T-Timeファイル表紙に戻る

 国道6号線を浅草橋から東京駅方面へと独り車を走らせていた。何も彼もが快適な夜だった。天候、気温、湿度といった気象的な条件はおろか、渋滞や長い信号待ちや苛立たしい他の車にさえ悩まされることもなく、あたかも自分の為だけに用意されたかのような、そんな特別な時間を過ごしていた。何の目的も、決まった行く先さえも無い気まぐれな夜のドライブだった。

 ふと気が付けば、車は、僕のごく個人的な意志に反して、暗い路面を滑るように緩やかな加速度で僕をどこかへ運ぼうとしているかのようだった。その、限りなく無に近い意識と行為との間には、まるで第三者が介入していて、何だか僕が動いているのにまるで誰かが僕をウゴカシテイルような…そんな気がして仕方がなかったのは少し疲れているせいだったのかもしれない。しかし、僕に対する下心も打算も利害関係も感情的な問題も何も存在しないような、単なる「無意識の移動」に僕はある漠然とした方向性と確固たる意思的なものを感じていた。
 カー・ステレオからはジミ・ヘンドリックスの弾く、うねるようなギターの音が絞り出されていて、それが規則性のない波調となって僕の周りを包み込み、そして僕を優しく揺り動かしていて、その「不規則な周波」に僕は不思議な安らぎと満ち足りたエネルギーみたいなものを感じていた。

ジミ・ヘンのギターが一際大きくドライブして「無意識の移動」と「不規則な周波」という二つの非物理的な運動がシンクロした瞬間に僕の頭の中で何かが繋がった。それは「何か」と「何か」という二つのものが一つに繋がったというような生易しいものではなく、僕の過去と現在、あるいは未来をも含めた『僕、という世界』の領域を超えたところから幾筋もの触手、あるいはコードの類いのようなものが伸びてきて、たまたま『僕、という世界』の領域の中でバチッとジョイントしたというような感じ。
 そしてその瞬間、彼女はごく自然に、何の違和感も無くそこにいた。
 僕の隣のシートできちっとシート・ベルトを締めて進行方向をぐっと見据えていた。ずっと前からそこにいたような顔をしていた。僕は別段、驚かなかった。何だか初めからそういう風にきまっているような気がした。

