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   『小鳥ちゃん』と、あなたは私を呼ぶ。私を見つめる優しい笑顔で、あなたがどんなに私を愛しているか、大切に思っているか、泣きたいほど伝わってくる。
 おいでと言いながら手を差し出されると、私の胸は喜びで溢れる。期待に震えながら抱かれるけど、でもあなたはいつも、触れるだけで壊れてしまうシャボン玉のように私を扱う。そっと私の体を包み込み、優しくキスしてくれるだけ。
 
 僕の可愛い小鳥ちゃん。昨夜おかしな夢を見たよ。だけど内容は教えられない。君が焼きもちを焼くに決まってるからね。大切な君の澄んだ瞳が、ほんの少しでも曇るのは見たくないからね。
 
 あなたはそう言って、からかうように笑うから、今度は私からあなたにキスをする。もっとあなたの中に入り込んで、もっとあなたを感じたいのに、あなたの優しさが邪魔をする。

 夢のことは知ってるのよ。女の人が出てきたのも解ってる。私とは違う大人の女性。あなたを誘い、惑わせ、何もかも忘れさせるほど魅力的な女性よね。私、彼女をよく知ってるの。
 昨夜の夢の中で、彼女はいきなり部屋に入ってきたでしょう。あなたはロッキングチェアでボードレールを読んでいた。彼女はそんなあなたの正面に立ち、ゆっくりとジャケットを脱いだわね。
 あなたは彼女の動きを視界の隅で見ながらも、興味なさそうな表情を崩さずに、本から顔を上げようとはしなかった。
 ジャケットの次はブラウス、スカート、そして……。
 柔らかで優雅な動き。自分の魅力を熟知している自信に溢れた微笑。
 彼女はあなたを見つめながら、無言で服を脱ぎ続けたわね。詩集をめくるあなたの手は微かに震え、頬は次第に紅潮してきた。
 全裸になった彼女はあなたのひざの上に乗り、『悪の華』を取り上げるとテーブルの上に置いた。何かを言おうとしたあなたのその言葉は、彼女の赤い唇にふさがれて、途中で消えてしまったわね。
 彼女の白い手があなたのシャツのボタンをはずした瞬間、あなたは突然、知的な紳士であることをやめた。上になっていた彼女の体を抱きしめて、互いの位置をくるりと変えると、彼女をロッキングチェアに押し付け、そして……。
 
 私は怖かったの。あんなあなたを初めて見たから。だから夢から逃げ出したの。そう、あれは私。可愛いだけの『小鳥ちゃん』ではなく、人間の大人の女性としてあなたと愛し合いたくて、夢の中に入り込んだの。
 でも私には無理なのね。怖いあなたは見たくない。優しいあなたに愛される可愛いだけの私でいいわ。だからこれからも、おとなしく待つ私でいようと思うの。小鳥ちゃんおいでと微笑みながら、あなたが手を差し伸べてくれるのを。かごの中で歌を歌いながら。

Copyright(c): Nao Nakazato 著作:中里 奈央(ご遺族)

*投稿競作サイト「あるテーマにまつわる短編集」の課題テーマ「夢で口説く(夢オチ禁止)」の参加作品。
*タイトルバックに「LCB.BRABD」の素材を使用させていただきました。
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中里 奈央(なかざと なお)
某大学哲学科卒業。「第4回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞受賞。「第1回日本児童文学新人賞」佳作入選。「第3回のぼりべつ鬼の童話コンテスト」奨励賞受賞。
自らのホームページ(カメママの部屋)を運営する傍ら、多くの文芸サイトに作品を発表。ネット小説配信サイト「かきっと!」では、有料メールマガジン「かきっと! ストーリーズ」の主力作家として活躍。平成15年10月17日、病気のため逝去。

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