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 8月16日(木)の早朝、最寄り駅のJR中央線・東小金井駅から、八王子駅まで出た。ここで、6時30分発の松本行き普通列車に乗り換えるのだ。大きな登山用のザックを背負った姿が、ホームのあちこちで目に付く。中高年の登山ブームは、いまだ健在だ。
 始発なので、ゆっくりと座席を確保することができた。わたしはいつも、ひとり旅のときはドアの脇にある横長のシートに坐る。足が伸ばせてくつろげるからだ。ボックス席は、ひとりかふたりのときは快適だが、4人がすべての座席を占めると、身も心も窮屈な思いをすることになる。
 用意してきたパンと携行ポットの紅茶で、軽い朝食をすませた。それにしても、冷房が効きすぎて肌寒い。冷房のないアパートの部屋でひたすら蒸し暑さに耐えてきた身体に、ドライな冷気は強烈すぎる。すぐにアノラックのジャンバーを取り出して、半袖のシャツの上に着込んだ。夏の旅には、長袖の上着は必需品だ。それから、下痢止めの薬。炎天下の中を歩いて大汗をかくと、つい清涼飲料水をカブ飲みしてしまう。それできつい冷房車の中に入ったら、わたしの場合はまず腹にくる。もし、トイレのない電車だったら……。
 冷房に肌寒さを覚えているのは、わたしだけではないようだ。露出した肌を手のひらでこすりながら、あちこちで不平の声が聞こえる。この冷房、背広を着たサラリーマンが快適に過ごせる温度だというJRの見解を、どこかで耳にしたことがある。しかし、車内を見渡しても、背広にネクタイ姿のサラリーマンは一人もいない。たとえサラリーマンがいたとしても、上着を脱いでもらえばすむことだ。車掌が車内の状況を判断して、冷房を調節するぐらいの柔軟さを持てないものか。このあたり、旧国鉄時代の公務員体質はまだ残っている。
 冷房のことは残念だが、わたしは電車に乗るのが大好きだ。混んでいる電車はノーサンキュウだが、こうして鈍行列車の心地よい揺れに身を任せていると、旅に出るんだという実感が体中にじわじわ満ちてくる。いつになく早起きして寝不足のはずなのだが、まず車中で眠ることはない。窓の外の景色を眺めて、文庫本を読んで、車内の人の動きを観察して、そして、ぼんやりと考え事に浸る。この繰り返しだ。退屈ではない、とは言わない。長時間、同じ場所に坐っていると、やっぱり物憂い気分になってくる。でも、それが嫌いではないのだ。とても贅沢な時間の遣い方、と書けば、気取りすぎだろうか。
 お仲間をひとり、見つけた。六十年輩の爺さんで、特急や急行列車の通過待ちで停車時間が長いときには、せかせかとホームに飛び出して、改札の方に向かっている。駅のスタンプを集めているのだ。実は、わたしも昔から、駅や施設の記念スタンプを集めている。理由は単純、タダだからだ。旅先で自分の土産物を買うことはほとんどないので、写真を撮らなければ、そのスタンプが唯一の記念品ということも多い。しかし、この爺さんのような熱意はない。目的地の駅や、乗り換えで時間があるときにスタンプ帳を取り出すぐらいだ。爺さん、車両に引き返して来るときには足取りも軽く、子供のような無邪気な笑みを浮かべている。
 お仲間、と書いたのは、スタンプのことではない。爺さんが改札を通るときに手にしていた長細い切符、たぶん、「青春18きっぷ」に間違いないと思う。春、夏、冬と、学生の長期休暇に合わせて発売される特殊切符で、普通や快速などのJRの電車が乗り放題という、貧乏旅にはありがたい“通行手形”なのである。5日分で11,500円。夜行を利用してうまく乗り継げば、1日分2,300円で東京から九州の熊本まで行けるだけのパワーを秘めている。ネーミングや発売期間から、学生専用の切符のように誤解されているが、年齢制限は設けられていない。
 わたしも今回の旅では、この切符を使っている。すでに3日分が消費されている。押印を見ると、北海道までの大旅行だ。友達の知人が、東京を引き払って帰郷するときに使ったのだという。余った2日分を、わたしが4,000円で譲り受けた。北海道旅行のあとを引き継ぐのだ。チンケな旅はできない。北陸まで行こうと決めた。理由は単純、自分がまだ歩いたことのないエリアだからだ。
