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 雪が降ると犬は喜んで庭を駆け回る。
 しかし、あれは喜んでいるのではないという噂を聞いた。自分の臭いかほかの臭いかが解らなくなって困っているらしい。
 あんなにはしゃいでいるようにしか見えないのに、その実犬たちはパニックになって駆け回っているというのだ。
 この話が実話かどうか、犬に確かめた訳ではないので解らない。ただ昔の人がそうやって唄ったように、どうにもあの様子は喜んで駆け回っているようにしか見えないのだ。
 少なくとも、わたしは雪を見ると興奮する。たとえ犬が不安に苛まれていようと、わたしは雪を見るとひどく浮かれ気分になり、庭に駆け出したい衝動に駆られるのだ。庭があればね。
 十一月にもなると既にしもやけになるというのに、わたしは雪が大好きである。
 育った環境に問題があったのかもしれない。わたしが産まれ、十八年間を過ごしたその町はやけに温暖だった。夏はからっとしていて、冬には雪なんか降らない。古くはいろんな将軍が隠居に訪れ、茶をすすっていた。
 雪が降らないぶりは徹底していて、時々風花が舞う程度だ。今でも同級生に会って「小学校二年くらいの時にさあ、雪積もったよね」と言えば通 じる。その時の積雪はたぶん三センチくらい。忘れもしない、わたしは風邪で学校を早退したのだった。迎えに来たうちの母親はクラスメイトたちに「外雪降ってる?」「積もった?」と質問攻めで大人気だった。学研の『科学』に、「雪の結晶の見方」という特集が載っていたこと(その方法)を、降りもしない雪のために一生懸命覚えたこともあった。
 そんな環境で育ったわたしにとって雪は非日常である。どれくらい非日常かというと、例えて言うならT字路に『石敢当』があるってかんじだ(沖縄)。
 雪のよく降る地域もしくは東京にお住まいの方にとって、雪はひどく迷惑なものにもなり得るようである。特に東京に住んでいた友人には、「雪が好きなのだ」といくら言ってもまったく同調してもらえなかった。その状況はまさに雪を初めて見たチューヤンにぐったりしているイトウくんだった。
 つまり雪というのは、それに大量に降られている人にとっては雨と一緒、いやそれ以上の困りものなだけなのだろう。これが海や山の話ならば、どんなに興味がなくても、それなりに話につきあってくれるはずなのだが、雪の話となるとそうはいかない。雪好き(わたし)は雪が好きだということばかりを主張し、その度に雪嫌い(東京)は口数が少なくなるか「雪は嫌いだ」という主張しかしなくなるのだった。
 雪は友情さえ壊すものなのだろうか。
 先だって富山県は立山に行ったのだが、スキーもしないのにゴンドラに乗ってスキーヤーやボーダーに混じって雪達磨を作り、一人雪合戦(雪を丸めて人のいないほうに投げる。雪を丸めたかったのだ)のわたしを、富山県民の友人は遠くから見守ってくれた。見守っていてくれたはずである。まさか夜叉の様な目をして睨んでいた訳ではあるまい。そのあと口数が少なくなってなんかいないはずだ! ドキドキ。
 そんな危険きわまりない雪だが、前述のようにわたしは今年富山県に遊びに行った。サンダーバード号に乗って一路日本海である。
 急に暖かくなってきた時期だったので、さすがに都会には雪はほとんど残っていなかったのだが、立山の方に行くとすごい。冬期閉鎖の道路があることがどれだけすごいことか、なにしろ庭の松の雪よけロープさえ見たことがないのだ。閉鎖される道路の傍に行くと、いろんな観光施設も軒並み閉まっている。それもそのはずだ。雪で寺の境内に入れないんだもの。
 厚い雪を踏んで歩いた記憶さえ、小さい頃家族で雪山に行ったのと小学校でスキー旅行に行かされたときくらいなのだ。そりゃ踏むさ! どんなに忠告されたって、靴がずぶ濡れになったって踏むさ! ずぶ濡れになって友達にビーチサンダル借りたよ!
 そんな訳で、今年は(友人を巻き込んで)例年にない満足した冬になった。
 毎年毎年、雪が見たくてしょうがないのだが、住んでいる場所柄、そううまくはいかない。去年は夜中にほんの一時間くらい降った雪がベランダのへりに一センチくらい積もったので、体長八センチほどの雪達磨を作ったことを思い出す。しもやけとの闘いだった。風邪引くかと思ったよ。仕事場で雪が降ると、模様入りすりガラスのせいですごい牡丹雪に見えるがウソである。何度見ても騙されて、一時間に何度も窓を開けるので、たぶん一緒にいた人は迷惑に思っただろう。ションボリである。牡丹といえば能勢で牡丹鍋食ったあと、雪が降ってた時もひとりで興奮しすぎて洋服が濡れて制服みたいな匂いになってしまった。
 寒いのは嫌いだ。変温動物にかぎりなく近いわたしは、冬になると体温が下がる(夏になると意味もなく発熱することもある)。気分も落ち込みがちになる。本来なら冬眠すべきなのかもしれない(夏眠も必要なのかもしれない。熱帯雨林に棲む動物の一部は夏眠をするらしい)。しかしそんな気分を一掃させてくれるのが雪。ひとり傘も差さずに雪の中をニヤニヤ歩いているのを見たことがあるとしたら、それはもしやわたしかもしれない。雪のためならしもやけだって辞さないが(?)、やっぱり北海道、東北、北陸(そして東京)に住んだらせっかくの雪のことが嫌いになってしまいそうなので、このまま雪の降らなげな地方を点々とし、年に一度くらい興奮するに留めておくことにする。
 来年は北海道だ。

2001年弥生


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