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自分の感情を揺さぶられる様な、パワーが漲(みなぎ)ってくる様な、生きる道を決めました。
17歳の頃だったかな・・・。おぼろげに、本気で考える様になったのは。

将来、趣味で出来れば満足なのか、それとも、本業で、職業としてやって行かなきゃ気がすまないのか。
葛藤と言ったって、所詮はまだまだ人生経験の浅墓な高校生の頃ですから、大して苦しくも無い、一時期的な葛藤でした。
振り返ってみたって、そんなに悩んだかな・・・と、思うほどの。
高校卒業半年前の夏頃には、気がついてみたら決心していました。
しかし、高校3年の時にはクラス委員長をしており、進学も就職も選ばなかった私の選択に、驚きの目を向けていたクラスメートも何人かいた様な・・・。

思い立ったらまっしぐらの私は、そのぶん、落ち込む時もとことんまで、どん底まで落ち込みます。
希望に満ちた、旧友曰く、「怖かった・・・」目つきで、自称、燃える様な目つきで、将来描いたものに向かっていったのですが・・・。
色々と許されないことも、時にはあるのだと、徐々に悟らされます。

誰よりも上手な喉、生まれつき備えられた素質があるんだと、勝手に思っていましたよ。
でも、喉に次々と刻まれていったのは傷です。

自由を奪われた武器なんて、みすぼらしいものでした。牙を失った獣なんて、大して怖くもないでしょう。
数十メートル離れた家から噂話された声。と思ったら、薬漬けで金縛りになって、悲鳴をあげてばかりの声。
燃える様だった目つきは、臆病にうろたえる目つきに変わり、不安で孤独で一人ぼっちで・・・。

大袈裟に言えば、うつ病になった私は、結局一度、実家へ帰って1〜2泊するのでした。
何のために・・・って、何か解決策があるのでは? と思うんです。
『地元に戻って何かハッキリした糸口があるの?』
『いいえ、ありません。何かあるんじゃないか? と思っているだけ。』
何となく、育った場所に戻って来ると、手掛かりが掴めるんじゃないか? という気になるんです。そんな心境を経験した人、いるでしょ? 少なくないでしょ?
でも、求めてるものって、違うでしょ? 解決策じゃないでしょ?

お母さん・・・だよね。母親の存在感でしょう。きっと。
まぁ、お父さんでもいいんだけど。敢えてお母さんにします。

母親って何なんだろうなぁ〜と考えると、今更ながら、幾つも疑問が生じます。
雨あられの様に失敗や挫折を味わって、これでもかこれでもかと打ちのめされて、ふらふらと腰を落ち着けたのは、母親の居る実家でしたとさ。
顔をあわせて大した言葉を交わさずとも、悩みを悟られた様な気配が分かるだけで、何となく、辛さが半分消えて行く気がするんです。
だからと言って、別に、子宮に戻れるわけでも、自分のルーツに帰って振り出しから出来るものでもないのだけれど・・・。
人間は、誰しも休息の場所を無意識に悟ってるのかなぁ〜・・・。
息巻いて、殆ど全ての人の反対に反発しながら、戦いに出て行った自分でしたが、惨めな都会の一人暮らしの寝床とは、またかなり違う、ほんのひと時の、実家での睡眠でした。
なぜか、良く、深く、ぐっすり眠れたんです。

母親とは布団でしょう。
布団は眠るものです。寝るところです。
眠るって、疲れを取る為、健康を保つ為、眠くなるから寝るんでしょ・・・と、いちいち考えてみたところで、哲学的な事は良く分かんないや。
眠くなって、うとうとして、眠りにつくその瞬間 ――・・・って、もうろうとして気持ちいいでしょ!? 中には「別にそんなことはないよ・・・」、って人も居るかもしれませんが、そういう心地なのかな、母親って・・・。
布団。安らぎを与えてもらえる場所、かな。
たとえお父さんにこっ酷く叱られても、お母さんが味方をしてくれる、みたいな。でも時には、お父さんの不在中は、お母さんが父親代わりで雷を落とす事も、間間ありまして。

