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  北海道を旅してみたいという人は多いと思う。夏休みの時期になると、私の住む釧路の駅前には、自転車、バイクの類の旅行者で混雑し、寝床の争奪戦をしている。
 北海道の人が本州、四国、九州をひっくるめて「内地」と呼び、北海道のことを「外地」と呼ぶように、自然、動物、気候、食、あらゆる面 で、北海道は、「内地」と明らかに違う面が多い。旅してみたい人は、私も北海道へ住む前に抱いていた、「内地」にはない、ある種の北海道らしさを求めているのだろう。北方的ロマンティシズム。荒涼とした原野に象徴されるさいはて感‥‥。それらを求めて、「内地」から来た観光客がやりがちな、ほとんど“殺人的”な移動距離と旅行日程で、北海道の端から端までをバスやレンタカーでまわる観光旅行でも、それはそれで見るものすべてが珍しく、北海道らしさを感じることができるのだろう。
 これから紹介する2つの漁村は、観光旅行の「広く浅く」といった考え方や方法では旅行しにくい。特に、北海道の東の方、いわゆる道東地方は、観光旅行では摩周湖、釧路湿原を見るだけでほとんど通 り過ぎてしまう。また、北海道では牧場をよく目にするが、漁村は旅行者にとって無縁である。ましてや太平洋側(釧路・根室地方の海岸)の漁村は、断崖絶壁で区切られている場合が多く、その様子すら国道沿いを車で走っても、見ることができない所もある。
 北海道らしさを感じる旅をしたいと思う人には、場所やアプローチを工夫して旅して欲しい。そのためには原則的に「狭く深く」という旅のスタイルが必要である。そうすれば、北海道を観光旅行した後に残る、乗り物疲れと大量 のおみやげから解放され、本来の意味での「北海道らしさ」を発見できると思う。

「北海道太平洋側海岸」

 夏、日本地図から見ても東に位置する北海道釧路・根室地方では、早朝4時くらいになると、夜が明け始める。早朝5時、静まり返った海面に、いくつもの白い筋が、港から沖に向かって、一斉にのびる。筋の先端には小型漁船が走っている。昆布漁船だ。この時期、釧路・根室地方ではナガコンブ漁の時期である。漁の時間は、日によって違うが、約3時間と制限されるので、漁開始の時間になると、1秒でも早くと、漁船は漁場に向かう。
 夜が明けても、朝もやが長く残っているかのように、乳白色の大気で覆われたままなのは、この地方特有の霧のせいだ。6月から8月にかけて、気温もさほど上がらず、上がっても20度前後。一日中霧で覆われることは珍しいことではない。

「昆布干し」

 私が知り合いのつてを頼りに、切望していた昆布干しを手伝わせてもらうことになったのは、釧路市街から車で約40分ほどの漁村、釧路町昆布森幌内(コンブモリポロナイ)である。5軒の小集落で、そのうちの1軒でお世話になった。
 朝とった昆布を“干場(かんば)”と呼ばれる場所に並べて、干す。干す作業は、主に女性と子どもたちの仕事で、親戚のおばさんも手伝いに来ている。
 干場には、砂利が敷き詰められ、砂利が太陽熱を吸収し、昆布を乾きやすくする。ナガコンブは幅が20センチほどで、長さは8〜10メートル、長いもので15メートルくらいになる。それをまっすぐ干すのは至難の業だが、まっすぐ干して並べないと、干場に隙間ができ、スペースの無駄使いになる。昆布を片手に4本ずつ持ち、後ろ向きに歩く。歩いている途中に手首を動かし、重ならないようにし、またねじれをほどいていく。このとき昆布ばかりに気を取られると、いつの間にか、斜めに歩いてしまい、昆布が斜めに並ぶ。おばさんからは、まっすぐ歩くために「遠くを見て歩きなさい」といわれた。
 おばさん、子どもたちの昆布を並べる作業は、まさに職人技で、手首を動かすと、昆布が踊り、昆布自ら、絡みやねじれを取っていく。おばさんに言わせれば、「何も考えないで手首を動かしているわけではないのよ。昆布の様子を見ながら動かせば、昆布が勝手に動いてくれる」だそうだ。
 2時間ほどで干す作業は終わるが、この後、昆布の根っこについた石など、無駄な部分をハサミで1つ1つ切る。それが終われば、昆布を少しずつずらして、より熱のこもっている砂利に昆布が接するようにする。これを午後3時近くまで1時間置きくらいに繰り返す。3時近くになって乾いていれば、束にまとめて昆布を切る作業があり、霧等で天候が悪く乾いてないようだと、乾燥室に干し直す。いずれにせよ、すべての仕事が終わるのは夕方4時すぎくらいだ。
 初日、私はほとんど戦力にならずに終わった。何日も通うようにつれ、少しずつこつをつかんだが、子どもたちと同じレベルの戦力にはならなかったと思う。仕事が終わると、たいていはくたくたになったが、力を合わせて一つのものを完成させた、何とも言えない達成感がいつも残った。
 この仕事の楽しみと言えば、漁師さんの家でごちそうしてくれる昼食である。海産物が多く、昆布の佃煮、昆布巻き、鮭、サンマの塩焼き、茹でタラバガニなど、また近くの山で取れた山菜なんかもある。重労働の後の御飯は格別で、どれもこれもおいしかった。特に、自分たちでとった昆布を使った、おばあちゃん特製の昆布料理については、その味を描写するのは音楽をペンで説明するのと同じ愚だからやめておこう。

