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 「左利きの人は右利きの人より早死にする」ということを聞いたことがある。これは世の中のあらゆるものが右利き用に設定されているため、左利きの人は常にストレスを感じているからだという。考えてみれば駅の自動改札の挿入口や自動販売機のコイン投入口も右よりであるし、スイッチと名のつく物のほとんどが右手で操作しやすい位置にある。今私がさわっているパソコンのキーボードも「enterキー」が右利きに有利な位置にある。私は右利きなのでなんらストレスを感じないが、左利きになったつもりで日常の行動を考えてみると不便なことが実に多いことに気付く。左利きの人にはつくづく気の毒に感じる。
 
 我が家は最近改築をして、トイレに「あさがお」がついた。これは私が設計の先生に懇願して実現したものだ。懇願と表現したのにはわけがあって、以前洋式便器のみであった時、我が家のトイレの正面には常に貼り紙がしてあった。一輪挿しの小枝の風情をも打ち消すほどの迫力があった。
「見栄を張らずに一歩前へ」
と、間接的な表現だけでなく、
「こぼしたら拭け!」
と、直接的なもの、さらには
「急げども 心静かに手をそえて 外にこぼすな 松茸のつゆ」
と、ため息がでるような厳しい一句が詠まれていることもあった。おふくろに襟首をつかまれ、親父と私が雁首を揃えて便器の脇を覗かされたりもした。その時は大の男二人が子供のようにしょぼくれた顔をして、言葉を失っていたのを覚えている。
 
 男性にとって、洋式便器にうまく尿を投下させることは結構気を遣うむずかしい作業でなのである。右でも左でもだめ。とにかく「センター」でなくてはならない。脇へこぼすと怒られるという例えようのない恐怖感、また、こぼれた尿をペーパーで拭き取るときの惨めさを出来れば味わいたくないから知らないうちに緊張してしまっている。しかし、液体の落下運動は予想できない事が多いのである。幹線がうまく便器内に着地していても物理的に飛沫まではアンコントロールなのである。
 ドイツでは「男性も便座に座って排尿せよ」という条例が最近施行されたそうだ。飛び散る尿の不衛生さを考慮したものらしい。実は私も「こぼす恐怖」から逃れるために以前から酔っぱらっている時などコントロールに自身のないときは便座にすわって排尿していたので、これを条例化してしまうドイツの先進性・合理性?には寒心ならぬ感心させられた。
 
 お陰様で「あさがお」が設置されてから我が家のトイレからは貼り紙がなくなったし、私自身もストレスなく日々排尿できるようになった。たったこれだけのことでストレスを感じるのだから左利きの人の日々のストレスは想像もつかない大きなものであろう。
「あらゆるものをセンター位置に!」こんなスローガンで運動を起こしてみてもいいかもしれない。

◆「万事センターが吉」の感想

*木村泰さんのエッセイ集が文華別館に収録されています。また、木村さんは「天神さん人形」友達リンク)というユニークなホームページを運営されています。《文華堂店主》


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