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 山田鞠男は一回生最初の基礎ゼミ自己紹介の時に「京都から来た山田です」と言うところ、緊張から「キョッ、キョキョキョキョキョ」と言ってしまい、当然というかなんと言うかみんなからホトトギスというあだ名を付けられた。
 ホトトギスという変なあだ名にも関わらず、本人このあだ名をかなり気に入っていて、女の子なんかが「おはよう、ホトトギスくん」と声をかけると「キョッキョッキョキョキョキョ」と気さくに対応していたし、ある時なんか教授が「山田くん、特許の申請先はどこでしょう?」なんていういかにも裏のありそうなというか裏のある質問をしたけど、山田はその質問の意図をすぐに察し、ニヤリ笑い、「キョッキョキョキョキョキョ」と答えた。教授はわざと困った顔を作った後、しっかりした溜めを作って半笑いで「特許許可局?」と訊き返し、ゼミのみんなは大爆笑。教授も口許を抑えていた。
 そういうユーモアがあって顔も頭もそこそこの山田は、夏休みが終わる頃には当然ゼミの人気者になっていたが、不思議なもので陰気で影の薄い僕と気が合った。
 その日も僕と山田は大学帰りの国道脇のあぜ道で、溝に巣食うザリガニ取りをしていた。
「なぁ山田、家康は鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、だったよな」
「うん」
「信長は殺してしまえだよな」
「うん」
「秀吉は鳴かせてみせよう、だろ」
「そうだけど、なんだ?」
「これはお前を一流のホトトギスと見込んで訊くんだけどさ、この三人の中で、一番人間として薄く感じるのは誰よ? ホトトギス側から見て」
 色落ちしたジーパンを膝まで捲り上げて溝に入っていた山田は、振り返ると少し考えて答えた。
「まぁ、魅力的なのは、信長だろうな」
「理由は」
「籠を挟んでこっちが鳴くか向こうが痺れを切らして刀を抜くか、そのぎりぎりの所での殺伐とした攻防になるよな。そういうのってさ、俺はマゾじゃないけど、魅力を感じるな」
「秀吉や家康は駄目か?」
「駄目。鳴くまで待とう、なんてのはちょっと引き過ぎなんだよな。こっちもさ、そんなネガティブな奴のために鳴こうなんて思わないし。鳴かせてみせようなんてのも、自意識過剰で俺を舐めてる。所詮ホトトギスだろ?って思ってるに違いないんだ。人間として二人とも薄いよな。短気でホトトギスをある意味人間として扱う信長が一番生の人間らしい」
「そんなもんか」
「ああ」
「貴重なコメントありがとう」
「こんなんどうすんの」
「いや、戦国時代のホトトギス的考察ってのを卒論にしようと思ってさ。まだ先だけど」
「面白そうだな。でもそんなもんが卒論になんのかね」
「さあね。……あっ、そこ、蛇がいるぜ」
 ザリガニが素手で掴めるほど干上がった溝の隅に、黒い蛇がとぐろを巻いていた。
「刺激しなきゃだいじょうぶだろ」
「わからん。でもなんか縁起悪いしもう帰ろうぜ。ザリガニもほら、これだけあれば晩飯には十分だよ」
「わかった」
 僕が先にあぜ道に上がって山田を引っ張り上げてやった。
 山田が鞄からタオルを取り出して足に付いた泥を拭い、僕もそれを使わせてもらう。ピンク色の生地にミッキーマウスが刺繍(ししゅう)された微妙なタオルだった。
 靴下と靴を履いて携帯の時計を見るともう五時だった。
 僕らはゆっくりとあぜ道を国道目指して歩いていった。ふと西の空を見ると夕日で赤く染まっていた。小学生の時によくこういう光景を見た気がする。友達と放課後の校庭でバスケットボールをしていて、レイアップシュートを決めた後バックボードの裏から校舎を見ると、その後ろにこういう空があった。今見ているこの空より綺麗だったような気もする。そういえばバスケ部監督の堀尾先生は今どうしているだろう。僕らの卒業と同時に異動し、弟に聞いた話では転任先の学校の生徒に馴染めず虐められているそうだ。
「何考えてんの?」
 山田はすでにあぜ道より二メートルほど高い国道に立っていて、僕を見下ろしていた。
「いや、小学校の時の担任の先生さ、今生徒に虐められてるらしいんだよね」
「いい先生だったの?」
「今思えばね。厳しい先生でさ、人間性もいまいちなんだけど、凄い手腕なんだよバスケに関しては。スパルタ式でさ。でも合わないんだろうな。今の生徒とは」
「あるよな。そういうの」
「うん」
 僕も国道によじ登ろうと、右手に持っていたザリガニの入ったバケツを山田に渡した。
 その時、国道の地面とガードレールの間のわずかな隙間から、国道を大型トラックが走ってくるのが見えた。ごおおおおおっと唸りをあげて走ってくる。運転手は角度的に見えないが、なにか……やばい。やばい勢いで近づいてくる。
「山田! やばい。トラックが突っ込んでくるぞっ」
「ん?」
「振り向くな。それより逃げ、飛び降り……」


