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 「 中里奈央さんの思い出 」
赤川 仁洋 (平成16年2月1日)


 ネット作家として活躍されていた中里奈央さんが、昨年(平成15年)の10月17日に急逝された。ご自身で運営されていたホームページ「カメママの部屋」の日記で、8月に体調を崩されて入院されていることは知っていた。さすがにホームページの更新はできなくなったが、病院から一時帰宅されたときには、訪問者の掲示板の書き込みに対して、律儀にレスを書かれていた。その掲示板には、中里さんの温かい人柄を慕って、多くのネット上の文学仲間や友人たちが訪れていた。その末席に、わたしも参加させていただいた。誰もが、中里さんの健康の快復と、創作活動の再開を信じていた。
 悲報は唐突だった。中里さんの娘さんが、掲示板で彼女の死を報告してくれたのだ。そのあとの掲示板の混乱と、洪水のような哀悼の書き込みを読めば、彼女がいかにみんなに愛されていたか、信頼されていたかがよくわかる。「言葉だけでも、理解し合えると思うよ。」、掲示板のトップに書かれている中里さんの言葉である。


 中里さんとの出会いは、「文華」が創刊2周年企画として開催した「トライアングル掌編文学賞」だった。「深紅の闇に沈む」という作品で参加してくれたのだ。読み始めて、その確かな描写力に驚いた。神社の見せ物小屋で、異空間に迷い込んだ大学生の妖しい体験を濃密に描き切っている。以下、選考のあとでわたしがサイト上で発表した寸評である。

「艶麗な闇の世界を、正攻法で堂々と描いた意欲作。わたしは、谷崎潤一郎の作品を連想しました。これだけ自分のイメージを重厚に表現できる人は希少。ただ、題材や手法がオーソドックスなだけに、新鮮みは乏しい。」

 オリジナリティを重視する企画だったので、残念ながら賞の選考からは漏れたが、作品のレベルの高さと作者の潜在能力は、わたしを含めた三人の選考委員すべてが高く評価していた。中里さん自身が運営するサイトで彼女のプロフィールを拝見して、なるほどと思ったものだ。「第四回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞受賞、社会的にも評価を受けている作家だった。
 トライアングルが契機となって、中里さんは「文華」に寄稿してくれるようになった。掲載号が出たあとで、いつも丁重なメールをいただいた。孤独な編集作業のあとだけに、疲弊した心身が癒されるようだった。
 中里さんの人柄を現すエピソードがある。「文華」では、作品のタイトルバックにイラストや加工した写真を使っている。市販の素材集では限りがあるので、ネット上の素材サイトを利用させてもらうことも多い。毎月「文華」を発行したあとで、素材サイトの掲示板に使用報告とお礼の書き込みをするのだが、中里さんの作品で使用した素材サイトには必ず彼女が先着していて、感謝の言葉を書き込んでいる。顔の見えないネット社会では、礼節にルーズな人が多いだけに、中里さんのこの律儀さはとても新鮮だった。
 中里さんは、「文華」や「短編」、「あるテーマにまつわる短編集」といった投稿サイトで作品を発表する傍ら、有料メールマガジンのプロ作家として活動していた。編集者の鉄五郎さんが発行する「かきっと! ストーリーズ」(現在は配信停止中)である。中里さんのサイトで公表されている日記で、プロ意識について書かれた文章がある。

「(前略)不特定多数の人に向けて発表する以上、完成度には徹底的にこだわるべきで、改めて見直したときに、誤字や脱字や重複する表現ばかりなんていうものを、他人に読ませてはいけないということを書きたかったの。
 読ませてあげるではなく、読んでいただく。
 読んでもらうだけでも嬉しい。
 読者の貴重な時間とエネルギーを奪うだけの価値のあるものを、一生懸命に書く。
 そういう気持ち、大事だと思うよ。
 それを読者が面白いと思うかどうかは、読者の側の好み次第。
 どんな酷評もしょうがないよね。
 でも、少なくとも、作品を発表するときは、その時点で自分に可能な最高のものを目指すべきで、そういう努力を繰り返すことが、結局は実力につながるんだと思う。
(中略)
『かきっと!』の有料版は月200円で週4回だから、1度の掲載につき50円を読者に払ってもらっているわけで、それが50円だろうが50万円だろうが、読者が私の書いたものを読むためにお金を払ってくれるというのは、大変なこと。
 ある意味、怖い。
 それだけの価値が本当に自作にあるのか、常に自分に問い続けなくてはいけないと思う。
(中略)
 どんなことでも、真剣に挑戦するほうが面白い。
 だから、いつでも真剣に、自分の能力の限界ぎりぎりのところで書きたい。
 そのほうが楽しいし、そうすれば、必ず、その限界は次の時には広がっているはずと思うから。」

