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 うちのばーさまを一言で表現するなら「ターミネーター」である。
 いきなり自分の祖母をアーノルド・シュワレツェネッガー演じるところの殺人サイボーグに例えてしまうのもどうかと思うが、色々考えてみたものの他に適当な例えが見つからなかったのだから仕方がないのだ。

 おいらにとっての最も古い記憶は、必死にパンダのぬいぐるみをかき抱きながら、押し入れの中で息を殺している、という映像である。
 当時・・・恐らく3、4才だったと思うが、その頃のおいらには宝物があった。どうということはないパンダのぬ いぐるみだが、これがいたくお気に入りで、「パンダちゃん」という名前をつけて、いつも抱いていた。
 遊びに行く時も寝る時もいつも一緒だから、当然のことながらそのぬいぐるみは薄汚れてくる。

 そこでうちのばーさまは、あのような薄汚れたぬいぐるみを持って歩いているのは実にみっともないことだから、新しいぬ いぐるみをあてがって、あれは捨ててしまおう、と思ったらしい。
 新しいぬいぐるみをおいらに差しだし、「これをあげるから、そっちの古いのをおよこし」と、おいらに迫ったが、当然ながら「そういう問題ではない」のである、おいらは別 に「パンダの形をしたぬいぐるみが好き」なのではなくて、「長年苦楽を共にしたパンダちゃんが好き」なのだから、例えどのような代替品を貰ったとしても、この世で最初の親友を手放すことなど思いもよらなかった。

 しかし、こんなことで諦めるばーさまではなかった。
 彼女は「圧倒的軍事力を背景とした実力行使により己が要求を突き通す」、というアメリカ国防総省のような基本姿勢を持つ老婆なので、実力でおいらから「パンダちゃん」の身柄を強奪しようと試みたのである。
 その結果、おいらは一人押し入れに逃げ込んで、必死に我が親友、パンダちゃんをかき抱いて息を殺していた、という記憶のシーンに繋がるのである。

 うちのばーさまという人は、どんな理由であれ一度こうだと思ったことは、その通 りにしないと気がすまないという、良く言えば強い意思の持ち主、悪く言えば、鉄人28号並に柔軟性の無い人なので、この場合も、「みっともないぬ いぐるみを取り上げる」という目的さえ果たせれば、3、4才の孫が押し入れの奥で震えながら泣いていようが、そんなことはどうでも良く、その結果 、情操教育にどのような悪影響を及ぼしたとしても、当面の目的さえ果たせればオール・オッケー、という恐るべき殺人サイボーグ・ナイズされたばーさまなのである。

 その結果、哀れ僅か3、4才のおいらは無理矢理「パンダちゃん」をとりあげられてしまった。新しく貰ったパンダのぬ いぐるみには当然のことながら何の愛着も沸かず、なんとなく、家の事情で無理矢理愛する恋人と引き離され、親の決めた面 白みのない若干顎の尖ったぎすぎすした妻と無理矢理結婚させられてしまった御曹司の結婚生活のように、おいらと「新パンダちゃん」との間は冷え切った関係になってしまった。


 他にもばーさまの武勇伝はいくらでもある、これも幼稚園の頃の話だが、うちのじーちゃんと近所の公園で遊び、家に帰ってみたら、母親とばーさまが、熊のぬ いぐるみを解剖して、中の綿を利用して昼寝用枕を縫っているところにでくわしてしまったことがある。
 つまり、おいらがいるところでは邪魔されるので、じーちゃんにおいらを連れ出させ、その間に凶行に及んでいたのが、折悪く終わる前においらが帰ってきた為に犯行を目撃されてしまったのだ。これも、一体、どういうわけでわざわざ孫が気にいっているぬ いぐるみの綿を使ってまで「昼寝用枕」を作る必要があったのかは今もって謎のままだが、家に帰ってきた時に目のあたりにした、「引き裂かれたぬ いぐるみ」の映像は、完全にトラウマとして残ってしまっている。


 さて、このばーさま、どういうわけか犬猫の類が嫌いである。
 この為、おいらの実家では一度もペットを飼ったことがなかった。
 今から、5、6年ほど前の話だが、おいらの妹が近所のペットショップで子猫の里親を探していることを知り、なんとかその子猫を家で飼いたいと言い出した。おいらはどちらかといえば猫よりも犬の方が好きだが、子供の頃、ペットを飼えなかったということもあり、即座に賛成した。
 妹は、「でも、おばあちゃんが何ていうか・・・」と渋る両親をもなんとか口説き落とし、残るはばーさまだけ、というところまでこぎつけた。

 しかし、その結果は惨々たるものだった。
「あたしゃ、やだよ。」という客観的論理性を無視した主観論の一点張りの前についに妹も既に「にゃん太」と名前までつけた子猫の里親になるという夢を断念せざるを得なかった。

 その話を聞いたおいらは、さすがに頭に来て、「この際、ばーさんをダンボールにいれて河原かどこかに捨ててきて、代わりににゃん太を飼うというのはどうだろうか?」と家族に提案してみたが、残念ながら受け入れられなかった。

 おいらの実家は、東京の下町にあるが、最近近所に野良猫が増えてきた。とはいっても、それほどの害があるわけでもなく、近所のオバサン達はめいめい勝手に餌をやったりして楽しんでいるらしい。うちの母親も、何度か残飯を野良猫に与えているうちに、猫が懐いたらしく、おいらも実家の庭で野良猫がくつろいでるのを見たことがあるが、この前、両親から凄い話を聞いてしまった。

 たまたま、ばーさまが洗濯物を取り込んでいた時に、慣れた野良猫がばーさまに近づいてきた、ここの家の人間ならまた餌をくれると思ったのだろう。ところがばーさまは、老婆とは思えない身のこなしで次の瞬間には、物干し竿を野良猫に向かって振り下ろした。
 すんでのところで猫は身をかわし逃げて行ったらしいが、80を過ぎてこの闘争本能は凄まじ過ぎるのではないだろうか?
 おいらは、この話を聞いた途端、何故か「燃える闘魂」という言葉が脳裏をよぎってしまった。


 うちのばーさんの詳細な年齢はおいらもよくわからないが、もう80代の半ばくらいではないかと思う。その割に頭も体も恐ろしいほど丈夫で、もしかしたら、おいらよりも長生きするのではないか?という気さえしているが、もし、1日でもおいらの方がばーさまより長生きした暁には、ばーさまの墓には、家紋の代わりに「パンダのぬ いぐるみと子猫がぶっ違いになった紋」をいれてやろうと今から密かに企んでいるのである。


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