 そこまでしか覚えていない。
 たくさんのザリガニが空を飛んだのだけ覚えている。
 気が付くと僕は病院のベッドに寝ていた。目が覚めてすぐ自分の体を見てみたが、包帯が巻かれている右手以外に怪我は無いし、痛みも無かった。しばらくベッドの上でぼーっとしていると医者が来て、山田が死んだ事を知らされた。後で鏡を見ると、僕は頭にも包帯を巻かれていた。頭部を裂傷していたらしい。でも痛くなかった。


 不思議な事が起こっていた。
 山田の葬儀が終わって一週間経つが、僕には町を行き交う人々の顔が全てホトトギスに見えるのだった。ホームレスもサラリーマンも、コンビニの店員もマックにいる恋人たちも修学旅行に来ている高校生も奈良の大仏も、みんなホトトギスに見えた。
 事故のショックで心がおかしくなっているのかな。そう思って病院に行くと、予想通り事故後の軽いショック状態だという診断をホトトギス顔の医師に下された。ただそれなら人々はホトトギスでなく山田の顔になっていなければならないような気もした。根拠は無いがそういう確信があった。
 一ヶ月経っても、僕の周りにはホトトギスしかいなかった。最初は人間の言葉として聞き取れていた彼らの会話も、次第に鳥の囀(さえず)りに似たものになっていき、ついにはキョッキョキョキョキョキョという完全なホトトギスの鳴き声になり、聞き取れなくなった。
 顔だけがホトトギスだったのは最初のうちだけ、いつのまにか手は羽に、足はあの鳥のがりがりした細いやつに変わっていた。駅の階段で転んだサラリーマンが足を折っている光景を何度も目にした。事故の時のショックです、と言っていた医者を何度が訪ねたが、彼の言葉ももう聞き取れなかった。
 やがてこれは事故の時に自分の頭を治療した医者のミスだと思うようになった。
 医者のミスのせいであの時のザリガニが一匹、僕の頭の中に入り込んだ。そしてそのザリガニが僕の脳をハサミでチョキチョキやったのだろう。さすがにもう死んでいるだろうが、脳組織の一部が欠損し、それによって一種のロボトミー的な効果が僕の頭の中で起こっているのではないだろうか。
 これは訴えれば損害賠償を取れるかな。そう思って大学の教授の研究室に相談に行った。
 しかし駄目だった。教授もすっかりホトトギスになってしまってキョッキョキョキョキョキョ鳴くだけだった。「教授、あのう。これって不法行為ですよね」「キョッキョキョ」「損害賠償とれますよね」「キョッキョキョ」「あ、教授の専門は商法でしたか。じゃあ民事の先生紹介してくれませんか」「キョッキョキョキョ」「いや、あ」「キョッキョキョキョキョキョ」「その」「キョキョキョ」あまりにもうるさく鳴き、さらに言葉はわからないもののなんだか説教されているような気がしたので、僕は机にあったハサミで教授の舌をちょきんと切ってやった。教授はくるくる回ってばたんと倒れ、血を吐いて死んでしまった。
 僕は研究室をそっと出てエレベーターに乗って一階へ降りた。警察に捕まったら「雀と間違えました」と言い訳するつもりだったが、きっと捕まらないだろう。警察もホトトギス化しているだろうし、たしか……刑法三十九条に「心神喪失者の行為は、罰しない」という文言があったはずだ。森田芳光が映画を作っていた。心神喪失者というのが今の僕に当てはまるのかどうかは不勉強のためわからないが、法律は人の味方だ。まさかホトトギスをかばう事はあるまい。