 大まかな行き先は決めたものの、行程は何も考えていない。旅の直前までホームページの更新作業にかかり切りで、気持や時間の余裕がなかったということもある。しかし、本音は、勝手気ままな旅がしてみたいという欲求がいつになく強かったのだと思う。「文華」の締め切りに追われた日々の反動だろうか。「金沢・能登・北陸」というタイトルの観光ガイドを持参していたが、すでに電車の中だというのに、まるで読む気になれないのだ。漠然とだが、とりあえず今日は金沢まで行こうと考えていた。
(いや、富山にしよう)
 唐突にひらめいた。それで決まりだった。ザックから“虎の巻”を取り出した。もう一年以上も前だが、インターネットで、宿泊できる健康ランドの情報を集めているサイトを見つけた。これは役に立つと思った。そのときプリントアウトしたものの中から、北陸エリア分を抜き取っておいたのだ。富山市内に、適当な施設が見つかった。今夜の宿が決まった。
 松本着10時17分、大糸線に乗り換えた。11時6分発南小谷(おたり)行き、車内はけっこう混んでいる。大糸線は別名、北アルプス線と呼ばれている。北アルプスのすそ野に沿って走っている。穂高や白馬といった駅名もある。山に川に湖と、景観は最高だった。冷房がさして強くないのもありがたい。次第に登山スタイルの乗客の姿が消えて、13時8分に終点の南小谷に着いた。

 意外とちんまりした駅なので、正直、驚いた。時刻表では、この南小谷止まりの便が多い。他の線が交差しているわけでもなく、どうしてこんな中途半端な位置にある小さな駅が終着駅なのだろうか。この理由は、旅行後に自宅の大判の時刻表を眺めていて判明した。大糸線の南小谷までがJR東日本の管轄で、次の中土からはJR西日本の管轄になっている。しかし、どうしてそこで区切ったのかという疑問は残る。長野と新潟の県境は、中土の次の北小谷と平岩の間にあるのだから。
 南小谷で昼食の予定が、駅の構内には何もない。外に出て辺りを見渡しても、チェーン店風のラーメン屋があるばかりだ。信州蕎麦を食べるつもりが、ニンニクラーメンに変わってしまった。でも、空腹もあっておいしく食べられた。
 駅のホームに戻ると、糸魚川行きの電車待ちの乗客があちこちでたむろしている。あのスタンプ爺さんの他にも、見覚えのある顔がちらほら。イエス・キリストのような風貌の外人さん、昔のヒッピーという言葉を思い出した。みんな、青春18きっぷのお仲間か、乗車券だけの利用客だ。鈍行を乗り継いで遠征するには、選択できる電車は限られている。それも、意地が悪いほどに待ち合わせ時間がたっぷり取られている。急行や特急を利用させようという魂胆が見え見えだ。せめて青春18きっぷの利用期間だけでも、鈍行の長距離列車を増やせないものだろうか。
 14時1分発の糸魚川行きで、約一時間で終点到着。これで、東京、神奈川、山梨、長野、新潟と、日本を縦断したことになる。いよいよ北陸本線だ。15時17分発の富山行きに乗った。かなり混んでいる。やがて、車窓の向こうに日本海が見えてきた。藍色がかった深い青色、群青色という言葉が浮かんだが、多分にイメージ的な感慨で、適切な表現かどうかは自信がない。
 しばらく海沿いを走ったあとで、田園地帯に入った。青々とした水田の中に、すでに黄金色の穂を実らせている田んぼが点在している。早場米だろうか。夏色の中に、パッチワークのように秋色が入り込んでいる――、これはちょっと気取り過ぎか。
 16時27分、富山着。いやはや、富山も暑い。北陸という言葉のイメージを裏切る、ジトッとした暑気に包まれて、いささかたじろいた。車内の冷房に慣れてしまったので、余計にそう感じたのかもしれない。
 駅の構外に出ると、近くにある広場に、薬売りの銅像が立っていた。とりあえず、周辺を散策する。情報が何もないので、ただ歩き回っていただけだ。正直、商店街が少なくて味気ない。繁華街は駅から離れた所にあるのだろうか。

