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 教授が大きな丸をくれた。角帽を被り眼鏡をかけた教授は、僕が正解を出すと、サンタクロースのような髭を震わせて笑顔になる。答えを間違えたときは、困ったように腕を組んでヒントをくれる。
 次の問題が表示されたけど、集中できなかった。ディスプレーの中では教授が答えを待っている。でも、階下から聞こえてくる音楽や笑い声が気になった。またママがパーティを開いているのだ。

 普段は静かな家の中が、ママの友人たちが来るときだけは賑やかになる。必ず来るのはママの親友のみちるさんだけで、他はよく顔ぶれが変わる。ママの経営する画廊の顧客が殆どだろう。皆、裕福そうな人たちだ。今日は特に大勢の客が来ているらしい。
 部屋を出ることは禁じられているけど、僕はいつも、こっそりとパーティの様子を窺う。お客や料理が気になるからではない。ママが楽しそうに笑っているのを見たいからだ。

 普段のママは、いつも不機嫌な顔をしている。僕と目が合ったときは特に、不快そうに眉を寄せて顔を背ける。その表情だけで、僕は自分がどうして学校にも行かせてもらえず、人前に出ることを許されないのか、よく解る。
 母親でさえ正視できないほどの、人を不愉快にさせる何かが、僕にはあるのだ。自分の子どもだとは認めたくないような恥ずかしい存在、人目につかないように世間から隔離して育てなくてはいけないほどの醜い存在、それが僕だ。
 だから僕は、人と顔を合わせることを禁じられている。勝手に自分の部屋から出るのはもちろん、窓から顔を出したり、電話に出ることも禁止だ。
 テレビもラジオも新聞も、僕には許されない。母の選んだ古典や名作を読み、ネットに接続していないパソコンでゲームや勉強をすることはできるけど、それだけだ。
 世間から僕を守るためだと、ママは言う。

 一日の時間割も決まっている。朝は七時に起きて洗濯機を回しながら家中を掃除する。洗濯物を乾燥機から出してアイロンをかけ、きちんとたたんでそれぞれの場所にしまってから朝食の支度をし、十時にママを起こす。
 ママの機嫌を損ねないように神経を張り詰めながら一緒に食事をし、後片付けを済ませたら、部屋にこもって夜の九時までずっと読書や勉強だ。
 ユニットのトイレとお風呂は部屋についているので、お腹がすいたとき以外は部屋から出ない。夕食はいつも一人なので、冷蔵庫の中のものを適当に食べる。
 昔は、掃除も洗濯も食事の支度もうまくできなかったし、勝手に部屋から出たことがばれたりして、よくぶたれたけど、今は掃除も洗濯も、こっそり部屋を出てテレビや新聞を見ることも上手になっているから、ママに叱られることはあまりない。

 勉強はコンピュータのスケジュールより早く進んでるから、今日はもうやめて、パーティの様子を見に行こうと決め、パソコンの電源を落としたとき、いきなり部屋のドアが開いた。
 一人の女が素早く入り込んできて、ドアをぴたりと閉めた。
「みちるさん……」
 僕がママ以外に話したことのある唯一の人間がみちるさんだ。僕が幼かった頃、ほったらかしにされているのを見かねて、よくみちるさんがお風呂に入れてくれたり、食事を作ってくれたりした。でも、僕が成長するにつれ、ママはみちるさんとの接触も禁じた。
「りょうちゃん、これを着なさい」
 みちるさんは、持ってきた紙袋の中から手早く服を取り出して言った。それはまるで、ママが好んで着るようなきれいなドレスだった。可愛い靴も入っている。
「え……? だってこれ、女物じゃない」
「いいのよ、ママの言いつけなの。すぐに着替えて、リビングに来るのよ。いいわね」
 それだけ言うと、みちるさんは部屋を出て行ってしまった。何が何だか解らなかった。でもママの言いつけなら、急いでそのとおりにしないと、また叱られてしまう。
 女物の洋服なんて着たことがないから、ふわふわの薄手の生地を破きそうだったし、大きく広がったスカートもフリルのたくさんついた襟も、腰の大きなリボンも、戸惑うことばかりだった。赤い靴は窮屈だったけど、何とか我慢した。

 廊下に出ると、笑い声はますます大きくなった。一番高い笑い声はもちろんママのだ。お料理はみちるさんに任せて、自分はいつもきれいに着飾って女王のように男友達に囲まれている。
 ゆっくりと階段を下りながら、心の中は不安でいっぱいだった。僕なんかが人前に出て良いのだろうか。ママはどうして僕にこんな格好をさせたのだろう……。
 リビングのソファーの真ん中に座ったママを両側から抱くようにして、二人の男が取り囲んでいる。若い方が、多分今の恋人だ。 
 周りにいる数人の男女が、笑顔でママの話を聞いている。いつものことだけど、この中に僕のパパはいないのだろうかと、つい、それらしい人を探してしまう。
 みちるさんは、皆にドリンクを配ったり、オードブルを取り分けたりしていた。
 濃い化粧をし、派手な服装をしたママやほかの女の客と違って、みちるさんはいつも、わざとのように地味な格好をしている。まるで自分からママの引き立て役になろうとしているみたいだ。
 いつも男たちに囲まれているママのそばで、総てを諦めたような顔をして、みちるさんは一体何を考えているのだろう。

