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 好んでひとり旅に出掛けるようになって、5年ぐらいになるだろうか。それ以前は、気ままな単独行に憧れはあっても、自分には不向きだと思っていた。口下手で人見知りを自認しているので、見知らぬ土地にひとりで出掛けて行っても楽しめないだろうと考えていた。
 で、どうして心変わりしたのか? 無理をして人とふれあうこともないと考えるようになった。旅先の風物の中をただ歩き回るだけでもいいじゃないか――、そう思えるようになったのだ。これは、年齢の影響が大きい。若い頃には、自分が変貌できるのだという可能性を、心のどこかで夢想していた。しかし、30代の後半にもなると、自分という存在の業の深さにホールドアップしてしまった。変わりようもない“自己”と、この先も付き合って行くしかないと諦めたのだ。いたって消極的だが、ようやく自分を認めたという言い方もできる。
 で、その結果は? いささか頑なになったというきらいはあるが、以前よりは気ままに生きられるようになった気がする。ひとり旅もその一つだ。年を取るのは侘びしいものだが、まんざら悪いことばかりではないと、わたしは実感している。
 熊谷守一という画家がいた。家の正門から外へは30年間、出たことがない、といった風評がたつぐらい、仙人然とした暮らしをしていた伝説の画家である。その人の語録を、新聞の記事で読んだことがある。
「自分を生かす自然な絵を描けばいいんです。下品な人は下品な絵を描きなさい。ばかな人はばかな絵を描きなさい。下手な人は下手な絵を描きなさい」
「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを無理に何とかしようとしてもロクなことにはなりません」
 絵だけではなく、人生全般に通じる至言だと思った。しかし、積極的に自分を出して生かすのと、仕方がないと諦めるのではだいぶ違うな、と内心、嘆息したものだ。

 では、旅行記の続きです。
 2日目の宿は、金沢の「サンパリオ」。とにかく施設がきれいで内装が豪華だった。健康ランドやサウナというと、ダサダサでペラペラの部屋着が定番だが、ここの部屋着はデザインがすっきりしていて布質もいい。しかも、色違いが3つ用意されている。着替えは自由なので、風呂に入るたびに違う色の部屋着を選んで、いかにも小市民的な贅沢感を味わった。
 残念ながら天然温泉ではなかったが、甘草風呂が用意されていた。真っ赤な色の湯が、ジャグジーの気泡でブクブク沸き立っている光景は、まるで地獄の血の池だ。最初は少し抵抗があったが、湯に浸かるとほのかに甘い芳香が身体を包んで、ゆったりとくつろげる。
 甘草風呂の隣がサウナ用の水風呂だったのもありがたい。お湯で暖まった足を冷水に浸ける。足先が冷え切ってジンジンしてくるまで我慢して、またお湯で暖める。これを何度か繰り返すと、歩き疲れてむくんだ足が軽くなってくる。翌日の筋肉痛も、これでかなり予防できる。
 仮眠室も充実していたが、富山の東洋健康ランドのような敷居がないので、“夜の蝉”に悩まされることになった。いびきである。人が少ない場所を選んで安眠していたら、ひどいいびきで目を醒まさせられた。いつの間にか隣りで、大いびきをかいて爆睡している奴がいる。もっと遠いところで寝てくれよと愚痴をこぼしながら、毛布を抱えて、“夜の蝉”の鳴き声が小さな場所を探してウロウロ。ひと昔前に、「悪い奴ほどよく眠る」という映画の宣伝文句があったが、「いびきの大きな奴ほどよく眠る」。
 翌朝は昨日と同じ5時起きで、甘草風呂にゆっくり浸かって、6時半にはチェックアウトしていた。料金は、700円の割引券を使ったので、深夜料金を加算しても2,500円足らず。一般の旅館がひとり客を歓迎してくれないこともあって、ビジネスホテルに泊まるぐらいなら、とつい健康ランドの方を選んでしまう。
 金沢駅まで歩いて30分ぐらい。準備運動にはちょうどいい距離だ。犀川を渡る橋の上で見た朝焼けが、とてもきれいだった。
 駅の構内で軽く朝食をすませて、JR七尾線の電車に乗り込んだ。車窓は途中から、広々とした田園地帯が続いている。白い鳥が飛来しているのだが、よく見ると白鷺ではなくてカモメのようだ。海が近いのだと実感した。