 「突然だけど、私にはあなたの将来が見えます」
 彼女は唐突にそう言った。彼女の言う通り、本当に突然すぎて僕はグーの音もでなかった。彼女は運転中の僕の左側のほっぺたを爪の伸びた人差し指で思いっきり突っつきながら、「コラー、聞いてんのかー」と子猫のように可愛く甘えた声で言った。僕は信号待ちでブレーキを踏んで、完全に停車してからサイド・ブレーキを掛けて、彼女の方に向き直ってその姿形を見た。
 美しい女だった。年の頃は23〜25歳。真っ黒でつややかなな長い髪。スケベそうにぷっくりとした唇。ぱっちりとして黒目がちな瞳。おいしそうなナイスなバディー。しかし、宗教とか予言とか、そういう類はいっさいお断りだから、騙されやしないぞ、この雌猫め、一体何を企んでいるんだ。
 「あのさ、運転中は危ないからさ、あんまりイタズラとかしてほしくないな。それとさ、僕は予言とか霊視とか宗教とか全然ダメだからね、言っとくけどさ」
 彼女は大胆不敵にも綺麗に微笑んでいた。僕の言う事なんて全然気にして無いみたい。けっこうマイ・ペースな女なんだ。血液型はB型と見た。
 「あなたの未来が手に取るようにわかるのよ。ねえ、知りたいでしょう、ムフフ、ねえ、ねえ、知りたいでしょう、ねえ」
 信号が赤から青へと変わって、僕は車をスタートさせた。
 「あのさあ、僕は今ひとりでささやかなドライブを楽しんでいるんです。何処のどなたか存じませんが、あの、邪魔せずに、その、少し静かにしていて下さいませんかね」
 「私の名前は正村いずみ。別に宇宙人でも何でもありません。地球上の人間という名の生物でーす。性別は女でーす」
 「あのさ、冗談を言ってる場合じゃなくて、お父さんとお母さんが心配するから、もう帰りなさい、送ってあげるから、家はどこかな」
 そんな、僕の優しい提案なんか完全にムシして、彼女はヤケにノー天気な声で続けた。
 「ミズシマ タカシ 1966年8月23日、17時33分46秒生まれ。血液はAB型、小学校三年生の時に同じクラスのシーちゃんにラブレターを書いたものの、それがクラスじゅうのみんなにばれちゃって思いっきり冷やかされ、バカにされ、あなたは完全にいじめられ、その場でおしっこをもらしちゃって、シーちゃんにもケーベツされ、そして…」
 「ちょと、マッター。なんで、そんなこと知ってんだ」
 僕は慌てて彼女の話を打ち切った。僕の秘密を知っているヤツがこの東京にいるなんて。あれは転校前の話なんだぜ。
 「この天界には、いわゆるアカシック・レコードと呼ばれる情報庫が存在していて、あなたの生まれたときから、死ぬまで、あるいは死後の情報がCD-ROMみたいなものに保管されているわけ。だから、さっきいったように、あなたの未来がわかるのと同時に、あなたの過去だって、難なくわたしには解ってしまうの」
 空を指さしながら涼しい顔で彼女はそう言った。それでもまだ僕は信じない。
 「そんなの信じるもんか。どっかの探偵か興信所でも使って僕の周辺を洗いざらい調べあげて、僕をその気にさせて騙して、何か高い壺でも売りつけようとしてんだろ。そうはいかないぞ、さあ、帰れ、帰れ」
 「あなたの未来だってわかるのよ。例えば、あなたは2分後に昭和通りの信号に当たるわ、そして、あなたの車の前には黒のブルーバード。その運転手は角刈りで赤ら顔の男で、あなたに因縁をつけてくるわ」
 今、僕の車の前にはグレーのアコードが走っていて、確かにあと2分もすれば昭和通りと交差する。僕は好奇心に駆られてUターンすることもなく、そのまま車を走らせた。
 「いいか、今回はあんたの話にノってやる。ここでUターンすれば、あんたの話は全てオジャンになるんだけども、今回だけはつきあってあげるから。もしね、そのブルーバードも角刈り男もあらわれなかったら、まあ、たぶん現れないだろうけどさ、即刻、車から降りてもらうぞ、わかったな」
