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 東京都杉並区に家が建った。
 月並みな大きさ。月並みな工務店。月並みな色。
 目立つことなく家は完成し、一組の家族が住んでいた。
 それから約3ヶ月後。奇妙なことになった。
 家の住民は異星人だったのだ。
 屋根に付いているUHFアンテナからは、レーザー送信が行われた。
 それは地球の低軌道上の一点に放たれ、その座標を米軍のスパイ衛星が探ると、高レベルステレス装備、電磁波・光子を吸収するレーダーステレス及び光学ステレスで覆われた謎の衛星が発見された。
 SETIはNASAの管轄を離れた民間組織だったが、この大発見と人類のファーストコンタクトにリーダーシップを取るべく活動を開始し、各企業からの寄付金は記録的な数字に跳ね上がった。
 ほぼ同時期に、NASAは自組織内に、SETIと同様の目的を持った部門を設置し、CIAなどと連携しながらのスタートを切った。
 米議会は、問題の土地を超法規的手段により強引に米国の土地として買い付けた。その額は相場のほぼ10倍とも言われていて、周辺ビルやアパートは米資本の会社が買い占めた。
 にもかかわらず、その家に関する調査は遅々として進まなかった。超短波から超長波までのありとあらゆる電波は遮断され、レーザーで振動を関知する盗聴器は沈黙し、イージスシステム並みの収束電磁波を浴びせてもびくともしなかった。
 その代わりに、周辺のコンピュータは軒並みハングアップし、信号や車の電子機器が吹っ飛び、住民と都知事から苦情が相次いだ。
 残る手段は限られていたが、それをするだけの度胸はSETIにもNASAにもなかった。
 この時点ではまだ。
 彼らはその家を24時間体勢で監視し、地面に穴を掘って電話回線も常時盗聴していた。
 横須賀には米海軍の輸送船が停泊し、強襲ヘリ・アパッチ、輸送ヘリ・ブラックホークが待機。船内には特殊訓練をつんだ海兵隊とグリーンベレーが非公式に乗り込んでいた。
 準備は整っていたが、彼らはまだそれをする気にはなっていなかった。

 俺の仕事はネオンサインを作ること。
 注文を受け、デザインし、製造会社に発注する。
 俺が彼女にあったのは、神田のバーだった。
電車のガタガタいう音が雰囲気を台無しにするこじゃれたショットバー。1分か2分おきにけたたましく鳴る電車の通過音にここが東京だと嫌になるほど教え込まれる。
 彼女は直しても直してもぐらぐら揺れるテーブルに一人で座っていた。潰れた喫茶店からとってきたテーブルに空色のリキュールを乗せて、静かに本を読んでいた。
 その日は、まだ夕方で店には他の客が一人も居なかった。
 俺は秋葉原のビルに出向いた帰りで事務所に戻るところ。カウンターの上に黒ビールとクラッカーを並べていた。
 彼女はカラスのような黒い髪を無造作に後ろに流していた。地味な白いワンピースを着て、伏せ目がちの長いまつげの瞳を小さな文庫本に向けている。少しやつれたような頬骨の浮いている横顔。白い肌。その雰囲気は宙に舞う埃までもが彼女の側では残らず地面に落下してしまうかのように静的でバーの中にぼんやりと浮かんでるかのよう。
 そこで何の話をしたか良く覚えてないが、とにかく俺たちは知り合った。
 本の話をしたのかもしれない。何の本だったか、ゲーテのファウスト、ミルトンの失楽園……