 ひとつだけ、面白い場所を見つけた。ビルの隙間に「シネマ食堂街」という古びた看板が架かっている。新宿の思い出横町やゴールデン街といった雰囲気だ。わたしが酒飲みならば、じっくりと探訪してみるのだが、あいにく体質が下戸に近い。話し相手がいれば、愉快な話を肴にそれなりに付き合えるのだが、独酌だとたちまち悪酔いして気分が悪くなってしまう。
 今夜のねぐらである「東洋健康ランド」に電話して、送迎バスの時間と乗車場所を確認した。駅前のコンビニで、健康ランドの前売り券を買おうと思ったのだが、扱っていないと冷たくあしらわれた。サイトの資料では、コンビニなどで売っている前売り券を買うと、入場料が500円安くなると書いてある。諦めきれないので、観光案内所の窓口で尋ねると、駅ビルのクリーニング屋で扱っているという。無事、前売り券を購入することができた。入場料1,300円、これに深夜料金の900円が加算されて、2,200円で一泊できる。この安さと、ひとりで予約もなしに気軽に利用できるのが一番の利点だろうか。
 今度は、食事をする場所を探して歩いたが、目指す店がみつからない。せっかく富山まで来たのだから、海のものを食べようと思った。よし、寿司にしよう。でも、一見の寿司屋に入るのは気が引けるから、回転寿司にしようか。東京にいる感覚で、すぐに見つかると思ったのだが、一件もない。仕方がないので、健康ランドの中で夕食をとることにした。
 送迎バスの乗合場所である富山ステーションホテルの玄関先に向かうと、すでにワゴン車が待機していた。腕時計を見ると、電話で確認した午後17時40分まで、まだ2分の余裕がある。時間ぴったりだと思った瞬間、いきなり車がスタートした。おいおい、それはないよと、手を振りながらあわてて追いかけたが、そのまま走り去ってしまった。結局、一時間あとの次の便に乗ったのだが、運転席のデジタル時計は、きっちり2分だけ進んでいた。
 腹立たしいが、そのせっかちな時計のおかげでささやかな愉しみを得た。今度は乗り遅れないようにと、早めにステーションホテルの前で待っていた。すると、艶やかな外人美女たちが、ホテルの玄関から姿を現した。まるで競うように、ボディラインを強調した露出度の高い洋服を着ている。容貌から、ロシア人だと推測した。派手な外見に比べて、どこかうぶな印象を受ける。レディファーストの世界で染みついた尊大さがない、と書けば、世の女性たちの顰蹙を買うだろうか。
 彼女たちは、小グループに分かれて、駅の方に歩いて行く。どうしても、後ろ姿を目で追ってしまう。引き締まったプロポーションはダンサーだろうか。わたしの視線に気づいたように、ひとりが振り返った。金髪の西洋ドールのような顔に、無邪気な、そしてしたたかな笑みが浮かんだ。わたしはドギマギして、あわてて視線を伏せた。男兄弟の中で育ったせいか、いくら年齢を重ねても、女性に対しては万年ビギナーのままだ。
 送迎バスは、わたしを入れて3人の乗客を乗せて、東洋健康ランドに向かった。途中で、ドライブイン形式の大きな回転寿司屋を見かけたが、ここで降ろしてくれとも言えず、10分足らずで目的地に到着した。建物はかなり年季が入っているが、内装は全般的に清潔に保たれている。

 まずひと風呂浴びて、いや、いくつもの風呂を浴びて、汗ばんだ肌の汚れを洗い流した。煎じ薬のような漢方風呂、鮮やかなグリーンのドクダミ風呂、乳白色のアロエ風呂等々、温水プールまで用意されていて、ついつい長湯になってしまう。受付で手渡された室内着に着替えて、食堂に向かった。
 いやはや、びっくりした。畳敷きの大きな食堂には、びっしりと人が入っている。圧倒的に中高年の女性の数が多い。座敷の奥にある舞台では、着物姿のいかつい顔のおっちゃんが、カラオケに合わせて気持よさそうに声を張り上げている。どうやら、歌謡ショーの時間帯にぶつかってしまったようだ。とても食事ができる雰囲気ではなかった。健康ランドの不便な点は、いったん入場してしまえば、もう外には出られないことだ。
 結局、その日の夕食は、自動販売機のきつねうどんと缶入りのリンゴジュースになってしまった。まったくトホホだが、食への欲求はいたって淡泊なので、おなかが膨らめばもう食い物へのこだわりは霧散している。つくづく安上がりな人間だと、自分でも思う。