「馬狩りの漁村と無人島」

 紹介した釧路町昆布森幌内も含む、釧路から根室まで続く太平洋側の海岸には、大小多くの漁村が存在する。その中で根室市昆布盛(コンブモリ)という世帯数50軒ほどの漁村がある。
 昆布盛漁港からは、晴れていれば、細長い、均整の取れたテーブル状の無人島が、沖に見える。ユルリ島という島で、港から約15キロ沖に位 置し、周囲4キロ程度、背の低い植物しか生えておらず、島の中央部は高層湿原になっている。
 ユルリ島には戦後から1976年まで、夏だけ漁師が定住していた。漁師が昆布盛漁村に引き上げたとき、それまで漁で使っていた馬を島に残し、現在その馬の子孫20頭前後が、半野生化している。かつての飼い主たちが中心になり、毎年、島の馬を狩る。「狩る」といっても、馬たちを守るためで、近親交配による馬の絶滅を防ぐために、雄馬を間引きし、種雄馬の交換も5年ごとに行っている。
 だが、間引きといっても、その手法は何とも勇敢で、狩りに近い。すべての馬を浜に追い込み、ロープでわっかを作り、それを西部劇のように投げ、ねらいを定めた馬の首に掛ける。馬が暴れるのをロープで制止し、暴れ疲れたところをクレーンで引き上げ、船に積む。実は馬の間引き、某放送局で2度紹介され、全国発行の週刊誌にも、3年前に写 真入りで紹介された。しかし、根室に近い釧路でさえ、知名度は低く、ユルリ島に半野生化した馬がいることはおろか、ユルリ島の名もあまり知られていない。
 学生時代にこの島を訪れた私は、3度島に上陸したことがある。島に住む馬は、テレビで見る競馬中継のサラブレットのようなスマートな姿とはまるで違い、たてがみは伸び放題、足は大木のように太い。顔はたくましさを通 り越して、哀愁さえ漂わせている。人間が近づくと、物珍しいのか、ジーとその様子を見つめる。
 私が島を訪れるときは、だいたい5人ほどで訪れ、島で自炊する。高層湿原があるため、沢が流れていて、水の心配はない。浜辺にカニカゴを仕掛け、30分もすると、アブラコ、カジカなどの魚、花咲ガニ、北海シマエビなどがすぐに獲れるので、食糧も心配ない。
 私が島を初めて訪れた98年の秋、2泊3日のユルリ島探検をした。実際には心配で食糧は持っていったが、無人島での自給自足に思いをはせ、島での海産物の獲得を楽しみにしていた。しかし、漁船をチャーターしてくれた漁師さんが、漁網いっぱいの花咲ガニ、北海シマエビをバケツ2杯、釣りエサ用にと秋刀魚を10キロくれた。秋刀魚は釣りエサ用といっても、漁師さんは刺身でも食えると言った。そんな恵まれた状況では、自分たちで獲物を捕る闘争本能は芽生えず、カニカゴを仕掛けたり、釣りをしてみても真剣味はなかった。
 頂いたものを腹一杯に食べ、短い無人島生活を満喫していたが、すっかり堕落した私たちへの天罰か、2日目の夜、大嵐にあった。テントのポールは折れ、ほとんどびしょぬ れになって、夜も眠れなかったが、次の日の朝、昨夜の大嵐が嘘であったかのように青空が広がった。しかし海は荒れたままである。今日帰る予定は延期かと思ったが、心配した漁師さんが無理をして船で迎えに来てくれた。その漁船が島から見えた瞬間、私たちは歓声を上げて喜んだが、内心もう少しこの島にいたかったのにという横着な気持ちを、私を含め、メンバーのうち数人は、持っていた。


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