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『コンコン・・・、コンコン・・・、ごめんくださいー?』と、
 ある時、濃い青色の制服を着て、大きめな白くてまぁるい縁の帽子をかぶったおじさんが、僕の家にやってきた。
 そのおじさんは、ドアを開けると『あ、すいません、警察の者ですけども・・・・』
 と言って、僕のお母さんに話し始めた。
『あのですね? お宅で、ちょっと小さいお子さんの、大きな泣き声で、わんわん泣いてる様な悲鳴みたいな声が聞こえるって言うもんでね。最近ピタッと止んだみたいなんですけれども、大丈夫かと思いまして、ちょっとご様子を伺いに参ったんですけれども?』
 そう言うと、お巡りさんは、玄関の中を、一通り見回す様に辺りを見ていた。

 でも、おかしい。

 郵便受けには、取られていない二日分ほどの新聞が入ったまま。
 子供の気配がある様で、だけど、姿は見当たらない。
 靴は玄関の隅っこに無造作に置きっ放しになっている。
 お昼間だけど、ご飯を食べた様な匂いが、特にするでもなし・・・・。
 冷たい空気さえ感じる様なのだが、応対に出たお母さんの顔には、少しだけの安堵感もある様子で・・・・。
 そこで、お巡りさんは、お母さんの、髪に隠れていた額の小さな痣を見つけた。
 と思ったら、良く見てみると、首と手首にも、青い痣が消えずに残っているではないか・・・。
 おかしいと思ったお巡りさんは、『ちょっとすいません、上がらせて頂きますよ・・・』
 と言って、僕の家に上がって来た。
 玄関を上がり、そろそろと狭い廊下を進み、チラチラと様子を窺(うかが)いながら、風通しが止まっている部屋の前で、一歩、足が止まった。
 その奥の部屋に入って来たお巡りさんは、ぐったりと横たわっている僕の姿を見つけた。
 一瞬、息を呑んで、唖然とした表情のお巡りさんは、しばし立ち尽くした後、しゃがみこんで、僕の体に触れて、冷たくなっているのを確かめると、凄い形相で僕のお母さんを睨みつけました。
 ほんのちょっとだけ落ち着いた、だけど、抜け殻の様な表情で、お巡りさんの話にぼそぼそと答えたお母さんは、その日、警察署に連れて行かれました。

 だけど、僕もこれでやっと楽になれるんだなぁと思いました。

 最後はお母さんに優しくしてもらえるかと思っていたけれど、温もりをくれるんじゃなくて、頬を叩かれて、くちの端っこからちょっと血が出ちゃった。
 痛いよ!? 痛いよ!?・・・・。
 そんなに叩かないでよ。そんなにぶたないでよ。
 どれだけ泣けば許してくれるの? どれだけお願いすれば止めてくれるの? どれだけ叩けば気が済むの?
 僕、いい子にするから。僕、いい子でいるから。

 全然優しくしてくれなかった訳じゃないけれど、乳母車の振動と、粉ミルクの甘さと、血が赤いっていうのをお母さんは教えてくれました。

 お母さんも、まだ小さな僕には言えない事ばかりで、苦しいことがいっぱい溜まっていたんだね・・・。
 警察の取調室で、お母さんは、届かなかった最後の訴えを、やっとの思いで振り絞ったんだね。

「主人がお酒を飲んで暴力をふるうんです。何度も止めてと言っても聞いてはくれませんでした。ずうっと我慢して来たんです。でも、耐え切れなくなって、そのうちに溜まっていた鬱憤を子供に向けてしまったんです。浮気をしていた事も知っています。俺が浮気をしたって、そんなもん俺の勝手だろ? と言っていました。そして逆上してつかみ合いの喧嘩にもなりました。最近は、あまり家にも帰って来ません。」
 って、お母さんは言っていたんだけど。

 だけど、あんまりお父さんばっかりが悪いわけじゃないでしょ?
『でもねぇ、だからってお母さんが、あんまり酷くされるからって、出会い系サイトだのテレホンクラブだかなんだかで、男の人と手軽にさ、優しくされるからって遊んじゃぁ駄目よぉ・・・。そっちがそうならこっちだってって言うのは通用しないでしょ。子供のままごとみたいでさ、余計相手の火に油を注ぐだけでしょ。遊ぶのはケジメつけた後でいくらでも遊べるんだから、肝心な時に子供のそばに居てやんなきゃ駄目よ・・・』
 ・・・・そうお母さんは、お巡りさんと話をして、色々と叱られたり、慰められていました。
「・・・でも、私が何とか頑張って、どんな事があってもあの子を守る為に良い方法をとるべきだったのかも知れません・・・」

 お巡りさんと、お話が終わったお母さんは、違う警察署に移動する為に、二人のお巡りさんのおじさんと一緒に、パトカーに乗る為に、表に出て来ました。
 顔に布を被せられたお母さんは、お巡りさんに、少しの思い遣りをかけてもらったのかな。
 お母さんの両方の手首には手錠がかけられて、連れて行かれちゃった。

 遺体の確認をされた僕の体には、お母さんから叩かれた時の、いくつかの痣がまだ残っています。
 そして、「うるさい」と言って、時々殴るお父さんの手の痕も、体からまだ消えていません。
 傾いた頭の向きは、横たえてうな垂れていたまま、筋肉が少し硬くなっています。
 でも、一度は腫れ上がったほっぺたも、時間がたって、その熱さはもう無くなりました。

 僕は天国から自分の姿を見ているんだよ?
 青白くなった自分の姿を見ているんだよ?
 この全部の様子を、天国から見下ろしているんだよ?
 僕がお父さんとお母さんに命をもらって生まれてから、最初のうちは楽しかったけど、とても痛くて辛くて悲しかったよ?
 お父さんとお母さん、もっと仲良く出来なかったのかなぁ・・・・
 僕は痛みと苦しみを覚えてこの世に来たから、天国で、お友達に優しくしてあげようと思います。
 お母さんは、罪を償って、人生をやり直して僕の分まで頑張って生きてね。

 僕はもっと生きたかったんだよ?

Copyright(c): Yutaka Araki 著作:新木 結太佳

◆「悲しみ」の感想

*新木結太佳さんの作品集が 文華別館 に収録されています。(文華堂店主)


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