しかし、こう書き記すと、異常か、変態か、近親相姦か? という誤解を充分に与えるかもしれません。
フリーキャスターの南美希子さんは、ご自身の持論で、「世の男性の全てはマザコンである」という様な事を仰ってました。
私も基本的には同感ですが、私人としても、半ば公人としても、精神的には自立している男として、マザコンであると、そう簡単に全面的に賛同する訳にはいきません。
「半分マザコン」と言っておきましょう。

ここで一つ、疑問に思っていたことがあるんですが、男はファザコンにはならないのでしょうか?
もし父親が亡くなったら、この世から消えて居なくなったら、自分は何も変わらないのかな・・・?

現実逃避して来た時にしたかった事は、大好物のカレーライスが食べたかった。
母親が作ったカレーライスです。別に、特に何の変わりも無い、いつも普段食べていたカレーです。
だからと言って、逃げている時の好物の味は、いつもよりは少しだけ美味しくないんです。
気力の落ち込みが、舌から伝わる味も鈍らせているんでしょう。心の生き物なんですねぇ、やっぱり、人間って。

挫折の真っ只中にいました。いとこの結婚式の時、親戚宅で、家族で揃って並んで寝た時、私は夢に魘されました。
取り敢えず20歳を過ぎた、21歳の大人が、魘されてる腕を母親につかまれて、ハッと一瞬目を覚まし、それでまた安心して眠りにつくんですから。
マザコンであることの、ちょっとだけの証明になるのかな・・・。

母親母親って・・・。じゃぁ、かみさんは? と言うと、ベッドでしょ。
布団もベッドも寝るとこですよね。でも、そこがやっぱりちょっと違うんです。
ベッドと言って、ちょっとエッチなものを想像しました。布団と違って、横たえる体の高さの違いが、その熱さをそそらせます。
かみさんも、疲れを癒してくれる、健康を気遣ってくれる、愛情を与えてくれる、安らぎをくれる・・・。
なんだ? 列挙している事が母親に関することと変わんない様な。
いやいや、かみさんというのは、愛情を与えてくれるんじゃなくて、愛情を分け合うものなんです。
そう考えると、すべてがそうですよね。疲れを癒し合う、健康を気配り合う、安らぐ空間を一緒に創る・・・。

お互いの信頼から生まれる情熱に任せて、体を絡めて相手の体温のほとばしりを感じ合うんです。
ベッドの軋みは重ねる絆の喜びを味わう、それは愛情の最高表現ではないかとも思います。
月日が経つに連れて、欲求の温度は静かで穏やかで、自然なものになっていくのかもしれないけれど。
それから、ふかふかなベッドは、沈んでいくという表現が相応しく、深い眠りで疲れを取りたい時には最適な弾力じゃないかな。
将来ずっと一緒に生活してゆきたいと思う相手の、胸のふくらみに囚われるのも、大きな魅力です。その感触が、ベッドのふかふかとダブる、とは言いませんが。
そんなものは、母親には持たないでしょ。

でも、時代は激しく変わってるんでしょうね。
幼い子供の頃から積み重ねられる、優しいお母さんの面影も、玩具の様に、持ち物の様に、要らなくなったから、責任持てないから、邪魔くさいから捨てられる、鬼の姿に変貌してきている。

今どきの人たちとは、噛み合わないのかもしれないけど。
俺にとって、かみさんは、ベッドだな・・・と思うけど、母親は、布団なんです。きっと。

それじゃぁ、お婆ちゃんは? と言うと、・・・・・病院かな?

Copyright(c): Yutaka Araki 著作:新木 結太佳

◆「母親」の感想

*新木結太佳さんの作品集が 文華別館 に収録されています。《文華堂店主》


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