 バス停へ行くとすぐにバスがやってきた。一番後ろの席に座って車内を見回してみる。乗客も運転手も、やはりホトトギスだった。羽を起用に使って携帯電話でメールを打っている者もいれば、二人掛けの椅子に座ってさわさわといちゃついているのもいる。
「この分じゃハトバスにもホトトギスが乗ってるんだろうぜ」
 僕は天国の山田に報告した。
「きっと僕が人類最後の一人なんだ」
 でも、それならそれで生きていくしかないのだ。生前山田は言っていた。ホトトギスにとって理想的な人間は信長だと。あれは今の僕を予期した彼のアドバイスだったのかもしれない。鳴かないホトトギスは現代にはいない。だから逆に僕がそれを黙らせようとする事で世界は殺伐とし、良い関係が生まれるはずだ。
 僕がホトトギスを黙らせる。そう考えると不思議なもので絶望しかないように思える世界で生きる希望が湧いてきた、ような気がした。
 バスはまだ発車していなかった。
 不審に思って窓の外を見ると、バスはパトカー十数台に囲まれていた。教授の舌を切ったのが警察に知れたに違いない。僕は決心した。
「運転手さん、そして乗客のみなさん、どうやら警察は僕が目当てのようです。みなさんは窓のブラインドを下ろして、速やかにバスを降りてください。お願いします」
 ホトトギスに人間の言葉が通じるかどうかはわからなかったが、幸い通じるホトトギスもいたらしくまず五六羽があたふたとブラインドを下ろし、降車した。それを見て残りのホトトギスもバスを降りた。僕は全ての窓にブラインドが下りている事を確認し、ひとつため息をついた。


 バスが停車して数時間が経過したが動きは無かった。
 人質もとっていないのに何故警察は突入してこないのだろう。妙に思ったが、ただ、バスの壁を通じて殺伐とした雰囲気があるのは確かだった。これはまさしく山田の言っていた世界だ。互いの存在を大いに認め合って尊敬し、そこに生まれる衝突。この感じ。
 来るべき対決に備え僕は考えた。
 ホトトギスと人間が殴り合いをやる時、何が重要か。
 出した答えは僕に勇気を与えてくれるものだった。倒れそうな時背中を支えてくれる幼馴染の友達以上恋人未満の女の子のような、そんな喩えは嫌いだけど、そんな感じだった。
 ホトトギス、いや、あらゆる鳥類にとって拳は羽である。しかしその羽というものは、振ると空気抵抗が発生し、パンチスピードが鈍るのだ。僕を殴るどころか爽やかな風をプレゼントしてくれるだけ。それにそのパンチの軌道はほぼフックのような感じであり、スキがありあり。つまり僕が勝つには体の内側からひねりこむようにジャブを打っていけばいいのであってコンパクトにくくっびゅんすわっガツンくくっびゅんすわっガツンだ。それから……。
 ぶぅぅぅぅん、ぶぅぅぅぅん、ぶぅぅぅぅん……。
 どこかで携帯電話が鳴り始めた。僕の携帯ではない。乗客の誰かが忘れていったやつが前の方で振動しているのだ。暗闇の中にその音だけが響く。ぶぅぅぅん、ぶぅぅぅん、ぶぅぅぅん。
 
