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 実家の天井には、小さい頃オリオン座の形に貼った蛍光シールが今もかすかに光っている。その横に、黄色い蛍光ペンで塗った三日月が寄り添っている。
 月が人の体や精神に何らかの影響を与えていると言う話を、時々耳にする。満月の夜は交通 事故が多いとか、殺人など凶悪事件が多くおこるなどという。それとは全く関係無いのだろうが個人的に満月の夜は良い事が無く嫌いだ。日頃からその丸さもあまりに自然過ぎて面 白くなかった。
 初めての合コンで飲みすぎて気に入った女の子の股間に嘔吐したのも、気に入ったカバンを置き引きされたのも満月の夜だった。万馬券を嬉しがって換金せず落とした夜も忘れもしない満月だった。
 しかし、決定的な原因はあの出来事だろう。幼少の頃こういうことがあった。
 小学2,3年の頃だろうか。僕はいつも道を自転車で走っていた。そう高くないビルの間を白い月が追ってくる。丸く切った紙を貼りつけた様な月は、今にもペロンと剥がれ落ちそうだった。
 前籠には隣りの家のネコのミカヅキが入っていた。首の付け根にミカヅキの形のハゲがあったから、僕はそう呼んでいた。実際はクロとかだったと思う。僕はミカヅキのことが好きで学校から帰っては良く遊んでいた。そんなに大きくなかったが、子供だったのか年寄りだったのか覚えていない。ただすごく大人しく、自転車の籠に入れて走っても、飛び出したり、暴れたりする事は無かった。よく当てもなくミカヅキと自転車で走った。
 その日はやけに風が生ぬるかったのを憶えている。公文式から帰った後だったので、周りはもう真っ暗だった。少し見たいものがあって家とは反対方向のプラモデル屋に行こうと思い進みだした。しかし、なんとなく嫌な予感がして帰ろうと思った。僕はブレーキをかけ、今来た通 りを戻る為Uターンしようとした。
 その時だった、それまで籠の中で大人しくしていたミカヅキがカラクリの仕掛けのようにぴょんと飛び出した。「ミカヅキー。」僕はこれで戻ってきてくれることを期待して叫んだ。しかしその声よりミカヅキの足は速かった。迷っている暇は無い、今にもミカヅキのその黒い体は薄暗い道に吸い込まれるように小さくなってきている。僕はミカヅキから目を離さないようにして自転車のペダルを思い切りこいだ。ミカヅキは最初の角を曲がった。見失わないようにその跡を追い、猛スピードで曲がった。車来たら終わりや、僕は思った。まだミカヅキはだいたい予想したあたりにいた。しかし何度かそれを繰り返すうちに予想よりミカヅキは小さくなっていった。自転車のスピードも落ちてきた、もう呼ぶ余裕も無くなってきていた。
 何かを追いかけるように最後にミカヅキが左に曲がった四つ角まで来たとき、あるはずのミカヅキの姿は無かった。見失ったと思ったら急に疲れを意識して、自転車のスピードを緩めずにいられなかった。
 自転車を降りスタンドを立てた。静かだった。隣の通りを走る車の音が聞こえる。街灯の明かりより満月の光のほうがいつもより明るく肌に感じた。
 その後夜遅くまで僕はミカヅキを探した。しかし見つからなかった。ずっと頭の上を満月は張り付いていた。
 それからというもの満月の夜になるとその事を思い出し、いつしか満月が嫌いになった。暗闇の中に「ニャー」と鳴くミカヅキを探す癖が無くなったのは中学に入るぐらいの頃だろうか。
 その頃はまだ畑や田んぼも多く、月の明かりや星の輝きも目立っていた。最近は街の光が月の明るさなどを意識させなくなっている。あまり今日の月が満月かどうかも考えなくなっている。いい事なのかどうか。ただ、何か嫌な事があって満月の夜だと都合よくそのせいにしている。
 タバコを吸いにベランダへ出た。満月だ。煙が光の中を縫うように上がっていく。今夜は家でじっとしておこう。


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