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 これからいったいどうやって生きていったらいいんだろう……。
 鬼の子どもは、こぶしをにぎりしめて、空を見上げました。上をむいていれば、涙は流れないと思ったのですが、でもやっぱり涙はあとからあとからあふれ出ます。
 木々の葉が、春の日ざしをやわらかく反射する森のおくで、鬼の子どもは一人きり、夕暮れまぢかの少し冷たい風に吹かれながら、行くあてもなく涙を流すばかりでした。
「どうしたのさ」
 突然聞こえた小さな声に、鬼の子どもは、おどろいてあたりを見回しました。
「さっきからずっとそこにいるけど、早く帰らないと、もうじき暗くなるよ」
 その声は、すぐそばに立っている大きな木の根元のあたりから聞こえてきます。
「だれ?」ときいた鬼の子どもにこたえるように、木の根元に小さな山を作っていた葉っぱが風に吹かれてまいあがり、次のしゅんかん、そこには一匹の子だぬきが立っていました。大きな木の葉を一枚、頭にのせています。
「ぼくはポンキチ。おまえ、泣いてたの?」
 ポンキチは丸い目で鬼の子どもを見つめながら、からかうように言いました。
「ぼくはオニタ、一人ぼっちになっちゃったんだ」
 オニタはこぶしで涙をぬぐうと、話し始めました。とても心細かったので、だれでもいいから話を聞いてほしかったのです。
「ぼくの家は、鬼一族の最後の家族だったんだ。お父さんとお母さんとぼく。三人で仲良く暮らしていたんだけど、人間がぼくたちの土地をほしがって、家に火をつけたんだ。お父さんもお母さんも、その火事で死んじゃった。ぼくだけ助かって逃げてきたけど、これからどうしたらいいのか、わからない」
 ポンキチはその話を聞くと、くやしそうに地面をけりながら言いました。
「人間って、なんてひどいことをするんだろう。ぼくたち森の動物も、いつも人間に追われたり、殺されたりするんだ。しかえしをしてやろうよ」
「しかえしって、どうやって?」
「ぼくにいい考えがある」
 その夜、森の近くに住む老夫婦の家の玄関を、トントンとたたく音がしました。
「こんな時間にだれが来たのでしょうね、おじいさん」
 その大きな古い家には、おじいさんとおばあさんが二人きりで住んでいました。
 昔は裕福だったのですが、二人とも年老いて体が弱ってからは畑仕事ができなくなり、家を修理するお金も人手もないために、今では、こわれかけた広い家の南側の一部屋だけで、ひっそりと暮らしていました。
「だれかがたずねて来るなんて、めずらしいことだ。それも暗くなってからなんて」
「どろぼうかもしれないから、だまっていましょうか」
「いや、どろぼうだとしても、こんなぼろぼろの家に入ろうとするのは、何かよほどの事情でもあるのだろう。どうせ、とられてこまるようなものなんか何もないんだ。入れてやろうじゃないか」
 おじいさんはそう言うと、不自由な足でゆっくりと立ち上がり、玄関の戸を開けました。そこには、一人の若者が立っていました。
「おじいさん、ただいま。あなたの孫です」
 若者はそう言うと、いきなり家の中に上がりこんできました。いろりのそばにおばあさんがすわっているのを見ると、若者は、
「おばあさん、ただいま。あなたの孫です」と、また同じことを言いました。
「孫……?」
 おどろいているおばあさんの横に、玄関の戸を閉めたおじいさんが戻ってきました。おじいさんは、しわだらけの顔をもっとしわくちゃにして笑いながら言いました。
「そうか、そうか、わたしたちの孫が帰ってきたのか。良かったね、ばあさんや。こんなうれしいことはないよ」
 おじいさんの笑顔を見て、おばあさんも安心したように笑いました。そして、夕食の残りのご飯や煮物を出してきて、若者に食べさせました。若者はよっぽどおなかがすいていたらしく、何度もおかわりをしました。
 いつも二人きりで静かに暮らしているおじいさんとおばあさんは、そのようすを見ているだけでも楽しくてなりません。
「ところで、わたしたちの孫さんや、名前はなんだっけかね」
 おじいさんが笑顔でたずねると、若者はふくらんだおなかを満足そうにさすりながら、
「ぼくの名前はオニタ」と答え、大きなあくびをしました。
「おや、もう眠くなったらしいね。今夜は三人で並んで寝ようかね」
 おじいさんがそう言うと、おばあさんが若者に聞こえないような小声で、おじいさんの耳元にささやきました。
「大丈夫かしらね、いっしょに寝たりして……。夜中に何かされるということはないかしらね」
「なあに、私たちは、もう十分に長く生きた。それに、最後に孫があらわれて、わたしたちを楽しませてくれた。何をされたって、かまやしないよ」
「そうですね、おじいさんといっしょなら、私もいつ何があっても平気ですよ」
 二人は小声でそんな会話をすると、二組しかない布団を並べてしき、オニタを真ん中にして寝ることにしました。
「オニタ、おまえのおかげで、今夜はとても楽しかった。ありがとう」
 おじいさんがそう言うと、おばあさんも、
「孫に会えるなんて、夢のようですよ。長い間の願いがかないました」と、オニタの手をにぎりました。
 そのとたん、オニタは急に小さな子どものように、大きな声を上げて泣き出しました。
「おやおや、どうしたの」
「おなかでもいたいのかい?」
 おじいさんとおばあさんが心配そうにたずねると、オニタは若者のすがたから鬼の子どものすがたになりました。
 頭から突き出た二本のつの、もじゃもじゃの茶色いかみの毛、まっ赤な顔……。頭には大きな木の葉を一枚のせています。
「おじいさん、おばあさん、ごめんなさい。ぼくは、あなたがたの孫ではありません。鬼の子どもです。人間にいじめられて家を焼かれ、両親を殺されて、そのしかえしをするために、たぬきの力をかりて人間のすがたになり、ここに来たんです。でも、二人ともやさしくて、ぼくには、しかえしなんかできません。良い人間もいるんだって、初めて知りました。うそをついてごめんなさい」
 その言葉を聞いても、おじいさんもおばあさんも、少しもおどろきませんでした。おばあさんは、泣いているオニタの肩をそっとだきよせ、おじいさんは、ほほえみながら言いました。
「私たちには、孫はいないんだよ。子どももいないし、もうずっと二人きりで暮らしてきたんだ。だから、今日はとても楽しかった。孫のいる気分を味わうことができるなんて、思ってもみなかった。これで心おきなく、二人で天国に行けるよ」
「天国に行くって死ぬってこと? どうして死ぬの?」
「私たちは、もう年をとったせいで、足や腰がいたくてね、畑仕事ができなくなったんだよ。今夜のご飯が最後のお米と野菜なんだ。あとは、うえ死にするしかないんだよ」
「そんな……、ぼく、最後のお米と野菜を食べちゃったの?」
「いいんだよ。今夜、私たちに思いがけない幸せをくれた。そのお礼だよ」
「畑仕事ならぼくがやります。人間よりも力はあるし、これからどんどん大きくなったら、何でもできるようになるよ」
 おじいさんとおばあさんは、思いがけないオニタの言葉に、互いの顔を見合わせました。
「ぼく、もう行くところもないし、ここにおいてくれたら、いっしょうけんめいにはたらきます」
「オニタがいてくれれば、わたしたちも毎日楽しく暮らせるだろう。私たちの本当の孫になってくれるかい?」
「はい、ぼくも、おじいさんやおばあさんといっしょなら、もう人間にしかえしをしたいなんて思わずに、たのしく生きていけると思います」
 その日から、オニタは、おじいさんとおばあさんの孫になりました。そして、毎日、いっしょうけんめいに畑ではたらきました。
 おじいさんの家の畑はとても広くて大変でしたが、しゅうかくし切れなかったお米や野菜がたくさん残っていたので、食べるものにはこまりませんでした。
 仲良しになったポンキチは、毎日遊びに来て畑の仕事を手伝ってくれるし、おじいさんとおばあさんは、そんなポンキチのことも可愛がって、おやつの時間には、やきいもやおだんごをどっさり作ってくれます。
 畑仕事が終わったあとは、ポンキチと二人で森の中をかけまわって遊び、夕方にはおじいさんといっしょにお風呂に入ります。料理上手なおばあさんは、オニタがしゅうかくした野菜を使って、毎日いろいろなごちそうを作ってくれます。
 夜になると、おじいさんから文字を読んだり書いたりすることを習い、おばあさんからは昔話を聞かせてもらい、オニタは毎日、本当の孫のように楽しく過ごしていました。
 