 作家志望の方、いや、作家として活躍している方にも読んでほしい言葉ではないか。こうした真摯な姿勢が、完成度の高い作品を生みだしていた。
 さて、中里作品のいちばんの魅力は何だろうとあらためて考えてみる。ヒントは、メールマガジンに掲載されているプロフィールにあった。「書いていきたい作品」の項目に「平凡な日常の中にある異常な空間に、ふと迷い込んでしまうようなもの」と彼女は答えている。
 中里さんの書く世界は、人間の暗部を題材にしたものが多い。人間の欲望やエゴイズムを濃密に描いている。しかし、読後感は思いの外、さわやかだ。それは、彼女の描くハイド氏が、怪物ではないからだろう。彼女のハイド氏は、平凡な小市民の延長線上に確かに存在している。だから、作者の視線はどこかやさしい。この包容力こそ、中里作品のいちばんの魅力ではないかとわたしは思うのだ。
 中里さんの日記に、童話について書かれた文章がある。創作に対する中里さんのスタンスがよくわかる。

「私は事実そのものよりも、その当事者や周辺の人たちの心理の方に興味があるし、ごく少数のサイコパス以外は、どんな人間にでも良心の痛みがあるはずだと信じています。
(サイコパス自体、幼い頃の劣悪な環境で生きるために、自分を過剰に適応させた結果だと思っています。今後増えることが予想されるゲーム脳のせいでサイコパスになってしまう人間は別として)
 薬害エイズが話題になったときも、安部教授には医師として、たとえ非加熱製剤の危険性を承知していても、現実に目の前に存在する患者を救うため、緊急避難的にどうしても使わざるを得ない事情があったのではないかとか、動物実験や人体実験に直接携わる人間は、良心の痛みの辛さをさんざん経験した後に、もうそれを感じないように、自らの人間性に鎧を着けているのではないかとか、色々なことを想像します。
児童文学や童話を書くときも、私はそういう人間の心の奥の闇というものに、触れたいと思っています。
(中略)
 他人の悪を非難するのは気分の良いことだし、経験していないことは何でも簡単に思える。
 でも悪というのは、先に悪人がいて、その結果生じるものではなく、普通の人間が構造的なものに組み込まれたり、根の深いところから生じる一つの濁流に飲み込まれてしまって、どうしようもなく踏み込んだり流されたりしていくものだと思う。
 少しでも、そういう世界に入ってしまったら、抜け出る勇気のない人は、自分の心が傷つかないように強がって、実際以上に冷酷なふりをしたり、相手を人間だとは思わないように、自分で自分を変化させて悪に適応して行くんだと思う。
 その人間の悲しさとか苦しさとかを想像する力を与えてくれるのが文学。
 そして同時に、そこから抜け出る勇気を与えてくれるのも文学だと思う。
 私はそんな力のある児童文学を書きたい。」

 中里さんは、表層の感情に流されることなく、人間の本質を冷静に見極めようとしていた。そうした彼女のリアリストの一面が、よく現れている文章が日記に書かれている。ちょっと長いが、紹介させていただこう。

