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 朝食は、吉野屋の牛丼を食べてしまった。わざわざ富山まで来て牛丼はないだろう、と自分に呆れながら、みそ汁をつけても330円の安さに満足。吉牛は、学生時代の徹夜麻雀明けの定番だった。食べ過ぎて、その匂いを嗅いだだけでゲンナリしたものだ。久しぶりに食べる吉野屋の牛丼は、なんだか上品な味に思えた。
 駅の構内にある観光案内のパンフレットで、立山連峰が眺望できる場所を探した。これが、富山で一泊した理由だった。自作の小説「メドゥーサの瞳」では、主人公が富山出身という設定になっている。立山連峰の勇壮な姿を見て育った……、これはわたしが資料を調べて抱いたイメージで、実物を見てみたいと前から思っていた。間抜けなことに、そのことを旅に出るまで忘れていた。
 富山駅から富山港線のワンマン電車に乗った。夏休みのはずなのに、制服を着た高校生で車両はいっぱいだ。茶髪に携帯電話、東京と同じ光景だった。自然と会話が耳に入ってくる。しゃべり言葉に興味を引かれた。語尾に「〜と」をつけるのだ。なんだか九州の福岡辺りのイントネーションに似ている。地元の高校生なので、たぶん富山の訛だとは思うのだが……。
 話題はやっぱり、携帯電話やメールが中心だった。屈託なくはしゃいでいるが、言葉の裏の繊細な気遣いや緊張感を、わたしは感じ取ってしまう。多分に、思春期の頃の自分を重ねてしまうからだろう。「蓮町」という駅で高校生たちがいっせいに降りてしまうと、車両にわたしひとりだけが取り残された。なんだか、玉手箱を開けてしまった浦島太郎の気分だ。

 富山駅から25分足らずで終点の岩瀬浜に到着。年季の入った無人の駅舎から歩いて10分ほどで海水浴場に行き着いた。まだ朝の9時前なので、泳ぎに来ている人はまばらだった。波よけの巨大なテトラポットが大量に、沖合いの海中に沈められている。その向こうはあの群青色の日本海が広がっている。
 ストラップのついたサンダル靴を履いていたので、靴下を脱いで砂浜を歩いた。目を凝らして砂地を眺めると、あった、あった。少し黒みがかった砂の上に、小さな貝殻が散在している。ほとんどがワイシャツのボタンくらいのサイズだ。取り上げて見ると、扇形をした貝の付け根の部分に、小さな穴が空いているものがけっこうある。まるでペンダントにするために人工的に空けたようだが、海底で擦られてできたものなのだろう。
(うん?)
 とりわけ鮮やかな色の貝殻を見つけた。小指の先大のサイズで、紫色に輝いている。取り上げると、二枚が折り重なるようにくっついていることに気づいた。はがすと下の貝に、どういうわけか星のマークのシールが貼り付けてある。あっと思って、すぐに放り出した。貝ではなくて、最近はやりの女の子の付け爪だった。

 しばらく、潮風と砂の感触を楽しんで、富山港に向かった。埠頭の入り口には、超特大のテトラポットが二つ、門番としてデンと構えている。まるで港を守る仁王像のようだ。ちょっと道に迷ったが、目的の富山港展望台までどうにかたどり着いた。観光パンフには、富山湾・能登半島・立山連峰が一望できると書いてあった。
 エレベーターはなく、大汗をかいて階段を上った。無料なので仕方がない。あまりに階段が長く感じられたので、帰りに段を数えてみたら、101段もあった。で、その成果だが、残念ながら立山連峰を目にすることはできなかった。窓ガラスに立山連峰の山並みが白線で描かれていて、その名前まで記されているのだが、遠景がぼんやりしたモヤで霞んでいる。やはり、水蒸気の多い夏には見えないらしい。