 ある日、オニタがいつものように畑ではたらいていると、話し声が聞こえてきます。立ち上がってその方を見ると、ポンキチが二人の大人といっしょに、こちらに向かって歩いてきます。だれだろうと思ってよく見ると、なんとそれは死んだと思っていたオニタのお父さんとお母さんではありませんか。
「オニタ、生きていたのか」
 お父さんは、まっ赤な顔をもっと赤くして、お母さんは大きな目をもっと大きくして、二人いっしょにオニタに向かって走ってきます。
「お父さん! お母さん!」
 オニタも二人に飛びついていきました。お父さんとお母さんは、火事のときにヤケドを負いながらも何とか逃げることができ、その後も家のあった場所に戻ってはオニタをさがしていたのです。それを偶然、ポンキチが見つけて、つれてきてくれたのでした。
 さわぎを聞きつけて、家の中からおじいさんとおばあさんが出てきました。
「おじいさん、おばあさん、わたしたちの息子が大変お世話になりました。お礼に、この広い畑をわたしたちの手で生き返らせ、お米や野菜がもっとたくさんとれるようにしてあげましょう」
 オニタのお父さんのその言葉に、おじいさんとおばあさんは大喜びで答えました。
「なんとうれしいことでしょう。ところで、家が火事になったそうですが、今はどこに住んでいるのですか」
「森の大きな木の下で、葉っぱの中にもぐって寝ています」
「それは不自由な……。良かったら、私どもの家でいっしょに暮らしましょう。古くてぼろぼろだけれど、使っていない部屋はたくさんあるんです」
 こうして、五人は家族としていっしょに暮らすことになりました。オニタの両親は家を修理してきれいにし、広い畑を耕して、たくさんのお米や野菜をしゅうかくできるようにし、それを市場で売ることにしました。
 五人の生活はどんどん豊かになり、力仕事をしなくても良くなったおじいさんとおばあさんは、悪かった足や腰も治り、前よりも元気になりました。
 