「ネットには小説家になりたい人がすごく多い。
 他にも、芸能人やお笑い芸人を目指している人、司法試験や税理士試験のために勉強を続けている人とか、何かのために頑張ってる人は多いよね。
 いつまで頑張れば結果が出るのか、それがはっきり見えるならいい。
 または、全く芽が出なくて、いくら頑張っても全然ダメなら、諦めもつく。
 普通に生活しながら、趣味程度にやっている場合は問題なし。
 難しいのは、社会生活を犠牲にして頑張っている場合。
 少しずつ進歩が見える場合。
 ちょっとずつ評価されてくる場合。
 どーんと一発でメジャーになれるなら別だけど、生活は成り立たないのに、ごく一部ではファンがついてくるとか、最終オーディションに残れるようになるとか、小さな賞を受賞するとか、そんなことがあると、もう少し頑張ればという気になる。
 そして、何か良い就職の話があっても、それを蹴って、自分の夢にかけながらアルバイト生活を続ける。
 ふと気づくと、膨大なエネルギーと時間を費やし、家族や恋人に迷惑をかけ、まともには就職できないほど、年をとっている。
 一時、芽が出たような気がしても、それはつぼみになる前に、いつのまにか枯れかけている。
 そんなとき、自分の夢と今後の人生を、天秤に掛けなくてはいけない。
 費やしたもの、犠牲にしたものが大きいほど、夢を諦めるのは難しい。
 でも、諦めるのが遅くなればなるほど、今後の人生は不利になる。
 夢の捨て時を見極めるのは難しい。
 本当に夢のために生活を犠牲にしているのか、それとも、まともな社会人として生きることができない自分に言い訳するために夢を口実にしているのか、それを見極めるのは、もっと難しい。
 将来の自分を信じてこれからも頑張り続けるのか、夢のためという理由をつけて現実の厳しさから逃げるのか、自分はもう限界まで頑張ったからと心残りなく夢を諦めるのか、夢を捨てた後にいつまでも愚痴っぽくそれを語るのか……。
 夢なんて、ない方が楽だね。(>_<)
(中略)
 私の年になると、『夢』という言葉には悲しみが付きまといます。
 今現在の現実を出発点にして、理想的な現実であるところの夢につなげるように努力することが大事って、全くその通りだと私も思う。
 でも、それだと、たとえば、10年後にはマイホームを建築するとか、20年後には独立して個人事務所を持つとか、文字通りの現実的な夢を連想するな〜。
 努力で何とかなる夢と、何とかならない夢があると思う。
 マイホームの建築には、才能とか運とかは必要ないと思うけど、芸人や作家を目指す場合、才能や運が自分にあるのかどうか、やってみなくては解らない。
 才能も運も自分にはないと見切りをつける時期、自分を見限るとまではいかなくても、そんな自分を受け入れる時期は、自分で決めなくてはならない。
 現実の厳しさは、多分、自分というものが何者でもないことを実感させられるところにあるんだと思う。」

 夢想家の厳しい現実が、冷静に分析されている。この文章を読んだとき、わたしの心は共鳴した。いや、正直に書こう。悲鳴を上げたのだ。わたしも、悲しい夢追い人のひとりなのだ。おそらくは、中里さん自身も……。そう思ったとき、同志という言葉が脳裏に浮かんだ。
 こうした日記を読んでいながら、間抜けなことにわたしは、中里さんが二十代後半から三十代の主婦なのだと勝手に思い込んでいた。たぶん、昔のことを書かかれた日記の文章を、現在のことだと勘違いしていたのだろう。カメママの部屋の掲示板で、大学生の娘さんがいることを知って、わたしは赤面したものだ。メールで失礼なことを書いたような気がする……。
 わたしが勘違いしていた理由はもうひとつある。中里さんの旺盛な創作意欲である。彼女の日記は、自身の創作記録でもある。ネット上で発表されている作品以外でも、小説や児童文学、エッセイの公募に積極的に参加されていた。生活のほとんどの時間を、創作活動に打ち込んでいるといった雰囲気だった。
 今にして思うと、病気のことが影響していたのかもしれない。書けるときに書いておこう、そうした切迫した想いは、同じ書き手のひとりとして、痛いほどに実感できる。中里作品の多くが、400字詰原稿用紙換算で20枚以内の小品だったことも、体力的な問題があったのだろうか。
 中里さんは日記で、まとまった枚数のホラー小説を書くことを宣言されていた。その経過も逐次、報告されている。わたし宛のメールでは、某大手出版社の懸賞小説に応募するつもりだとも書かれていた。
 中里さんの作品は、多くの可能性を秘めていた。人間の暗部を冷徹に、そしてやさしく描出する感性は瑞々しい。もっと高く飛翔できる作家だとわたしは信じていた。これからの作家だっただけに、途半ばでの急逝は残念でならない。しかし、彼女は最後まで、旺盛な創作意欲を失うことはなかった。空を見上げたまま、瞑りについたのだ。この意志は、仲間として、同志として、受け継ぎたいと願っている。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

*この追悼文は「WEB同人誌UONOME」第7号で発表した文章に加筆したものです。
*中里さんがサイト上で掲載されていた日記を参照&引用させていただきました。

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