 俺の仕事はネオン作り。色んな所を飛び回る。
 事務所でデザインを書き、知り合いのコンピュータ会社や設計の会社に立ち寄りプログラムを書く。工場にまで出向いて、技術的な相談をする。クライアントと会って打ち合わせをする。
 彼女が何の仕事をしているかは訊かなかった。大抵、俺の仕事の話だった。蛍光灯とガス灯と発光ダイオードの違いの分からない依頼者とかそんな話。新宿の騒がしい中央通りを歩きながら。
 彼女の電話番号は聞かなかった。お互いあまり連絡はしなかったし、当時はそんなに親しくもなかった、出向いた先。立ち寄ってカフェ、バーで偶然会う。
 そのうち俺は、彼女に会うため東京中のカフェを総なめにするくらいの勢いで通っていた。
 彼女は外見通り物静かで、話を良く聴き、そして知的な感想を洩らした。
 ある時は、ベトナム戦争の写真展を見に行った。帰りしなに彼女は訊ねてきた。「なぜ、あのカメラマンは可哀相な子供達を助けないで、写真を撮っているの?」
 同じような論評があるのを思い出した。「助けるのは誰でも出来るが、写真を撮れるのは彼しか居ない」そんな事を答えた。
「写真を撮ることで、彼は未来の子供救っているんじゃないか?」
 その日は、それっきり倫理問題と戦争、国際問題の話で盛り上がった。端から見れば口げんかのようにも見えたろう。
 その時はベイホテルのバーに居たんだが、俺はトイレに行くついでにフロントで部屋の予約をキャンセルした。
 だが、1ヶ月もすると彼女は、俺のアパートにも来るようになった。
 2ヶ月後のヒルトンホテル。17階のスカイラウンジで俺たちは呑んでいた。
 曇り一つ無い完璧に巨大なガラスの向こうに、星をちりばめたような夜景が広がっている。首都高は天の川。官僚街のアンドロメダ星雲。
 彼女は細い顎を組んだ手に乗せて、夜景を見ていた。
 やがて言った。「綺麗だと思う?」
 俺は素直に答えた。「いや、全然」
 年がら年中ネオンと格闘している俺が、今更夜景などにいちいち感慨を持っていられない。輝く街の星の中に、朽ち、破壊され、二度と付くことのない残骸も転がる。俺はそれを知っている、無駄を作る仕事。全然美しくない芸術作品。
 彼女はその感想を何故か気に入って、嬉しそうに微笑んだ。
 彼女の笑う顔を見ると、俺も少し嬉しい。こんな純粋さが俺に残っているとは。
 ヴェネツィアシルクを模した柄の白いテーブルクロスにドライマティーニとマンハッタンを並べて、彼女はいった。

 わたしはあの家の住民なの。

 ショパンの雨垂れが流れていた、景気の悪い旋律。
 ウイスキーが血中に混じった俺の解答は、いまいち良く覚えていない。
 へえ、とか、ふーん、とかそんな感じだったろう。
 実際大したことだとは思わなかった。
 俺のマンハッタンの中から紅いチェリーをつまみ上げる彼女は、紛れもなく人間だったし、それで十分だと思った。なにより、俺は彼女を愛していた。

