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 「陰陽師」という映画がある。公開は一ヶ月間のはずだったようだが、かなりの好評を得て公開延長した。当然である。何度見ても飽きない映画なのだから。
 そう、7回も見に行った私はリピーター。はっきり言って、家族はあきれ果てている。しかし、同じ映画を見るために、もう一度映画館に足を運ぼうなどという意識は、かつて一度たりとも芽生えたことがなかったのである。ヒットした映画ならそのうちテレビで放送する。たとえ放送しなくてもレンタルビデオがあるじゃないか。あの「タイタニック」や宮崎アニメでさえ、映画館に二度以上足を運んだことはない。「タイタニック」も宮崎アニメも私が大好きな映画である。何度もテレビで放送しているにもかかわらず、ついつい見てしまうのが宮崎アニメなのだ。
 ところが、「陰陽師」は、私の映画に対する思いを明らかに変えてしまったのである。これは私の中では革命的な出来事だ。いずれはビデオもDVDも発売されるだろうし、ヒットすればテレビ放映もあると分かっている。それにもかかわらず、幾度も料金を支払い、映画館に通っていたのである。
 我ながら何ということだろう。
 主演の俳優は狂言師である野村萬斎氏だが、私はその映画を見るまで、まったくその狂言師のことは知らなかった。NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」を放送している時は通勤電車の中だったし、大河ドラマ「花の乱」も見たことがない。以前コマーシャルで見かけたが、ほんの何十秒かの映像だけでは、私の右脳を刺激するには至らなかった。
 「陰陽師」を見に行ったのは、元来、占いだとか霊、超常現象を扱ったテレビ番組や物語が好きだったからに他ならない。何しろ霊能者が出てくれば、食い入るようにテレビを見ているし、本屋へ行けば必ず占いコーナーに立ち寄る。夜道を歩くときは、UFOが飛んでないかと星空を見上げながら歩いて転んでしまう始末である。ちなみに、そういった方面が好きな私は、ついに、節分、雛祭り、子どもの日など、現在日本に残っているこれらの行事が、古くは陰陽道から発したものであったと、そこまで知ってしまった次第だ。
 陰陽道自体は、政府機関の一つに「陰陽寮」という機関があったという。明治に入り、陰陽寮が廃止されたが、実は、私たちが知らなかっただけで、陰陽道の行事は、今もなおこうして、私たちが暮らすこの日本に脈々と息づいているのである。ついでに言えば、旧陸軍の星のマークは陰陽道の五芒星(晴明桔梗印)だという。こうしてみると、少なくとも、季節の行事が残っている間は、永遠に日本から陰陽道がなくならないのだろうという気さえする。
 そういうわけで、私がその映画を見に行った理由は、ただ単に、近年流行している陰陽道という世界の一端に興味を抱いただけのことだったのだ。
 ああ、それなのに、野村萬斎氏にしてやられた。晴明が呪(しゅ)をとなえる時の独特な声が心の奥底に響き、私を心地よくさせてゆく。そうかと思えば、はにかんだような表情が自然だ。泰山府君祭という死者を蘇らせる呪術の時に舞う姿。これは私に、忘れかけていた日本人の心を蘇らせた。また、その時の萬斎氏の唄呪は、日ごろのストレスを忘れさせてくれるほど聴き入ってしまう。
 萬斎氏のどこが特にいいのか、もし、そう問われたとしても全部としかいいようがない。歩く姿、酒を飲みながらくつろぐ姿、駆けていても戦っていても、とにかく見とれるばかりである。今だって、こうしてこのエッセイを書きながら、萬斎氏のそうした所作が鮮明に浮かんできて、とろけたような顔をした自分がいる。
 作家の夢枕獏氏が熱烈なまでに、映画にするなら野村萬斎氏だとこだわりを見せたのが頷ける。実際の安倍晴明が本当はどんな人だったのかと思いを馳せても、今は昔のことである。しかし、晴明の存在感を充分に感じ、且つそうした立ち居振る舞いの雅な姿を見せられるとは思いもよらなかった。
 エンドローブで野村萬斎氏が舞う姿を見終わった時、「ああ、また見に来よう」と思ってしまう。最後に舞う姿も見ずにさっさと席を立ってしまった人は可哀相である。館内が明るくなった時、次回見たらもう満足するだろうかと自問自答しながら席を立つのだが、やはり、何度見ても「もういい。飽きた!」って気持ちにはならず、同じ映画を見るために、また映画館に通うのである。本来の映画とは、観客をその気にさせる映画のことなのだろうと分かったようなことを思いつつ・・・。
 野村萬斎氏のいろいろなインタビュー記事を読んでみると、それは幼いころから培われた狂言師としての自分を充分に出した結果のようである。またそれだけの自信が、今回の成功につながっているのだろう。
 では、狂言師ならだれが演じても成功するのだろうか。否、私はそうは思えない。夢枕獏氏の小説に出てくる晴明という人物は、野村萬斎氏にしかできない役だ。主人公と俳優。両者の雰囲気とか、何もかもが一致したと表現しても過言ではないと言い切れる。
 それにしても、あの映画を見て狂言に興味を抱いた人は、私だけではあるまい。日本伝統芸能に関しては、まったく音痴な私である。きっと難しくて、私などが見ても理解できようはずもない。今まではそう決めつけて、触れるつもりもなかった。それに、狂言というものが、世の中にどれほど浸透しているのかさえもまるで知らないのだ。
 しかし、今の私にはそんなことは一切関係ない。とにかく、この人の本来の舞台を見てみたいと思った。私が狂言自体にのめり込むかどうかは分からない。けれども、狂言に携わる人たちにとってはかえって失礼な物言いになってしまうが、野村萬斎氏の演じる晴明を見て、少なくとも一度だけは狂言を見てみる価値があると確信した。それと同時に、日本人として、日本古来のものに目を向けることのなかった今までの自分を見つめ直してみたい衝動にもかられたのだ。
 そして何よりも、野村萬斎という狂言師が、安倍晴明を演じたことによって、狂言界に、さらに多くの人を寄せつけたことは間違いないだろう。

◆「呪(しゅ)にかかる」の感想

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*友枝さんは、旧・ライター掲示板 の8番でライター登録されています。また、「夢探検」文芸&アート リンク)というご自身のサイトで作品を発表されています。
* 文華別館にも、友枝さんのエッセイ集が収録されています。


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