 岩瀬浜から電車に乗って、富山駅まで戻った。ホームのキオスクで、「ますのすし」を売っていた。鱒を使った押し寿司で、学生時代につるんで遊んでいた友達が、帰省のお土産に毎回、買ってきてくれた。正直、苦手な部類の食感なので、またかといった顔をすると、富山はこれしかないんだよと、哀しそうな顔で抗議した。
 その友達は、卒業試験に失敗して、少し精神的に不安定になった。「電車に乗っていると、俺のことをまわりのみんながガス臭いと噂するんだよ」、真剣な表情で訴えた顔を、今でも覚えている。半年後にどうにか卒業して、せっかく大手の製薬会社に就職できたのに、山陰の赴任先を嫌ってまた東京にまい戻って来た。そして、友人の結婚式をすっぽかして、そのまま姿を消してしまった。以来、音信不通になっている。
 なんだかその友達の、弱い面ばかりが脳裏に浮かんでくる。今ではそうした想い出も、いとおしく思えてくる。
(富山に戻っているのかもしれないな)
 車窓の景色を見ながら、そう思った。
 北陸本線の上りで、富山から一時間足らずで金沢に着いた。改札を出て、駅ビルのトイレに入ると、黒いスーツ姿の中年男が、便器の上の棚に何やら並べている。ちょっと眺めて、小首を傾げながら位置を直した。そして、満足そうに頷いた。
 男が出て行ったあとで、便器の前に立つと、棚の上には写真大のピンクチラシがずらりと並べられている。それも、置いてある角度を微妙に変えたり壁に立てかけたりと、まるでコラージュの飾り付けのようだ。下着姿の美人のお姉さんが、にっこりと笑ってわたしを歓迎してくれた。
 駅ビル内の土産物屋をしばらくひやかして、北陸鉄道浅野川線で終点の内灘まで行った。距離も時間も、富山―岩瀬浜と同じくらいか。旅に出る前に、ひとつだけ行ってみたい場所があった。内灘砂丘、鳥取砂丘に次いで、日本で2番目の規模の砂丘だという資料を、どこかで読んだ記憶がある。鳥取砂丘は、子供の頃に行ったことがあるらしいのだが、記憶には残っていない。広大な砂漠の雰囲気を、ちょっぴりでも味わってみたかった。
 内灘駅から海岸に向かう途中の交差点で、ひどく古びた地下道に出くわした。階段の入り口には、大きな警報灯が設置されている。いかにも、過去に何か事件があったという警告のようだ。階段を降りると、ひんやりした冷気が身体をつつんだ。霊感の部類にはとんと疎いわたしでも、“何か”を感じてしまう。警報灯のお世話にならないうちに、足早に地下道を通り抜けた。
 交差点を過ぎると、道路の脇に小さな地蔵堂が建っている。本尊の背景に使われているカラフルな垂れ幕に惹かれて、写真を撮らせていただいた。ふと、あの地下道のことを思い出して、お地蔵様の前で神妙に掌を合わせた。

 

 坂道をどんどん下って行くと、内灘海岸だった。きれいな白砂のロングビーチの向こうには、日本海が広がっている。よく晴れ渡った空の下、ウインドサーフィンやジェットスキーを楽しんでいる。まるで神奈川の湘南海岸や伊豆の新島のような雰囲気だが、決定的に違っているものがある。海の色が深いのだ。多くのものを内包している深さだと思った。この日本の海は、はるか昔の神話の世界につながっている……。じっと“群青色”の海を眺めていると、そんな感傷的な気分になってくる。