 自分を見つめる視線を感じたのか、みちるさんがふと顔を上げた。
 みちるさんは、僕がいつも階段の踊り場にうずくまって、手すりの隙間からリビングの様子を窺っていることを知っている。僕に気づいても、薄く微笑んでみせるだけで、決してママに告げたりしなかった。だから僕は、みちるさんを自分の唯一の味方として信頼していた。
「あら、りょうちゃん……」
 みちるさんの大きな声に、その場の全員が顔を上げ、彼女の視線を追って僕を見つめた。
「さあ、こっちにいらっしゃい」
 そう言ったみちるさんの妙にはしゃいだ声と、茫然と僕を見つめるママの様子で、これがママにとっては不意打ちだったこと、自分がみちるさんにだまされたことに気づいた。
 今さら部屋に逃げ込むこともできなくて、僕はその場に立ちすくんだ。その瞬間の男や女たちの表情を、一体どう表現すればいいだろう。驚き、哀れみ、不快……。
 他人の目にはそう映るだろうと僕が思っていた自分自身への負の感情は、ことごとくはずれた。その場にいた人々があからさまに表したのは、感嘆、賞賛、賛美としか言いようのない、僕を喜びでぞくぞくさせるような感情ばかりだった。
 人目に曝すことのできないほど醜く恥ずかしいはずの僕を、ママの客は全員、まるで眩しくて直視できないほど美しいもののように見た。
「りょうちゃん、ママのお友達に紹介するわ」
 みちるさんは、いつもとは別人のように得意げに、まるで、今までずっと待っていた幸運がやっと飛び込んできたかのように、輝くばかりの笑顔で僕を呼んだ。
「ママって……?」
 客の一人が、みちるさんに聞いた。
「そうよ、皆さん、この子は麗子さんの娘で涼子ちゃんっていうの。十四歳になるのよ」
 僕は気絶しそうになりながら、階段を下りていった。ママの両側に座っていた男たちが、僕を迎えるように立ち上がった。ママもやっと我に返ったように何か言いかけたが、皆の言葉にかき消された。
「なんてきれいな娘なんだ」
「こんな美人をどこに隠していたの」
 男や女たちが僕を両側から支えるようにして、ママの座っているソファーの向側のイスに座らせ、皆で僕を取り囲んだ。
「真っ白な肌をしてるのね」
「まるで生まれてから一度も陽に当たっていないみたいだ」
 そんな賞賛の言葉を突き刺すような、痛いほどの視線を僕は感じた。自分の招待した客に取り残され、恋人にも背中を向けられて、憎しみに燃える目で敵をにらむ一人の女の鋭い視線を。
 そしてそんな彼女を、僕の視界の隅で、みちるさんが勝ち誇ったように見ていた。その瞬間、僕は総てを理解した。
 その場の男や女たちをゆっくりと見回し、僕は一人一人の目を見つめながら微笑んだ。
 誰もが僕の注意を引こうとし、歓心を買おうとしていた。男も女も僕に魅せられ、少しでも親しくなることを望んでいた。皆の視界からは、既にママは消えていた。
 たとえそれが、みちるさんの思い通りの結果で、僕はただ利用されただけだとしても、そんなことはどうでも良かった。自分自身の満足のために、僕は周囲の人々をもっと強く魅了し、完璧な虜にしてしまいたかった。そしてその欲望には際限がなかった。

 そう、ママが守りたかったのはこれなんだね。美しさで他人を支配するという喜び……。他の誰にもその地位を奪われまいとして、最大のライバルになる可能性のある実の娘に自分を醜いと信じ込ませ、世間から隔離し、男の格好をさせ、奴隷のように扱ってきたママは、母親ではなかった。
 ただの女、恐ろしくて残酷で、でも、ばかで哀れな、外見だけの
女。
 僕は違うよ。外見だけじゃない。この十四年間、膨大な時間を読書と勉強に費やしてきたんだもの。もうママには利用されない。これからは支配者は僕の方だ。

 誰もママを見つめてはいない。ママとそっくりな、でもママよりずっと若くてきれいで、これからもっと美しくなる可能性に満ちている少女に、ママの友人たちは皆、夢中だ。
 みちるさんは、この瞬間を待っていたのだろう。長い間、ママの陰でひっそりと自分を押し殺し、強張った笑顔を浮かべながら……。
 結局ママは、手痛い復讐をされたんだね。存在を秘密にしてきた実の娘に、そして、便利な使用人のように扱ってきた女友達に。

Copyright(c): Nao Nakazato 著作:中里 奈央(ご遺族)

*有料メールマガジン「かきっと! ストーリーズ」のサンプルとして、「かきっと!」に掲載された作品です。
*タイトルバックに「LCB.BRABD」の素材を使用させていただきました。
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中里 奈央(なかざと なお)
某大学哲学科卒業。「第4回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞受賞。「第1回日本児童文学新人賞」佳作入選。「第3回のぼりべつ鬼の童話コンテスト」奨励賞受賞。
自らのホームページ(カメママの部屋)を運営する傍ら、多くの文芸サイトに作品を発表。ネット小説配信サイト「かきっと!」では、有料メールマガジン「かきっと! ストーリーズ」の主力作家として活躍。平成15年10月17日、病気のため逝去。

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