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 我が家の近所を走る阪急電車には、シルバーシートがありません。もう数十年も前にスタートしたJR(当時国鉄)を皮切りに、シルバーシート(お年寄りや障害者の優先座席)は、いまや日本の交通機関にはなくてはならないものになってしまいました。
 高齢・障害者行政の遅れているわが国にとって、数少ない具体的バリアフリープランのひとつとして、東南アジア諸国などに「輸出」されているほどの具体的な高齢・障害者施策です。
 そのシルバーシートが、「当社は優先座席を廃止いたします」という宣言のもとに廃止されたのです。沿線住民として、こんなに気がかりなことはありませんでした。
 阪急電車には、関西の中でもハイブロウな町々、つまり「瀟洒な住宅街」をつなぐ路線だというイメージがあります。しかし、実際に乗ってみれば酔っ払いも乗っていますし、さっきまで駅の片隅でタバコを吸っていた高校生、赤ペン片手に競馬場に向かう方々も乗っています。なのに阪神、南海、近鉄、京阪、JRには感じられない落ち着いた雰囲気が漂っています。
 私は関東で生まれ育った人間ですから、この違いを敏感に感じ取りました。ただ「シルバーシートを廃止します」という話を聞いて、「どこまで本当にハイブロウなんだか」という懸念が湧き起こってきたのは確かです。
 実際に乗ってみれば、その実態がわかります。少なくとも私が大阪に転勤してきた16年前、その頃の私は杖をついた障害者でしたが、駅のホームに3列乗車などというルールはなく、降りる人は電車が停車してから席を立つ、乗る人は扉が開くとわれ先にと乗り込む。シルバーシートなんか形ばかりといった無法地帯の様相を呈していました。
 通勤時間帯の電車の混雑は申すまでもなく殺人的です。どの乗客一人をとっても、みんな必死です。足の踏み場もないほどの満員電車に顔をゆがめ、新聞も読めないような状態で、ターミナル駅までひたすら辛抱の数十分を過ごします。
 ですから私が車椅子利用者になってからの12年間は、満員電車に乗った経験がありません。元健常者として、車椅子に乗った障害者がラッシュアワーの電車に乗り込むといった非常識と思える行動をとることができないのです。
 こういう言い方をしますと、障害者団体の一部から「それは差別だ」とお叱りを受けそうなのですが、満員電車に車椅子が乗ったときの様子を想像してみてください。私は一人の障害者の人権よりも、多くの働く健常者の人権のほうが、その場では大切に思えます。どうしてもラッシュアワーに出かけなくてはならないときは、ほかの交通手段を選ぶか、時間を早めにずらす方法をとることにしています。
 通勤時間帯を過ぎた阪急電車は、混むでもなく空いているでもない状態ですが、シルバーシートがありませんから、どの座席にもまんべんなく乗客がすわっています。私が車椅子に乗って電車に乗りますと、驚くことにどなたかが席をゆずってくださるのです。
 もちろん私は椅子持参で動くヤドカリ状態ですから、座席は必要ありません。お気持だけいただいておきますが、さらに私に介助人がついているときも、その介助人のために席を詰めてくださる方が多いのにはびっくりしました。
 もちろん介助人が私の息子や娘の場合には、ご好意だけいただくことにしておりますが、すでに高齢者の域にかかろうかという妻と一緒のときは大変助かります。私が車椅子に乗っていますので、介助人は私と会話をするにも大きく体をかがめねばならず、腰に負担がかかるからです。
 これが、どの車両に乗っても、どの扉から乗っても、同じように体験できるのです。この「ゆずりあい」の精神が、シルバーシートのある電車では「シルバーシートに座った者の義務」として行なわれるのに対し、シルバーシートのない阪急電車では、「すべての座席」において行なわれるのです。阪急電車の決断もさることながら、全国的に「タチの悪い」人種として名高い大阪のオバタリアンも、ゴンタも、そのフィロソフィーに沿った行動を起こしてくれていることに敬意を表せざるを得ません。