 ビーチの手前にある丘の上を、能登方面に向かって歩いた。サラサラした細かい砂地に靴底がめりこんで、蟻地獄のような跡を残して行く。こんもりした丘の上に立って、周囲を見渡した。そして、自分の望んでいた景観はもう存在しないのだということに気づいた。丘を挟んで海の反対側には、明らかに砂地を開墾したということがわかる畑が広がっている。その先の防砂林の向こうは、もう住宅地だ。人工の力で、広大な砂丘はこの“砂の丘”と海沿いの砂浜を残すだけになってしまった。
 やれやれと、ザックを降ろして、砂地に腰を落とした。自動販売機で買っておいたコーラで、渇き切った喉を潤した。
(こんな所に、わざわざ来るやつはいないだろうな)
 遠近法を忠実に守りながら、海と砂浜が能登まで続いている。
(でも、悪くはないな)
 綿飴のような雲を見ながら、そう思った。

 帰りの電車の冷房にやられて、お腹をこわしたので、昼食抜きになってしまった。金沢駅からバスに乗って、兼六園に行った。ひとり旅の時は、観光地にはあまり近づかないようにしているのだが、兼六園というブランドイメージは強烈だ。わたしのようなひねた旅行者でも、兼六園だけは行っておかなくては、という強迫観念にも似た思いがある。しかし、家族連れやアベックばかりで、やはり侘びしい思いをしただけだった。時期も最悪だ。真夏の太陽は、日本庭園のしっとりした情感にはそぐわない。園内を足早に一周して、外に出た。
 金沢の街を散策しながら、今夜の宿に向かうつもりだった。金沢に来る前は、ビジネスホテルに泊まる予定でいたが、駅の観光案内で健康ランドの700円の割引券を見つけて気が変わった。つくづく小銭に弱い人間だと自分でも思う。
 香林坊の繁華街を抜けて、「長町武家屋敷跡」という案内板に導かれて路地に入った。両脇を漆喰の土塀に囲われた石畳の小道が続いている。古(いにしえ)の城下町ならではの景観だが、強烈な西日が石畳で照り返されて、まるでオーブンで焼かれているようだった。麦藁帽子を目深にかぶって、迷路のような路地を小走りで逃げ出した。
 それで方向感覚が狂わされたのか、散策というより彷徨しているような感じになってしまった。それもまた、楽しい。思えば、こうして見知らぬ街を歩き回ることが、わたしの旅の目的なのかもしれない。さすがに歩き疲れた頃に、犀川にぶつかった。河原の芝生に腰を降ろして、水面を渡る風に吹かれながら、缶ジュースを味わった。黒い糸トンボが、ゆったりと目の前を横切って行く。

 川縁の遊歩道が途切れるまで歩いて、また街中に入った。自分では、目的地の健康ランドの方角に向かっているつもりなのだが、いくら歩いても観光案内の地図にある目印まで到達しない。これは変だと、じっくり調べて見ると、全く逆方向に向かっていたことに気づいた。地図を逆さまに見ていたのだ。さすがに疲労を覚えて、少し早いが夕食をとることにした。
 いかにも大衆食堂といった店構えの暖簾をくぐって中に入ると、婆さんが一心に高校野球のテレビ中継に見入っている。「すいません」と声をかけたが反応がない。そばに近づいてもう一度、声をかけると、びっくりした顔で振り向いて、もぐもぐと言い訳をした。
 刺身定食を注文して待っていると、婆さんが湯飲みに入れた麦茶と夕刊を持って来てくれた。喉が渇いていたので、麦茶を一気に飲み干すと、婆さんがすぐにお代わりを持って来る。結局、3杯お代わりしてしまった。これは、わたしが食べているときも一緒で、湯飲みの中が半分ぐらいになると、待ちきれないように婆さんが新しい麦茶を運んで来る。
「また来てくださいね」
 お金を払うときに、婆さんにそう言われた。正直、刺身は明らかに冷凍もので、また食べたいという味ではない。それに、もう金沢に来ることはないかもしれない。曖昧に頷いて店を出ようとしたときに、もう一度、念を押された。
「また来てくださいね」
 仕方がなく、「はい」と返事をすると、婆さんが笑った。その心底うれしそうな笑顔を見て、わたしも半分その気になっていた。

《つづく》


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