 終点の七尾駅で、不必要な荷物をロッカーに預けて身軽になって、のと鉄道に乗り換えた。潮風の中を走り続けたせいか、車体はだいぶくたびれて、表面に錆が浮き上がっている。このレトロでローカルな雰囲気が、旅人には嬉しい。しかし、次の和倉温泉ですぐに降車した。

 温泉大好きマニアとしては、旅行中に一度はちゃんとした温泉に入っておきたいと思った。でも、あてが外れた。温泉街まで行くには、さらにバスに乗らなければならない。それでもバス停に向かうと、すでに行列ができている。家族連れやカップルばかりだ。曜日の感覚がなくなっていたので、今日が土曜日だということを忘れていた。たぶん、水族館やレジャー施設が充実している能登島に向かう人も多いのだろう。
 途端に和倉温泉まで行く意欲をなくして、また駅に引き返した。さて、これからどうする? 運賃表を見ながら考えた。あまり遠くに行くと、帰って来るのが大変だからな、と言い訳しつつ、とくに理由もなく「穴水」までの660円の切符を購入した。のと鉄道は第三セクターなのか、JRに較べても料金がとても高いのだ。青春18きっぷの貧乏旅には、JRの鉄道以外の長距離便は鬼門である。
 一時間近く待って、再びのと鉄道に乗車した。単線で線路の敷地が狭いので、周囲の木立が間近に感じられる。まるで、こんもりとした緑陰のトンネルの中を走っているようだ。木立が途切れると、七尾湾の海辺の光景が唐突に出現する。その繰り返しだった。カメラのシャッターを切りながら、このまま終点の蛸島まで行ってもよかったかなと、切符代をケチったことを少し後悔した。

 30分余りで穴水に到着。駅前で観光案内所を見つけて、穴水の観光パンフレットを手に入れた。昼時だったので、ついでに食事の出来る店を紹介してもらった。駅の周辺には、めぼしい食べ物屋は見あたらなかった。
 魚がおいしいと推奨してもらった店は、縄のれんの飲み屋だった。客はわたしひとりだけだ。酒も頼まずに飯だけ食べるのは、なんだか居心地が悪い。刺身もハマチの切り身で、とりたててどうこう言う味ではなかった。ただし、イカの塩辛は新鮮だった。どれくらい新鮮かというと……、わたしが全部、食べられた。これは、本当に凄いことなのです。
 わたしは昔から、イカの塩辛が大の苦手だった。あのワタのにおいを嗅いだだけで、ゲンナリしてしまう。今回も残そうと思った。でも、持ち前の貧乏性で、せっかくだからと一口、食べてみた。うん? そんなににおわない。コリコリとした食感も悪くない。もう一口、食べてみた。これなら、全部たべれるかもしれない。そして、食べてしまったのだ。小皿にほんのちょっぴりだが、イカの塩辛をこんなに食べたのは、生まれて初めての経験だった。でも、やっぱり、おいしいとは思えない……。
 腹ごしらえを終えて、観光パンフの地図を見ながら、穴水湾を目指した。橋を二つほど渡ると、河口に出た。陸地に切れ込んだようなリアス式海岸なので、まるで湖のように海面はおだやかだ。ヨットハーバーが設置されていて、帆を下ろした小型ヨットがいくつも係留されていた。

 わたしがパンフレットで目を付けたのが、「潮騒の道」。これといった標識がないので少し迷ったが、マリーナの奥がその入口だった。木立の生い茂る斜面と海が交わるところに、立派な遊歩道が設(しつら)えてある。全長で1.5キロぐらいはあるだろうか。船でしか廻れない場所を、じっくり風景を楽しみながら歩けるのだから、贅沢な散歩道だ。
 行き交う人は誰もいない。穴場ならぬ、ここは穴水……。遊歩道から海面を覗くと、海底のゴツゴツした岩が透けて見える。それほど海が近いのだ。対岸の地形が複雑なので、歩くにつれて景観が大きく変化する。青空と海、潮のかほり、蝉時雨、ゆったりした時間が流れてゆく。


 小さな漁港の手前で、遊歩道は終わった。子供たちが堤防の上に腰掛けて、釣りを楽しんでいる。
(さて、今夜はどこで泊まるかな)
 わたしは、宿のことをぼんやり考えていた。

《了》


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