 ある日、畑仕事の合間に、みんなそろって小川のそばでお昼ご飯を食べていると、オニタが、思いつめたように言いました。
「ぼく、家に火をつけた人間をさがし出して、あやまらせる」
 おじいさんとおばあさんは、心配そうに顔を見合わせました。お父さんとお母さんも、食べる手をとめて、だまってしまいました。
「まだ、しかえしをしたいの?」
 ポンキチがきくと、オニタは首を横に振りました。
「しかえしじゃないよ。悪いことをしたら、人間も鬼も、あやまらなくてはいけないんだ」
 その言葉を聞いたお母さんが、心配そうにこう言いました。
「だって、さがし出すって言ったって、一体どうやってさがすつもりなの?」
「今はまだ、よくわからない。でも、これからいろいろなことを勉強して、方法を考える」 
 おじいさんが、大きくうなずきました。
「そうだね、たしかにオニタの言うとおりだよ。人間も鬼も同じだ。悪いことをしたら、あやまらなくてはいけない。でも、悪い者にあやまらせるためには、自分自身が立派な良い大人にならなくてはいけないんだよ」
「ぼく、がんばるよ。立派な良い大人になって、ちゃんと正しい方法で、ぼくたちの土地を取り返す。それに、ぼくたちが人間に何かめいわくをかけていたのなら、そのことも反省して、鬼と人間が仲良くやっていけるように考えるよ」
 お父さんも、まじめな顔で言いました。
「人間にも鬼にも、悪い者もいれば良い者もいる。わたしは、それに気づかずに、人間はみんな悪いと思い込んでいた。だから人間をさけてきた。そのせいで理解し合うことができなかったんだと思う。これからは市場で野菜を売りながら、人間と仲良くできるように努力してみるよ」
 みんなにお茶のお代わりを注いでいたお母さんが、笑顔になりました。
「あら、わたしはもう、何人かのお得意さんと仲良くなったわよ。悪い人間よりも良い人間の方がずっと多いもの」
「オニタが大きくなるころには、人間も鬼も動物も、みんなで仲良く暮らせるようになるといいけれどね」
 おばあさんのその言葉に、おじいさんが力強く答えました。
「今にきっと、そういう世の中が来るよ」
 ポンキチが、おにぎりをほおばりながら、
「でも人間はずるくて、いじわるだからな」
と言うと、オニタが笑いました。
「じゃあ、うちのおばあさんは? おじいさんは?」
「そっか、そうだよね。人間もいろいろなんだよね。たぬきにも、いろいろなやつがいるのと同じだね」
 ポンキチのその言葉に、みんなが笑い声を上げました。
 二人の人間と三人の鬼と一匹のたぬきの笑い声は、高い空にどこまでもひびきわたりました。

Copyright(c): Nao Nakazato 著作:中里 奈央(ご遺族)

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中里 奈央(なかざと なお)
某大学哲学科卒業。「第4回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞受賞。「第1回日本児童文学新人賞」佳作入選。「第3回のぼりべつ鬼の童話コンテスト」奨励賞受賞。
自らのホームページ(カメママの部屋)を運営する傍ら、多くの文芸サイトに作品を発表。ネット小説配信サイト「かきっと!」では、有料メールマガジン「かきっと! ストーリーズ」の主力作家として活躍。平成15年10月17日、病気のため逝去。

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