T-Timeファイル木村泰 エッセイ集表紙に戻る

 自宅を建て替えるにあたり、工事が始まった。長年四季折々を楽しませてくれた庭の木々が取り去られ、子供の頃の思い出が頭の中を駆けめぐっていた矢先に「あかん! やってもた!」と大工の声。庭の真ん中をわたっていた水道管が破られ、あっという間に庭は尾瀬の湖沼を借りてきたような有様になった。お陰で一昼夜断水となり年老いた母とふたりバケツリレーをするはめになってしまった。もちろん風呂にも入れない。1日くらい・・・と思いつつも翌日人と会う用事があるので近所の銭湯へ行くことにした。
 私の自宅には幸せなことに風呂があったので銭湯に行く機会なんてあまりなかった。しかし父が銭湯を好み、私も子供の頃よく連れて行ってもらった。「家の風呂よりゆっくり出来るし温もるぞ。」父の銭湯を好む理由である。家の風呂でみっちり「風呂道」を仕込まれた私は銭湯へあまり行ったことがない割にはその動きには無駄がなかった。
 先ず下駄箱だ。好きな番号が空いていなくても迷わず速やかに草履を放り込み木の札を持ってきた桶に入れる。男女を確認したら扉を一気に開け小銭で釣り銭のないよう丁度を番台のカウンターによく見えるようにおく。「はい、いらっしゃい。」聞き終わらないうちにこれまた好きな番号が空いていなくても迷わずロッカーへ向かう。ここまで完璧な間合いである。風呂に入るまでにこんなに段階を意識しているのだから入ったらそうとう約束事があるとお思いでしょうが、全くその通り。
 ロッカーの奥隅に下駄箱の札をきちんと置き、やっと服を脱ぐに至る。着てきた下着は着て帰る下着と入れ替えで袋に入れてこれまた奥へ。着て帰る衣服を真ん中に、その一番上にバスタオルを置いておく。ロッカーの鍵のゴム紐に利き手と逆の手を通しいざ風呂場へ。と、いきたいところだがその足は体重計へ。銭湯で体重を計る習慣はいつ頃からあったのだろう。「〜キロかぁ。」と曖昧な独り言を吐いてようやく風呂場へと向かう。
 風呂場の扉はサッと開けて入りサッと閉める。大抵自動的に閉まるがそれを待てない他の客もいる。自分の手でサッと閉めるのだ。そしてかかり湯。間違ってもそのまま湯船に飛び込むようなことはしない。できれば身体を洗ってから入るのが理想だろう。かかり湯をすくう時もできれば手先が湯につかないようすくうのが本当だ。すくって利き手の手から腕に湯をかける。そうして初めて桶を湯船に思い切り突っ込めるのである。
 移って洗い場。これも迷わず場所を決めて座る前にすくっておいた湯で椅子を流す。蛇口は水の方を湯よりもわずかに早めに押す。桶の底ではねかえった湯を周りに飛ばさない為である。ここまで読んで「こんな調子で一体どこがゆっくりするのか?」とお思いでしょうが、それも全くその通り。約束事が多いのである。
 洗髪、身体を洗う時には石鹸を飛ばさないように気を付ける。手ぬぐいはこの時点でできるだけ洗っておく。しっかり絞った手ぬぐいと石鹸類一式を桶に入れて余っている桶で使った蛇口のあたりを流しておく。椅子も然り。いよいよ湯船。既に首まで浸かっている人の近くは避ける。入湯する際のしぶきを考えてのことだ。まずは足まで、続いて腰そして首までと段階的に浸かる。そして首まで浸ったときの「ふぁあああ・・・」という声も忘れない。ここまで数々の約束事をこなして来た充実感から自然と声も出るから心配はない。
 しばしの休息を経て湯船から上がる。この時もしぶきに気を払う。言い忘れたが、銭湯での目線は「ごく自然」が鉄則である。キョロキョロする場所で無いことは明らかだ。風呂場から出る前に入り口のそばの隅で絞っておいた手ぬぐいで身体や頭の水分を拭う。絞っては拭いまた絞る。これは風呂場を出てすぐの所でもよい。つまりは滴を脱衣場にこぼさないことが肝心なのだ。
 ロッカーに戻ったらバスタオルで身体を拭き、体重計にのる。いよいよ仕上げに近づいているので自然に笑みもこぼれる。湯冷めしないようにさっさと着衣し、手ぬぐいを洗う。家に帰ったら洗濯物入れにいれるのに洗うのだ。それが済んだら荷物をまとめておいてここまでの労をねぎらってドリンクを飲む。私はミカン水の味とラムネの栓の抜き方、瓶の傾け方は銭湯で父に教えてもらった。お好みならあんま機で身体のコリをほぐす。しかしくれぐれも「長居は無用」である。これらに湯船に次の人のために湯をはる作業を加えたものを、家の風呂で仕込まれたから大変であった。
 一連の約束事を自然にこなした上で尚かつくつろいでしまうところが父の「風呂道」である。当たり前の事だが銭湯は公共の場なので常に周りの人、次の人の事を考えておかなければならない。各家庭に風呂が当たり前になり昔ながらの商店がスーパーマーケットに姿を変えるなど、約束事を習う場所が今の子供達には少なくなっているように思う。
 私にとって銭湯は相手の気持ちを思いやる父の生き方を学んだ場所であり、また男兄弟の無い私には姉達の知らない父とのほのかな想い出を独り占めできる唯一の場所でもある。
 今回は久しぶりの銭湯。しかも独りである。仕込まれた「風呂道」を試されるような気がした。下駄箱に草履を入れてから財布を忘れたことに気付いた。
 父から受け継いだ「風呂道」、まだまだである。

Copyright(c): Yasushi Kimura 著作:木村 泰

◆「銭湯でのこと」の感想

*木村泰さんの作品集が文華別館に収録されています。
*木村さんは、「天神さん人形」友達リンク)というユニークなホームページを運営されています。


木村泰 エッセイ集表紙に戻る