 僕がそう言い終わるや否や、追い越し車線から無理矢理に黒いブルーバードが割り込んできた。そして、彼女の言う通り昭和通りの交差点で赤信号に引っかかって、ブルーバードも僕の車も共に停止した。まだ、あれから2分は経っていないけど、まあ、約1分間後に、確かに彼女の言うとおりのシュチュエーションになったわけで、ほら、やっぱり出てきたよ、角刈りで赤ら顔。こりゃどう考えてもヤラセだろ。つつもたせ。新手の当たり屋みたいなもんだろ。
 男が僕に向かってこう言った。
 「何をタラタラ走ってんだ、コラ」
 僕はいいかげん頭に来ていたので、車から降りて、ヤツの襟元をひっ掴んで言った。
 「ふざけんな、お前等、ワケのワカンナイ話で僕に一杯食わそうなんて、そうはいかない。お前等みたいなエセ宗教人が一番信用できないんだ。金で幸福や安楽が買えるなんて言う、そんなご都合主義なんて、今時本当のノータリンしか信用しないぞ」
 僕の迫力に押されて、男はすごすごと車に戻っていってしまった。
 ふん。だらしのないヤツ。
 僕は勢いついでに、僕の車の中の女に向かって言った。
 「もう、わかったろ。僕は壺を買う気もないし、献金する気もないから、もうさ、他の人をターゲットにしてくんないかな。僕、こう見えても忙しいんだから」
 彼女が乗っている側のドアを開けて、彼女の二の腕を無理矢理に掴んだ。とってもイイ匂いがした。嗅いだこともないような香水の香りだ。ちょっとだけイヤらしい気分になった。
 しかし、彼女は平気な顔していてテコでも動かないって感じ。笑ってさえいた。 「だからさ、もう出ていけよ…僕を一人にしてくれないか」
 後続車がクラクション鳴らしながら停車中の僕らを追い抜いていった。相当じゃまになっているらしかった。運転手が好奇の目で僕らのやりとりを見ながら通り過ぎていった。
 彼女は僕の目をしっかりと見ながらこういった。
 「私は選ばれた人間なのよ。だから、私にだけ、そのアカシック・レコードは開かれる。それは、ごく自然で暖かい風が体内に流れ込んでくるような感じ。そして、私にはあなたにその内容について知らせる義務があるのよ。ごく自然に息を吐くようにやさしく。いっぺんにじゃなくて、ひとつひとつ、ちょうどイイくらいの量ずつ、少し少し教えてあげる。どうしてって聞かないで。それが運命だし、あえて理由付けするならば、なぜなら、あなたは私が選んだ人間だから。信じようと信じまいとあなたの勝手だけど、もうひとつだけ、あなたに教えてあげるワ。あなたの次なる、運命の双六の、あなたが停まるはずのマスに書いてあるメッセージ。そして、あなたはまた『そのとおりになってしまう』という運命のはかなさに嘆き悲しむことでしょう。でも、気にしてはいけない。私がいつだって導いてあげるから。そうしていれば間違いない。あなたはこの後、正確にいうならば、あと6時間以内に、私の身体を求めることとなるでしょう。あわてて私の下着を剥ぎ取り、シャワーも浴びずに、私の身体にむしゃぶりつくでしょう。あなたは何度も何度も私を求め、そして私はそれに応える。唇が指が舌が絡み合い、すっかり固くなったあなたが私の中に入り込んで、暖かく湿った私があなたを包み込む。ああ、なんて素晴らしいんでしょう。さあ遠慮はいらないから。どこへでもいくから、さあ、さあ」
 「もう、いいかげんにしろー」
 僕は、ちょっと惜しいような気もしたんだけど、腹が立っていたんで彼女を無理矢理車外に引っぱり出して、歩道のあたりまでずるずる引きずっていった。
 彼女は黙って従った。微笑みさえ浮かべていた。
 僕は歩道の真ん中に彼女をおっぽりだして、振り向きもせずに一直線に車へと戻って、バック・ミラーも確認せずに車を急発進させた。後続車が驚いてクラクションを鳴らしたけど、ぶつかったりせずにうまいこといった。
 僕は大急ぎで彼女から遠ざかっていった。いいのだ。これでいいのだ。ちょっと暴力的だったけど、まあ仕方がない。彼女の言っていることが正しいとすれば、僕は自らの運命を自らの力で変えることができたのだ。気持ちが少し高ぶってきた。自らの運命は自らで切り開くのだ。僕はけっして流されない。そもそも、そういった「運命」とか「天命」とか、そういった類の話が大嫌いなのだ。そんな、ウサンくさいことにつきあっているヒマはない。僕は忙しいんだ。

