なイラストが印刷されている。鯉の餌だった。観光客がこの餌を買って、庭園内の鯉に与えるのだろう。
(なんだ、百円なのか)
 その値段に、真希はがっかりした。もっと高価なものを期待していたのだ。五百円あれば、この袋が5つも買えてしまう。頻繁に盗みを働く必要はなかった。
 何か手がかりはないか、サイト内を調べてみた。有名なコレクターだったというだけあって、高価そうな錦鯉の写真が何枚も紹介されていた。中には全身が、黄金(こがね)色や白銀(しろがね)色に輝いている鯉もいる。
(やっぱり、高価な鯉を買うために、貯金しているのかな)
 ある写真で、真希の視線は釘付けになった。それは、池の全体を撮影した写真だった。池の前に、看板が立っている。その文字を見たとき、真希の脳裏で、百円玉が将棋の駒のようにくるりと裏返って、五百円玉に変わった。


『庭の池の中を探してみてください。五百円玉が落ちているかもしれません。』
 チャットルームに引き返した真希は、さっそくそう打ち込んだ。
『どうして池の中なんですか?』
『理由はあとで説明します。とにかく探してみてください。』
『わかりました。』
 しばらく待った。
『ありました! 池の中に、五百円玉がいくつも落ちていました。』
 相手の興奮が、画面の文字から伝わってくるようだ。
『やっぱりそうでしたか。』
 真希はホッとした。
『どうしてわかったんですか?』
『看板です。』
『看板?』
『公園の池の前に立てられていた看板、覚えてないですか?』
『ああ、「こいのエサ百円」と書かれていた看板ですね。』
『息子さん、その看板に興味を持ったんじゃないですか?』
『そういえば、百円という漢字が読めなくて、わたしが教えてあげたんです。すると、百円は百円玉のことかときくので、わたしがそうだと答えると、しばらく不思議そうな顔で、その看板を見つめていました。』
『そのときに、鯉の餌を百円で買うのではなくて、百円玉が鯉の餌なんだと勘違いしたんです。百円玉を与えているから、ここの鯉はこんなに大きくてきれいなのだと思ったんでしょうね。』
『でも、うちの池に落ちていたのは、五百円玉ですよ。』
『百円玉よりも五百円玉を与えた方が、もっと大きくてきれいに育つと考えたのだと思います。』
『ああ、あるほど。』
 しばらく間が空いた。
『子供らしい勘違いだったんですね。安心しました。』
『息子さんにきけば、素直に答えてくれるはずですよ。』
『そうかもしれません。』
『相手に遠慮していたら、いつまでたっても本当の家族にはなれませんよ。』
 相手が、再び沈黙した。
『あなたの言われる通りです。わたしは自分のことばかり考えていました。』
 真希は大きく頷いた。
『なんだか、子供の頃に亡くなった母親に、しかってもらったような気がします。』
 真希は、ペロリと舌を出して笑った。しかられた相手が、小学6年生の子供だと知ったら、どんな顔をするだろうか……。


 英慈は、色黒の肌をさらに日焼けさせて帰って来た。今日の仕事は、草野球の助っ人だった。本業の探偵事務所の依頼はさっぱりで、友達がやっている便利屋から仕事をもらっていた。以前は、大手の興信所の下請けをやっていたのだが、調査相手の人妻と恋仲になってしまい、仕事を干された。その人妻が、真希の母親だった。
「はい、お父さん」
 風呂上がりで、濡れた頭髪をタオルで拭っている英慈の前に、ビール瓶とグラスを置いた。
「おっ、今日は豪勢だな。何かいいことあったのか?」
 いつもは、缶入りの発泡酒だった。瓶ビールは、来客用かお祝い用だと真希が勝手に決めていた。
 ママの電話のことが脳裏をよぎった。言えるわけがない。自分を捨てて出て行った妻を、英慈は忘れられないのだ。あと5年もすれば、と真希は思う。体だって大きくなるし、ママに負けない美人になる。梨沙が真希を産んだのは、17歳のときだった。
「ホームランのお祝いだよ」
 そう言って真希は、英慈のグラスにビールを注いだ。
「打ったんでしょ? ホームラン」
 英慈が笑顔で頷いた。英慈は昔、甲子園球児だった。しかし、そのときのことを英慈はほとんど話してくれない。
「お父さん、乾杯しようか」
 真希は、冷蔵庫からサイダーの瓶を取り出すと、栓を抜いてグラスに注いだ。
「何に乾杯するんだ?」
「わたしとお父さんの未来に!」
 照れくさそうな英慈のグラスに、真希が自分のグラスをカチンと当てた。
(わたしが選んだんだ)
 うまそうにビールを飲み干す英慈を見ながら、真希はそうつぶやいた。
(いろいろあったけど……)
 これから生まれてくる妹に話しかけた。
(わたしは今、幸せだよ)
 アルコールやニコチンで(しいた)げられている妹に向かって、真希はもう一度、小さくグラスを掲げた。


Copyright(c): Fuyuhiko Aki 著作:亜木 冬彦

◆「五百円玉の謎」の感想

*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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