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 何年か前の夏休みに、気ままなひとり旅に出たときのことだ。相棒は「青春18きっぷ」。春、夏、冬と、学生の長期休暇に合わせて発売される特殊切符で、鈍行や快速などのJRの電車が乗り放題という、貧乏旅にはありがたい“通 行手形”だ。5日分で11,500円。夜行を利用してうまく乗り継げば、1日分2,300円で東京から九州の熊本まで行けるだけのパワーを秘めている。ネーミングや発売期間から、学生専用の切符のように誤解されているが、年齢制限は設けられていない。
 早朝に東京を発って、中央本線の鈍行を乗り継ぎながら名古屋に到着。さらに京都まで出て、青春18きっぷが使える松山行きの夜行列車に乗り込んだ。車中での一泊も、貧乏旅行の定番である。手元に文庫本さえあれば、退屈することはない。文字を追うのに倦(う)んだら、車窓の景色をぼんやり眺めている。とても贅沢で、わたしにとっては至福の時間である。
 四国からはフェリーで九州に渡った。まるでフェリーと併走するように、トビウオが海面を滑空している。透明な羽鰭が翡翠のようにキラキラ輝いて、見飽きることがない。観光地の名所旧跡にはあまり興味のないわたしにとって、こうした光景こそが、旅の大切なお土産である。
  別府の近辺の安宿にもぐりこんで一泊、明朝は九州を横断する久大本線に乗って、次の宿泊予定地である佐賀に向かった。わたしは大の温泉好きなので、由布院、天ヶ瀬と途中下車して、露天風呂を楽しんだ。
 その天ヶ瀬でのことだ。玖珠(くす)川の河原に、入浴無料の素朴な露天風呂が点在している。大きめのものを選んで、青空の下、川辺の野趣あるれる温泉を堪能した。
 風呂あがりに、河原で石を拾った。楕円形の平石で、くすんだ翠色をしている。手のひらにしっくり収まるちょどいいサイズだった。わたしが勝手に“握り石”と命名している健康法がある。石をギュッと握りしめることで、手のひら全体の関節やツボを刺激する。以前に指関節の強ばりに悩まされて、なんとはなしに始めた自己療法だが、ウォーキングと併用すると思いの外、効果があった。この握り石を旅先で拾って帰るのが、わたしの習慣のようになっていた。
 拾った翠色の石をギュッギュッと握り締めながら、天ヶ瀬の駅に戻った。その頃から、なんだか急に空模様が怪しくなってきた。ポツリぽつりと降り出した雨が、天ヶ瀬から日田まで出て乗り換えの電車を待っているときには、バケツをひっくり返したような豪雨になった。電車が不通になって、2時間以上も待たされた。ようやく佐賀に到着したときは、すでに夕方の6時近くになっていた。それからバスに乗ってさらに30分、寂れた商店街で降車した。厚い雲が空を覆い、霧雨が夕暮れ時の景色をおぼろに染めている。
 ガイドブックの地図を頼りに、その日の宿に予定している健康ランドを目指した。仮眠施設のある健康ランドは、気ままな独り旅にはとてもありがたい味方である。それに、宿屋の窮屈な部屋で独り寝の寂しい夜を過ごすよりも、いささか猥雑でにぎやかな健康ランドの方が、リーズナブルなわたしの性格には合っているようだ。
 しかし、目的地の健康ランドはなかなか見つからない。ガイドブックの地図が大ざっぱ過ぎるのだ。いつしか道に迷って、大きな土手の前に出た。その土手を登り切ると、広々とした河原だった。その川下に、橋がかかっているのが見えた。
 わたしは、その橋に向かって歩き始めた。理由は何もない。ガイドブックの地図には、そんな川のことも橋のことも載っていない。歩き疲れているはずなのに、不可解な衝動に駆られて、足が猛然と動き出したという感じだった。
 その橋の上に立って、茶褐色の濁流が渦巻く川面を見下ろしたとき、濡れたスニーカーの足元から寒々とした冷気が這い上がってきた。そして、どうして自分がここまで来たのか理由がわかったような気がした。わたしは、手の中の石を強く握り締めると、大きく振りかぶって投擲(とうてき)した。翠色の石が水の中に飛び込む音が、耳の奥で響いた。わたしはホッとして、すぐに川から離れた。
 しばらく歩くと、健康ランドの建物が見えてきた。いつの間にか、雨は上がっていた。


Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


◆「石の話」の感想


*「文華」の課題テーマ「怖い話」に参加した作品を、加筆改稿したものです。
*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別 館に収録されています。


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