 ロビーで新聞や雑誌を読んだり、娯楽室でテレビを見たりして過ごした。もちろん、メインはお風呂だ。サウナルームに入ったときだった。先客に爺さんがひとりいた。テレビの中継を見ながら、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ひゃっひゃっひゃ、ホームランを打たれてやがんの」
 愉快そうに、わたしに話しかけた。画面は、巨人―中日戦を実況していた。
「得点は、何対何ですか?」
 何か言葉を返さなければと思い、わたしが尋ねた。爺さん、ちょっと小首を傾げて、
「0対0……」
 うん? とわたしは思った。画面は、ホームランを打った中日の選手が、ベンチ前で出迎えられているシーンを映している。
「いや、2対2だ」
 爺さんはそう言って、また愉快そうに笑った。爺さんが出て行ったあとで、画面のそばに寄って得点を確認した。3対8で中日がリードしていた。
 9時過ぎには、もう仮眠室のベッドにもぐりこんでいた。ここの仮眠室は充実している。二段ベッドになっていて、間を板で仕切ってある。いびきを遮ってくれるので、これはありがたい。仮眠室としては、これがギリギリだろうか。建前上は、仮眠室はあくまで“仮眠”のためのものであって、宿泊用ではないのだ。詳しいことは知らないが、法律上の問題が絡んでくるのだと思う。
 熟睡できたとは言い難いが、朝方の5時にはベッドから降りて、朝風呂に向かった。ひとり、露天風呂に浸かっていると、秋の虫がうるさいぐらいに鳴いている。一応、天然温泉だが、湯質は今ひとつ。でも、早朝の冷気が火照った肌に心地良い。今日もよく晴れている。
 洗髪して、備品の使い捨てひげ剃りでひげをあたった。ついでに歯も磨いてしまう。朝の歯磨きをする習慣はないのだが、貧乏性なので、備品を使わないと損した気分になってしまう。クローゼットの前の薬用リキッドやアフターシェーブローションも、たっぷりと使わせてもらった。
 フロントで深夜料金を精算するときに、ロビーの階段下の小さな休憩スペースに、子供たちが3人、寝ているのが見えた。たぶん、姉妹なのだろう。3人とも、まだ小学校に上がる前の年端の行かない子供たちだ。親の姿はなかった。 つい、いろんなことを想像してしまう。
(家族で、遊びに来ているんだったらいいんだけど……)
 6時半に、健康ランドを出発した。わたしは旅に出ると、無性に歩きたくなる。最寄り駅には向かわないで、富山駅を目指した。一本道なので、迷うことはない。昨日の送迎バスに乗ったとき、歩いて約30分と計算した。早歩きで大汗をかいて、たっぷり40分以上かかってしまった。
 地下道を降りて、駅の地下にある広場に足を踏み入れたときだった。男の大きな声が、辺りにこだましている。毒蝮三太夫のようなダミ声だ。誰かがラジオでもかけているんだろうと思った。ベンチで夜を明かしたのか、ホームレスがひとり、ベンチで熟睡している。
 広場を横断すると、その声の主がわかった。野球帽を被った初老のおっちゃんが、公衆電話の受話器に向かって声を張り上げている。「おばちゃん」という言葉が聞こえた。
「お盆やけえ、たのむよ……」
 おっちゃんの声が涙声になった。
「お盆やけえ……」
 あとはもうその繰り返しだ。
「ありがとう」
 通り過ぎたあとで、おっちゃんの弾んだ声が背後で聞こえた。
(良かった……)
 そう呟いたあとで、そのおっちゃんの人生をあれこれと想像してしまった。里心がついて故郷に帰って来たものの、実家を訪ねることもできずに、昨夜はこの地下のベンチで悶々とした時間を過ごしたのだろうか。仏壇の前で、懺悔している姿が思い浮かんだ。
『お盆やけえ……』
 振り絞るようなおっちゃんの声が、まだ耳の中に残っていた。
(お盆、なんだよな)
 広島の年老いた両親のことを思った。
「さあ、朝飯にするか」
 声に出して、歩を早めた。

《つづく》


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