 少しずつ周りがざわついてきたのはそれから1、2週間ほどした頃だった。
 事務所のパソコンに何者かがハックしている気配が、目に見えないながら感じられ、机に置いた書類の場所が変わったりし始めた。
 実害がなければ良い。俺はそういう考えの人間だった。だから、放置していた。
 しかし、だんだんと同僚の目が訝しげになっていった。俺の挙措を監視するような瞳。
 怪しまなくても俺は人間だよ。紅葉まんじゅうを囓りながら心の中で答える。
 仕事でパートナーを組む人が居なくなった。仕事あがりの飲み会に誘いが来なくなった。そのくせ、俺に知らせない飲み会は、何回もやってるらしい。
 俺は彼女と良く遭うようになった。
 とうとう俺自身に監視が付くようになった。部屋に居るかを確認するような電話が鳴った。勧誘のフリをしていたが、残念な事に俺は微妙に鋭かったのですぐ分かった。
 行きつけのカフェ、バー。駅。スーパー。ラーメン屋。人の目は明らかに変わっているようで、その間隙にぬうように黒いスーツ姿の男が割り込んでくるのだった。
 道を間違えて路地に入ってしまい、引き返した時。道ばたの男が慌てたようにしたのを見た。身体の影になっていたのは、MP-5 しかも、短銃身モデル。
 俺と彼女の仲も、悪化してきていた。
 彼女は疲れているようで、それは俺も同様だった。
 警察や弁護士に相談しようと当たり散らす俺に彼女は悲しそうに首を振った。
 悪態を付きながら俺は椅子を反らせ、滅多にすわないタバコに火をつけた。
 なんとか言え。とかそんな事を言っても彼女はうなだれて首を振るだけだった。
 私は人間じゃないから。
 くだらない。
 周りの人間が避けていく、仕事が無くなりそう。どうでも良いことだった。人が俺に居場所を与えないなら、それはこっちも同じだ。俺も人に居場所を求めない。
 タバコをスパスパ吸いながら、俺は子供のような事を考える。親に向かってすねる子供。
 彼女は明らかに何かを隠しているようだった。
 俺は言った。なにを隠している?と。
 彼女は何も隠していないといった。
 言いたくないのか言えないのか。俺が邪魔なのか、憎いのか、足かせなのか。なんでもいいから教えて欲しかった。お前の中で俺はどういう場所に立っているんだ。どのフォルダーの中にしまってあるんだ。
 そこは普通のカフェだったが。俺たちが話をしている間に、店の客が少しずつ少しずつ入れ替わっていくのには気づかなかった。
 気づいたときには、そこは人間の真っ只中だった。反射的にそう感じていた。ギャラリー、人間、俺、彼女。すべて違うカテゴライズ。太陽の周りを回る惑星のように決してぶつかることのない人種。
 その夜に電話があった。
 まずいバーボンに痺れた舌で俺は電話に出た。
 SETIの職員とかなんとか言う男だった。
 専属の捜査官になって欲しい。地球上でただひとり、君だけがあの家に入れる人間だ。
 俺にスパイになれと?
 アレ、ともう暫く付き合って居てくれれば良い、タイミングはこっちが指示する、心理学や恋愛コンサルタントの一流スタッフを用意する。君はもう暫く辛抱してくれれば良いんだ。
 電話を切った。

 次の日、俺は初めて事務所を無断欠勤した。叱責の電話は掛かってこなかった。
 水曜日で、休みの店が多かった。
 午前11時で、通りに人が少なかった。
 目の留まる店は大抵定休日だった。表札のようにぶら下がる定休日。
 足早に脇を通り抜ける車。
 ヘリのローター音。旅客機のそれとは違うターボチャージャーのジェット音。
 俺は普通に歩いていた。
 歩いたところに道が出来ていくようだった。足を降ろす瞬間に、俺のために道が出来る。
 彼女が、通りの先にいた。
 俺は初めて彼女がやはり俺を待っていたのだと気づいた。
 俺が東京中のカフェで彼女を待っていたように。彼女も俺を待ってカフェを梯子していたのだと。
「私の一族は」
 通りの真ん中で突っ立ったまま、
「住める星を見つけると、そこを調べるの。生態系、社会構造、言語、思想、性徴。
 そして、その星に家を建てて住む。星の人たちに気づかれないように、すべてをこの星の人と同じに。顔を変え、声を変え、言葉を勉強し。
 ただ、静かに暮らすの」
「出ていくのか?」
「この星にはもう居られないから。
 また、別の星を捜しに…」
 東京の通りの真ん中。俺と彼女は立ちつくし、その周りをまばらな人々が通り過ぎていく。刺すような注意を俺たちに向けて。
「わたしはもう疲れちゃった。
 同じような事をもう何度も何度も続けてきたから。わたしが「別の人」になるとき、その前の事は殆ど記憶していられないの。
 言語構造や社会、物の考え方が全然違うから。記憶の連続性が保てないの。前に別の星で住んでたことももう殆ど覚えてない」
 愛する君を俺はただ抱きしめる。
 携帯電話がポケットの中で鳴った。俺はその音を訊きながら心を決める。

 で、現在。
 2DKのマンション。
 結局、いま俺はここに住んでいる。
 彼女は勿論、一緒にいる。
 窓からシリウスの燃える太陽が見える。本物の星空。作り物のネオンはもう卒業。
 遠い遠い向こうに、青い星粒。

 幸せかって? あたりまえだろ?

Copyright(c): Aku 著作:灰汁


◆「かけおち」の感想

*タイトルバックに、「m-style」の素材を使用させていただきました。


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