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 巷に、十代の若い人達が議論し合う、教育TVの番組がありますよね。
 最近は、全然視ていませんが。

 この番組がスタートした時、「画期的な番組が始まったなぁ・・・」と思いました。
 怖がられている、得体の知れない、恐ろしいものを見る様な目で見られている十代の若い世代が、真剣に議論している場面が新鮮で、まだまだ世の中捨てたもんじゃないな、という感想でした。
 また、その様な場をTV局が提供するという事も、親切で有意義だなぁ、と思いました。
 ただ、期を追う毎に、徐々に自分勝手な、意固地な、進歩を拒んでるかの様なところも目立ち、一回りほども年齢の違う後輩の奔放な発言に、大人げなくも時折腹を立てたりして、関心が薄れて行きました。

 そういう番組では、当然マイナス思考な意見も数多く出て来る訳ですけど。
 今の日本の状態を見てみれば、頷けるでしょう。象徴してるとも言えるのかな。

 ある時、その番組の中で、人生で成功するのは優秀な学歴、学力を持ってる人か、あるいは、ごく稀な才能に恵まれた人だけだろう・・・、なんて事を聞いた覚えがあるのですが。
「優秀な学歴」云々については、私も半分賛同します。
 でも、ごく稀な才能って言うのはねぇ・・・・・?・・・。さあ、どうでしょう。

 そもそも、才能って、どういうものなのか、解かってて言ってるんだろうか。
 アラ? でも、解かってたらそういうことは言わないか。

 誰にでもあるもんではない、と思ってるのかな?
 限られた、僅かな人しか持ってないと思ってるのかな? 多分、そうなんだろうなぁ。
 十代の代表者の何人かが、そう言ってるのだから。

 才能って、読んで字の如く、才知と能力ですよ。
 才知と言うのは、要するに知力でしょ。辞書では、知恵、賢いこと、利口・・・とも書いてありますが。
 能力と言うのは、努力して、継続して、磨いて築き上げていくものですよね。

 世の老若男女の中には、生まれつき宿っているもの、恵まれたものと、思い込んでいる人が多いと思いますが、それは才能ではなく天分です。
 天分というのは、天から分け与えられた、ちから、素質・・・と言えばよいか。
 天・・・とは何でしょう。天、・・・、空? 星空? 宇宙? 神様? 分かんないからとばします。
 しかし、天分なんてものは、知力を巡らせて、自分にもあるだろうという薄々とした自覚を持って、眠っているものを起こして、あるいは、うずうずしてるものを奮い立たせて、活用して鍛えて行かなきゃ、光るものになんかならないですからねぇ。

 才知を上手く活用して時間をかけて形にしていくのが才能ですから。
 才能とは、イコール実力と言い換えてもいいんじゃないかな・・・。
 ですから、その素って、ごく僅かの人にしかないものじゃぁ、ないんですよ。本来、大勢の沢山の人にあるものなんです。

 私が思うに、才能とは、自己顕示欲でしょう。
 でも、ただの自己顕示欲ではありません。
 自己顕示欲を持っている人ならば、幾らでも居ます。そこで、その自己顕示欲をいかに上手に発揮出来るか、表現出来るかが、ポイントなのです。
 自己顕示欲が下手な形で表に出てしまうと、世間知らず、常識はずれ、エスカレートしていったら警察に捕まっちゃう・・・って範疇(はんちゅう)に入ってしまいます。
 目立ちたい! 有名になりたい! 自分の存在を世に出したい! でも、間違った自己顕示欲が突っ走ってしまうと、気がついてみたら、違う意味でニュースに出ちゃいますから。 
 上手に自己顕示欲を発揮する事。

 上手にって、どういうこと?

 上手かどうかって、まず、二通りの判断の仕方がありますよね。
 自分で、上手だと思っている、もっと言えば、思い込むこと。
 これは、理論としては、半分正しいんです。自信、プライド、あるいはいざという時の強固な意志や意地となって、前進していく時には欠かせない要素です。
 もう一つは、他者から評価を得られること。他者と言っても、実力者、あるいは自分の目指した世界を席巻、支配、牛耳ってる人達に上手だと認めてもらう、認めさせることです。
 怖いのは、後者の評価が大して得られてないのに、あべこべに、自分だけで上手いと思い込み、やたらめったら先走っちゃうこと。
 冷静に判断する事や、優れた客観力が兼ね備えられてると、鬼に金棒にも成り得られるのでしょう。
 この客観力というのが、自分を自滅へと誘い込む、独り善がりと言う落とし穴から防いでくれる要素になるのです。
 そして、上手な自己顕示欲って、その存在が、魅力を放ってるんです。
 人を惹きつける、羨ましがられる、尊敬される、同じ様に成りたいと思われる、直接的にも間接的にも説得する事が出来る、他人がついてくる、多くの人に夢を与える・・・。それが、自己顕示欲の上手い発揮の仕方の幾つかです。
 ちょっと抽象的かな?
 自分が、楽しくてしょうがない! 面白くてしょうがない! 生き甲斐を感じるんだ!
と思えることも、才能の子ども・・・かな。それをうまく育てるのが自分自身でしょう。もっと抽象的かな??

 ただ、ここで注意すべき点が一つ!
 才能の天敵は、「マイナス思考」です。あるいは、「被害者意識」とも言う。
 一所懸命頑張っても、どんなに努力しても、なかなか上手くいかない、ちっとも思う様にものごとが運ばない、そんな事だって、幾らでもあるでしょう。
 しかし、そもそも、終始順当に事が運ぶ! なんて根拠が、どこにあるんだ? そんな前提どこにも無いだろ。
 そういうジレンマを克服しながら、前進して行ってこそ、才能が創られるんだけど。
 へそ曲がり、ひねくれ、悲観、諦め・・・と、まるで、被害者なんだぞ! と言わんばかりの前向きならぬ、正反対の後ろ向きな意識の持ち方が、才能の最大の弱点です。
 そして、残念ながら、この弱点と言うものは、全ての人に潜んでいて、密かに暴れる時を待っています。
 マイナス思考や被害者意識と強靭に戦うことも、武器である自己顕示欲の守り方の内です。

 「優秀な学歴」も、れっきとした自己顕示力でしょう。むしろ、私は自分のとっても平凡な経歴に不満があり、それらの人達に劣等感を持ってるのも正直なところです。
 でもねぇ、見て御覧なさい。
 毎週、毎日? の様に、高学歴、超高学歴の人達が次々と、悪い意味で世間を賑わせて、顔が丸見えになってしまって。
 キャスターの表情も「またか・・・」と言いたげに、渋々という感じです。そうなると、そういう顔が、皆、醜くて恥ずかしい顔に見えてくる。不思議なもんですね。
 全てがそうじゃないけれど、優秀な学歴っていうのも、半分じゃないかな。あとは、その人個人の人格の問題だよね。

 つまり、才能とは、自己顕示欲でしょう。それも、持っているだけではなく、発揮する事。しかも、上手に!

Copyright(c): Yutaka Araki 著作:新木 結太佳

◆「才能とは?」の感想

*新木結太佳さんの作品集が 文華別館 に収録されています。《文華堂店主》


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