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 姉がとうとう亡くなった。生き別れと覚悟した、一昨年暮れの対面から二年になる。その時既に末期癌と診断されていたので、二年も命を生き延びたことは、随分ラッキーだったかも知れない。
霊感体験というべきものか、一昨日から、二夜連続幽霊の夢を見た。寝付きが悪かったためか、と思っていたが、二度目に同じ夢を見た時、さすがに意識的に目を醒ました。暗闇の中天井をのぞくと、黄色い光る物体が十数秒徘徊して消え去っていった。幽霊に違いない。これは夢の中かと、ひそかに舌を噛んでみたが、はっきりと痛みを覚えた。きっと何かあったのだろう。姉の最期の挨拶かもしれない。そう思いたくなかったが、思わざるを得ない深刻な病状は、一週間ほど前、既に知らされていた。果然、次の日の午後、妻から連絡の電話が入った。姉の命、今夜まで持つまい、と。

育ちの環境の影響だろう、私はもともと共産党員の親父と同様、神や幽霊の存在を認めない唯物論者だった。が、ここ数年、信じるというより、信じたい気持ちに傾き始めた。人生の過半を過ぎ、周りの生死離別の光景を頻繁に見ている内、自然に心の揺らぎが現れたのだろう。何を信じ、どのように信じるか、あまり考えたことはないが、「神を信じれば神あり」という言葉の真理を、まず認めるようになった。もっとも、無宗教、無鬼神論者にしても、このぐらいの寛容と理解は必要だろう。それがないと、信仰者が絶対多数を占めるこの星では、共生出来るはずはない。

今もそう思う。宗教は人生の需要に応えて、人間によって想像し、作りだしたものである。信仰の対象、形式、内容は違うが、精神的依託を求める点では、仏教も、キリスト教も、イスラム教も変わりがない。科学が随分進歩してきたとはいえ、はてない宇宙の時間と空間の中においては、今も昔と同様、人間という生物は依然無知、無力、そしてチッポケな存在である。百億年も生き延びる地球の盛衰は宇宙の中で見れば、一瞬光って消え去る塵(ちり)の一介にすぎないと同様、人類の五千年の文明史も、地球史のスパンで眺めると、稲妻の如き現れ消え去るものであるかも知れない。故にこの冥々たる宇宙の隅に一瞬に存在する我々人類も、畏れのおおい、また永遠に解き明かせない宇宙の時間と空間の謎に生きぬくためには、精神上の拠(よりどころ)が必要であろう。
信仰と宗教はこうして産まれ育ち、文明の世といわれる21世紀の現在でも、確実に絶対数の人々の心を捉えていたのである。もちろん、宗教信仰の内容となる神や、幽霊に関してそれが存在する物的証拠はなく、またそれにまつわる話も、ことごとく科学的検証に耐えうるものでもない。それどころか、昔からの神話、伝説を土台に創られた故、どの宗教にも、怪力乱神、荒唐無稽の話が出てくるのは言うまでもない。にもかかわらず、神は人々の心の中に生き、また何時の時代になっても、科学が太刀打ちのできない、ある種の精神的な安らぎを人々に与え続けるのである。「神を信じれば神あり」とは、この意味で神の実存ではなく、神の人生における有用性を諭す言葉として、意義が大きいと私は思う。

こうして神の信仰は元々、人生の需要に応えるため、人々に精神的依託を提供するため生まれた単純なものだが、一方、現在、人類社会と共に生存競争の試練を受けて勝ち抜いた宗教を見れば、ほとんど例外なく多くの宗派を抱え、複雑な教義、教制を持ち、また仏陀、聖母マリアのように、信仰の対象を偶像化したものが多い。宗教の生存競争から見れば、こうした複雑化、形式化、宗派化の変貌は必要だったかも知れないが、同時に精神的欺瞞、組織的腐敗を産みだし、また、排他的性格の故、流血、戦争をもたらしたことも、歴史や現在を見れば、明らかであろう。こうして人に拠を提供するため産まれてきたはずの宗教は、場合によって悪を作り出す源にもなりうる。

故に、歴史や事実はともあれ、無形の信仰心は、果たして有形の宗教、複雑な宗教に進化する必要があろうかと、私は疑う。近い内、もし私の信仰心が芽生えたら、それは、けっして特定の宗教に属すものではなく、「神を信じれば神あり」、という漠然的な、自分の心中にある信仰、自分のための神でありたい。信条はもし必要なら、それもただ「善」の一字で十分足る。人生に善を尽くせば、悪霊に祟られる畏れはなく、争いをやめ、敵を立てなければ、天国と地獄、悪神と善神を想像する必要はない。社会や他人に害を及ぼさぬ、また必要以上の貪欲を持たない静かな人生を送りたい。これは、私の人生の信条であり、将来持つかも知れぬ信仰の信条にもなり得よう。

善を尽くした姉は、神に守られ幸せなあの世へ旅立った。あの晩見た黄色い幽霊は、別れを告げに来た、姉のものであると信じたい。(2001.12.12)

Copyright(c): Jiang Keshi 著作:姜 克實

◆「神を信じれば神あり」の感想

*タイトルバックに、「GALLERY DORA」と「気まぐれ写 真」の素材を使用させていただきました。


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