 とたん不安になった。ああ。そうだ。ホトトギス的視点から三武将を考察すれば、確かに信長がベストなのかもしれないが、籠の中にいる人間が籠の外にいるたくさんのホトトギスを見た時、抱く感情はまた別のものではないか。人間的視点からホトトギスを見る事が必要なわけで、これは卒論には出来ないだろうが、今の自分にはひどく大切な事のように思える。これから自分のやり合う相手が信長的ホトトギスなのか家康的ホトトギスなのか秀吉的ホトトギスなのか、それともその全部なのか全く別のものなのか、それすらわからない籠の中の人間がはたして正気でいられるものか。だいたい今の僕にはバスの外の敵の顔も見えないのだ。
 僕は慌ててバスの前方に走った。しかしいくら走っても出口には辿り着けない。足がまわらない。走っても走っても、地面が後ろに流れるように感じられて前に進まない。脱力し、僕はへたり込んだ。
 次の瞬間大量のホトトギスが突入してきた。
「キョッキョキョキョキョキョ」
 僕はすぐに立ち上がろうとした。でも足に力が入らなかった。目線を落として自分の足を見ると、それは僕の意思と別の意思を持っているかのように震えていた。僕は顔を上げてホトトギスを見た。
「キョッキョキョキョキョキョ」
 先頭のホトトギスは何か言った後、黒い警棒を振り上げてにやり笑った。
 アルカイックスマイル。僕が無邪気にそう思った時、その黒い警棒は僕の右鎖骨めがけて勢い良く振り下ろされた。
 ごきり、という音がして、僕の鎖骨はあっさり折れた。不思議と痛みは無かったが、右手がだらりと垂れてしまった。右手が垂れると何故か口まで開いてしまって、許しを乞おうとした僕のその口めがけ、すかさずホトトギスのトウキックが飛んできた。
 なんでホトトギスがブーツを履いているのか、そんな事思う暇も無く、ブーツの先――きっと金属が入っているのだろう――は、僕の前歯八重歯その他もろもろの歯をへし折った。脳に響くギョリギョリという音がして、やはり痛みは感じなかったが、口の中に血の味が広がり、気持ち悪かった。
 ホトトギスはブーツの先を僕の口に入れたまま、その足を地面に下ろした。自然、僕はブーツの先をくわえ込み、下顎をホトトギスのブーツと地面に挟まれた形で這いつくばる事になった。
「キョッキョキョキョキョキョッ」
 さらに気合を入れるように鳴いたホトトギスは、残った方の足の甲で僕の横っ面を蹴り上げた。軸足に乗った体重が僕の下顎にモロにかかり、蹴られた横っ面よりもそこが痛くて僕は涙を流した。泣いたのなんて、何年ぶりだろう。山田の葬儀でも泣かなかったのに。僕は目を閉じた。
 ホトトギスの蹴りは、何度も何度も振るわれた。僕はその度に閉じた目蓋の隙間から少量ずつの涙を流した。そして人生を顧みた。こんな場面で涙を流すのなら、もっと大事な場面で泣いておけばよかった。大事な場面で泣いておけば、こんな事にはならなかったのかもしれないのだ。
 やがてホトトギスは蹴るのを止め、僕の口から足を抜いた。僕は口に溜まっていた血液を滝のように吐き出して、閉じていた目を開けた。
「キョッキョキョキョキョキョ」「キョッキョキョキョキョキョ」「キョッキョキョキョキョキョ」「キョッキョキョキョキョキョ」ホトトギスたちはおのおの腕を組んで、いや、羽を組んで何か相談しているようだった。神妙な顔つきをしているのもいれば、笑っているのもいるし、泣いているのも怒っているのもいる。彼らは一分ほどそうやって話し合っていて、僕はそれを這いつくばったまま上目づかいに見ていたが、やがて結論出たらしく、それぞれ納得した表情で笑みを浮かべ、羽を打ち合わせ始めた。拍手というのは、人間の手でしか出来ないのだなあ、と僕はぼーっとした頭で思った。
 僕の口に足を突っ込んだホトトギスが、一歩前に出てきて、ブーツを脱いだ。現れたのは立派な鉤爪で、彼は誇らしげに胸を張った。大きな一物を持つ男性が、トイレでとる態度と同じであり、少し羨ましかった。
 その鉤爪は僕の右目に勢い良く突き立てられた。
 意識が朦朧としていて、痛みを感じる余裕も叫び声を上げる余裕も無かったので、僕はふぅとため息をついただけだった。次に左眼にも同様に鈎爪が突き立てられた。僕はまた一つため息をついた。僕のため息はホトトギスを逆上させかねなかったが、すっかり視界を奪われた僕には彼らの表情を確認する事ができなかった。僕は思っていた。きっと、銃殺だ。
 ため息をつこうとしたが、笑いがこみ上げてきた。今のこの状況がすごく殺伐としていておかしかったし、ここで笑う事が僕にとってもホトトギスたちにとってもベストに思えたからだ。
 僕は笑った。血で喉が詰まって声が出なかったし、多分潰れた眼球からは血の涙も流れていて、ホトトギスたちにはわからなかったかもしれない。だが最後、僕は笑ったのだ。

Copyright(c): Asagao Marude 著作:丸出 朝顔

◆「カゴ対称、殺伐として」の感想


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