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 健常者であったころには仕事の忙しさにかまけ、あまり旅行を楽しんだことのない私でしたが、体を悪くしてからというものは、「どこまでやれるか」というチャレンジ精神が頭をもたげて、しばしば旅行に出かけるようになりました。
 国内海外を問わず、毎年2−3回は出かけているのですが、まず驚いたのが欧米諸国の人々の思いやりの深さです。
 一切の障害者差別を禁止し障害者の人権を守る ADA 法が制定されているアメリカでも、そのような法律のないヨーロッパでも、人々の障害者に対する態度はおおらかです。
 アメリカに行きますと、まずそのバリアフリー設備に度肝を抜かれます。段差のない道路や通路、整備されたエレベーターや間口の広い扉、そしてトイレや交通機関。小売店などでは当たり前のように障害者が働く。日本ではなかなか見られない光景です。
 車椅子でリフト付きバスに乗るときも、ほかの乗客はちっともイライラせずに待っています。日本ですと、冷たい視線に負けない覚悟がないと、なかなかリフト付きバスになんか乗れません。
 逆にローマに行きますと、設備のいたらなさに驚かされます。数千年の歴史を持つ遺跡そのものが町になったような都市ですから仕方がないのかも知れません。しかし違うのがローマに住む人々のおおらかさです。私がイタリア語を話せれば問題ないのかも知れませんが、階段を目の前にして困り果てていますと、必ず声をかけてくださいます。町なかには、そう英語を話せる人はいませんから身振り手振りでの会話になりますが、「よっしゃまかしとき」とばかりに数人の仲間に声をかけて手伝ってくれます。
 観光客の多い都市ですから、私たちにはどれがイタリア人でどれが他の国の人なのだか区別がつきません。また悪いことばかりをする貧民層もいますから、はっきりした判定はできないのですが、バリアフリーとは行政施策や設備の問題だけでなく、そこに住む人々の気持の問題であることに気付かされます。
 「困っている人は助けるのが当たり前」という、古くはキリスト教思想に端を発するのでしょうが、見習うべき点はたくさんあります。
 こうして外国を旅していて、私は「ありがとう」という言葉の重さをつくづく感じました。親切をしてもらったら、必ず「ありがとう」と言うことは当然のことです。なのにわが国ではいつの間にやら「すみません」という言葉が、あたりを席巻(せっけん)しています。
 この「すみません」という言葉には、なんとなく一方通行のようなニュアンスが含まれます。「すみません」と言えば済むような、ひとりごとのような使い方をしている場合が多いのです。
 たどたどしい言葉ですが、アメリカで「サンキュー」、イタリアで「グラッツィエ」と感謝の気持を口に出してみて、はじめてその違いに気付かされました。「サンキュー」には「ユーワー」、「グラッツィエ」には「プレーゴ」という言葉が返されます。どちらも「どういたしまして」という意味の言葉なのですが、明らかにそこには感謝の気持の両面通行があります。「気をつけて行けよ」「また困ったら呼びますよ」といった冗談ともつかぬ会話が生まれます。これは地球人同士の心の通い合いといっても言い過ぎではないでしょう。

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 以来阪急電車の中で席をゆずられると、私は必ず「すみません」ではなく、「ありがとう」と言うようになりました。口に出してみて、あらためて「ありがとう」の言葉の重さに気づかされました。相手がアメリカ人やイタリア人でなくても、そこからは会話が生まれるのです。「兄ちゃん元気にしてるな」「うちの爺さんがな・・・」。
 ややもすると障害者は自分中心主義に陥りがちです。周囲から無視され、さげすまれていた時代が長かったのですから、仕方のない部分もあります。私自身十数年という長い時間を経て車椅子に乗るようになったのですが、杖をついていた時に比べ、車椅子に乗った時の、周囲の受け止め方に大きな差があることに気付かされました。
 車椅子に乗っているというだけで、遠慮とも差別ともつかぬ、布きれ一枚はさんだような、いやな空気が漂うのです。この空気を乗り越えるのには、本当に長い時間を必要としました。
 それが、「ありがとう」を口に出すようになって一気に氷解したのです。殻に閉じこもっていた自分自身の心が、外に向かって開かれたせいではないかと喜んでいます。
 車椅子に乗ってはいても、現在の私は障害者に向けられる「いやな空気」を感じることなく、どこにでも出かけ、多くの友人を作ることができます。これはすべて、「ありがとう」という言葉の重さを知ったことに始まりますが、阪急電車からシルバーシートが消えたことと無縁でないような気がします。
 シルバーシートという、ちょっと恥ずかしい制度を乗り越えた現在、今まで海外でしか感じることのできなかった人々の心のおおらかさが、こうしたことをきっかけにどんどん育(はぐく)まれ、世界に通 用するものになればと願っています。


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