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特別寄稿エッセイ


 朝7時、夏の朝はすで暑い。強い日差しが差し込む。こどもの頃は、暑さで汗をかきながら目が覚めた。それでも当時は、まだ日陰と涼しい音があった。風が部屋の中をなでるように通 り抜けると、風鈴の音がチリリンと鳴る。
 「ごはんですよ」
 母の声が夏休みの一日の始まりである。
 親父はすでに庭の草むしりや水撒きなど一仕事を終え、一息ついているところである。近所の人から見ると、一見働き者に見えるが、家族から見ると自分の好きなことしかやらない頑固で飽きっぽい人間である。庭仕事は好きなことなので毎朝続いている。草木に水をやるのはいいが、やりすぎてダメにしたことも多い。毎日水をやらないと気が済まないのである。そいうわけか、庭の植物はよく育っていが、鉢植えは、枯れそうなものもある。新しい鉢は、たぶん近所の即売会で購入してきたものだろう。「また買ってきた」と母がつぶやく。
 呼ばれて重い体を起こし、食卓に座る。目の前の朝食を眺める。暑さで食欲はない。食べないとバテるといわれ、無理やりたべる。私が食べている間に、親父は朝からごはんをお代わりする。食べるのが早い。半分寝ている状態でうつろな私は、味噌汁を飲んでやっと目が覚めつつある。
 食事が済むと、畳の上で横になる。うつらうつらするとこれがまた気持ちいい。母は裁縫をしながら、高校野球を見ている。昼近くになると、さすがに暑くて寝ていられない。こごとを言われながら起き出す。冷蔵庫から冷えた麦茶を出して飲み、一息つく。
 親父は家の中でじっとしていることはほとんどない。もうどこかへ出かけているらしい。彼はいろんなことに頭をつっこむのが好きで、ついこないだまでは、興味はダンスだった。毎日「ワンツースリー」といいながら、右手を肩の上に上げ、足でリズムを取っていた。
 今は、サイクリングだといって、買い物自転車に乗ってどこか遠くの知らない場所まで走るのが好きである。凝り出すと止まらない。どこまで走っているのか、なかなか戻らないことが多い。帰ってくると、今日はここまで走ったと、うれしそうに報告してくれる。おかげで、母が買い物にいくとき自転車を使えず困っていた。仕方なくもう一台買ってしまった。彼の報告を素直に聞いていたせいか、私も自転車に乗りたくなっていた。そしていつかは、自分専用のかっこいいサイクリング自転車を欲しいと思うまでになっていた。
 蝉の声を聞き昼寝の続きをしていると、親父はそわそわとして落ちつかない。今日は町内会の盆踊りの日である。彼は盆踊りも好きなのである。独特のリズムを刻む太鼓の音がかすかにでも聞こえると、どんなに遠くから聞こえようとも、あっと言う間にいなくなってしまう。普段は、私が不平をい言うときは右から左で聞こえないふりをしている。町内会の盆踊り大会では飽きたらず、隣の町やまったく知らないところまで遠出する。後から近所の人に聞くと、かなり遠くまでいっているようで、どこそこの盆踊りでご主人を見かけた、といわれる。
 町内会での盆踊りでは、町内の大人たちが力をあわせて櫓を組むのを手伝ったり、テントを張ったり、冷たい物を用意したりと準備する。実際の踊りのときは自分たちは踊らず裏方に徹するという人が多い。ところが、彼はそれまで姿が見えなかったのに、実際に踊りが始まると、いつのまにか輪に加わっている。そして終わると知らぬ 間にいなくなっているのである。どうやら、近所の盆踊りをはしごしているらしかった。
 私は、家にいるといろいろとうるさいので、サイクリングすることにした。多摩川のサイクリングコースを、無謀にも起点から終点まで走ろうと思いついて、とりあえずいけるところまで走ろうと思った。川に沿って走るとちょうどいい風が流れるので、汗をかいても気持ちよい。しかし自転車を止めると地面 の反射する熱も加わり、まるでサウナ風呂にでもいるような状態になる。橋を見つけるとその下で休憩を取るようにした。
 下流から上流へ走っていくと、景色が変わり、田圃や畑が見えてくる。風に乗って太鼓の音がとぎれとぎれに聞こえてくる。ここでもお祭りをやっている。のども乾いていたので寄り道していくことにする。
 中央では威勢のいい太鼓が鳴っている。輪が手拍子とともに進む。浴衣姿が涼しげだ。踊りに使われている曲がいつも聞き慣れている私の町内会とは違うことが分かった。妙なところに感心しながら見ていると、踊りの輪の中にどこかしぐさに見覚えがある人がいた。親父である。なんでこんなところにいるんだろう。太鼓がやむと、私を見つけ、笑った。

◆「盆踊り」の感想メール


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