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 異性への意識や関心が本格的に高まる時期といえば15、6歳、華の高校生くらいからではないだろうか。
 中学生の頃の子供っぽい片思いや、電話だけの付き合いとは違うその後の恋愛の基礎ともなる付き合いを始めることも多い。
 衣替え、クラス替え、なにかが始まりそうな気がするまぶしい日差し。春は夏とは違う、純粋なカップルが多く生まれる季節である(多分)。
 しかし、どんなにさわやかなお付き合いをしてそうなカップルでも、結局のところやることはひとつである。男と女にさわやかなど、奇跡に近い。人間一度はサルになってしまう時期が1年くらいある。これはのちに精神的な付き合いのできる大人になるための必要なステップであって、下品ではないむしろ純粋な誰にでもあるものだと思っている(そして思いたい)。
 
 あたしの通っていた高校は共学で制服はブレザーだった。その頃付き合い始めたのが同じクラスの顔立ちの整った、優しい男だった。
 付き合い始めてからSEXをするまでそれほど日はかからなかった。男の家の部屋で一度失敗して、それからあたしの家の部屋で無事成功した。初めての時は緊張やどうするのか、ということがあり性欲がわくことはなかった。終わった後、これがテレビドラマや映画のラブシーンでおこなわれていたことなのだ、と不思議な感動があったことを憶えている。
 一度やってしまえば喉元過ぎればなんとか、である。授業が終わり、誰もいない男の家でアルバイトの時間までの5分間でさえ、場所も選ばずリビングのソファーでやってしまえる。
 しかしだいたいは家に親、兄弟がいるので結構気を使う。
 授業が終わると毎日そのまま男の家に行っていた。その男の母親があたしのことを良く思ってくれて、夜ご飯を二人分持ってきてくれたり部屋に入ってくることが多かったので、やるにもいつドアを開けられてもいいように保たなければならない。しかもベッドがなく毎日押入れから出し入れされる布団であるため、布団を敷いてできない。
 だからその頃のSEXというと制服をきたまま、母親がきてもすぐにたて直せる苦しい体勢というのが普通 になっていた(たまにフローリングに寝転んでやって背骨を痛めたりもした)。
 裸でやったのはほんの数回だった。授業が早く終わる土曜日、家族が仕事や用事で家に誰もいない、そしてしばらくは帰ってこないという条件がそろった時だけ。そんな風だから裸でやることは新鮮さと肌が触れ合う感触で心を満たす素敵なものだった。
 
 その男とラブホテルへは行かなかった。散々やっているくせにそういうことろへ行くことに対する恥ずかしさか、行こうと言うことの恥ずかしさがあったのかもしれない。サルであってもそういうところが華の高校生である。
 
 初めて行ったのはその男の後に付き合った男で、その時どきどきしてそれまでにはなかった違ういやらしい気分になってしまった。
 
 数年後、あたしはラブホテルでアルバイトをした。今ではラブホテルに行ってもあの頃の興奮は消えうせ、部屋のデザインや備品をチェックしている始末。たかが数年であるのに時の流れとは恐ろしいものである。
 
 そういえばあの頃、あたしは母に制服のスカートの丈をたまになおしてもらっていたのだが、母は気付いていたのだろうか。スカートの裏地の白く干からびた男の体液の跡を。
 ちょうどあの頃から男を連れて来たりしただけで、何度かあたしは『ふしだらな女』みたいに言われたり、そういう眼でみられたりした。
 もしかしたらあたしが跡のあることに気付くより早く、母のほうが気付いていたかもしれない。だとしたらあたしはかなり大きな、恥ずかしいミスをしてしまっていたことになる。あたしが男を家に連れてきたのは、片手で足りるほどしかない。男を連れてきた時に母が放つ空気が耐えられず、男を来させないようにした。
 
 今ではマンションで一人暮しをしている。気楽さも孤独感もあの頃の何倍も大きい生活。
 ああほろ苦い青春。青い春であった。


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