 東京駅を過ぎて大手町に差し掛かったあたりで、僕は急に自分の下半身が熱く充血し始めたのに気付いた。待て待て、そんなにタマッていないはずだけど、何だか変だ。同時に、さっき捨ててきた彼女の顔が目に浮かんできた。確かにスンゴクSexy だった。オカシイ。何だか誰かに仕組まれたような勃起。運命には逆らうな、ということか。ああ、タマラン。一体どうしたっていうんだ。勝手に身体が…。僕はいきなりUターンして、さっき彼女を捨てた場所へと急いだ。まだ、間に合うかも知れない。仕方がない、ああ、ジブンノ ウンメイヲ トリモドスノダ。自分の中の別の僕が下半身のあたりでそういったような気がした。ああ、やっぱり、僕は……。

 もうすでにそこには彼女の姿はなくて、何の痕跡さえも残されてはいなかった。こんなに綺麗に跡形もなく消え去ってしまうと、彼女が実際に存在したという事実さえ希薄になってしまって、ああ、夢だったのかもしれない、そりゃそうだよな。
 仕方なく肩を落として車へ戻ると、もしかしたら彼女がまた助手席のシートにでも座っているんじゃないかと淡い期待もしてみたけど、やっぱりいなかった。そんなの当たり前だ。
 僕はシートに腰を下ろしてため息をつき、何の気なしにふと隣のシートの表面に触れてみた。そこには暖かなぬくもりが残っていて、彼女の香水の香りさえ残っていた。やはり彼女は実在したのだ。僕は完全に充血した下半身を抱えながら、とても寂しい気持ちになった。

 彼女の言葉を信じるならば、あと5時間30分くらいの猶予があるはず。僕はあてどなく街から街をさまよい流した。街角に立つ女という女の全てに目をやった。いろんな女が自らの運命を抱えて自らの人生を生きていた。嬉しそうな女も悲しそうな女もいた。輝いている女もそうじゃない女も同じ数ずつ存在していた。しかし、僕が求める彼女は何処にもいなかった。もう少し優しくしてあげればよかった。まだ下半身の充血は収まってはいなかった。

 気が付けばジミ・ヘンドリックスのテープはもうすでに一周りしていて、もう一度「アー・ユー・エクスペリアンス」が車内に流れていた。繋がっているときに掴まないと、それを得ることはできない。繋がっていないときにどんなにがんばってみたところで、空回りするだけだと。彼のギターが哀愁をただよわせていて、僕は思わず涙を流しそうになったけど、ガマンした。

 もう、諦めるしかなかった。僕は時計を見た。彼女と別れてからもう5時間が経過していた。仕方がない。僕は家路を急いだ。家でビールでも飲んで、寝て、全てを忘れてしまおうと思った。それでいいのだ。もうさすがに下半身の充血は収まったし、もう、全て夢だったのだと考えればいいんだから。僕の運命の流れは変わったのだから、今、天界では僕のアカシック・レコードの内容が更新されている頃だろう。きっと大騒ぎだ。しかし、この寂しさは何だ。胸の中にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。変な女だったけどイイ女だった。ツマラン意地なんて張らなければよかった。素直に運命に身を任せて、彼女とキモチのイイことすればよかったのに。
 僕は駐車場に車を入れてエンジンを止めて、カセット・テープを取り出した。ジミヘンだけは残った。でも今更、って感じがしてならなかった。僕は目を閉じて深く息を吸い込んだ。

 ああ、僕は疲れた身体にムチうって必死に歩いた駐車場からの帰り道、ずーっと後悔ばかりで頭が一杯だった。そして、一人寂しい部屋へと帰っていくのだ。いつもはそんな風に感じなかったけど、今日は何だか、ツラい。

 ため息つきながら、ポケットから鍵を取り出して、がちゃ、ドアを開けたとたんに、キッチンの方からとってもイイ匂いがしてきて、何だ、どうなってんだ、「おかえりなさーい」なんて、誰か女の声が、そうか、やっぱり、汚かった部屋がすっかり片づいていて、イイ香りがただよい、時計をみる、あと3分、まだ間に合う、キッチンを覗くと彼女が全裸にエプロンだけの格好でニッコリ微笑んで、ああ、僕は彼女に飛びかかって、うぐうぐして、やっぱり運命にゃ逆らえないな。


Copyright(c): Sexy☆Sadie 著作:Sexy☆セディ

*作者の Sexy☆セディさんは、「華麗なる文学世界」(文芸&アート リンク)という個人サイトを運営されています。ムーディーでセクシャルな小説が満載。
*タイトルバックに、「ゆん Photo Gallery」 の素材を使用させていただきました。


表紙に戻る