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 準備はすっかり整った。
 目障りなものは浴室に運んだし、汚れた床も掃除した。
 用意されていたワインは上等だし、冷蔵庫にはシャンパンとビールも冷えている。
雅彦の好きなキース・ジャレットのCDもエンドレスにセットした。
 テーブルの上にはたくさんの料理。
 マッシュポテトで飾ったミートローフ、赤いリボンを結んだチキンレッグ、カラーピーマンの色も鮮やかなサラダ、生ハムのマリネにチーズの盛り合わせ……。
 味見はしていないけれど、彼女の料理の才能はかなりのものらしい。
 ゴールドのリボンと包装紙でラッピングされたプレゼントは、中身を見てから元通りにしておいた。
モスグリーンの手編みのセーター。
細かな編み目の一つに一つに、彼女の思いが、怨念のようにこもっている。
 渋いモスグリーンは、確かに雅彦に似合いそうだ。
似合いすぎて、一度身に着けたら最後、もう二度と脱ぐことはできそうもないほどに……。
 添えられていたカードには、たった一言『永遠の愛を』……。
まるで呪いの言葉だ。
 雅彦は今頃、時計を気にしながら仕事を片付けているに違いない。
犬のように忠実な、都合の良い女が自分を待っているはずなのだから。
 彼には、彼女の怖さが見えないのだろう。
一度男に取り付いたら最後、決して離れようとはしない女。私とは全然違うタイプ。
 仕事のできる華やかで才能のある女が好きだという雅彦の言葉は、決して嘘ではなかったと思う。
私たちはうまくいっていた。
週末だけの同棲は、お互いの負担にならず快適だった。
彼女が現れるまでは。
 図太い本性を隠し、受身のふりをしながら自分のペースに持っていくしたたかな女。
尽くすことでしか男に取り入る手段を持たず、じわじわと相手を追い詰めて行く重苦しい女。
善意を最大の武器として、男にぶら下がって生きる鈍い女。
 彼女に初めて会ったとき、何の冗談かしらと笑いそうになった。
こんな魅力のない女に、この私が負けるなんて……。
雅彦の気持ちが、こんな鈍重そうな女に揺れ動いたなんて……。
 私は私なりに雅彦を愛していた。
いつも新鮮で魅力的な最高の恋人でいるために、外面も内面も磨き、最善の努力を惜しまなかった。
そんな私に、雅彦はほんの少し、疲れたのかもしれない。
 テーブルの真ん中に置かれた大きなケーキは、雅彦を愛していた二人の女の合作というわけだ。
彼の驚く顔を想像すると、笑いが嘔吐のようにこみ上げてくる。
 彼女のせいで服が汚れてしまったけれど、着替えの用意がなかったので、以前は私が使っていたクローゼットを開けてみた。
 なんて地味なワードローブ。
サイズは私と同じだけれど、一体どんなおばさんが着るのかしらと疑ってしまうような無難な服ばかり。
 でも、着ていた服は紙袋に入れて持って帰るしかないので、適当に目に付いたベージュのワンピースを選んで借りた。
 質は良いけれど、流行には関係のないオーソドックスな形。
アクセサリーで変化をつけて、どこへ行くにもこれ一着で着回して、できるだけ長く持たせるつもりで買ったような服。
 コートを羽織ってしまえば、どうせ隠れるのだから、これでいいことにしよう。
 それにしても、たった一月の間に随分部屋の感じも変わってしまうものだ。
 私は、以前はシンプルで都会的だった部屋の中を見回した。
グレーのカーペットもブルーのカーテンも同じなのに、どこか生活臭が漂っているのは、私の大嫌いなカバーのせいだろう。
 クッションやソファーはもちろん、ドアのノブやティッシュの箱までが、いかにも手作りらしい野暮ったいカバーで被われているのだ。
 ふと彼女と目が合った。
信じられないとでも言うように大きく見開いた目が、私を見つめている。
顔立ち自体は悪くない。
きちんと化粧をすれば、美人と言ってもいいかもしれない。
 冷蔵庫からトマトケチャップを取り出し、彼女の青紫に変色した唇に塗ってあげた。これでずいぶん、生気を取り戻したように見える。
彼女も何となく嬉しそうだ。
 夕方ここに来たときは、こんな結果になるとは思っていなかった。
私を失ってしまったことを後悔しているはずの雅彦を部屋で待っていて驚かせ、やり直そうと言わせる、そのためにだけ私はここに来た。
あんな女とはすぐに別れたに違いないと思い込んでいた。
 なのに彼女は部屋の空気にすっかり溶け込んだ様子で、そこにいた。
まるで新婚の妻のように、料理をテーブルにセットしていた。
 お世辞にも素敵な女性とは言えないけれど、どこかに納得できるような部分があったなら、私は合鍵を返し、そのまま帰っただろう。
でも、少し話しただけで、彼女の人間性の卑屈な傲慢さが解った。
男には決して見せないはずのその傲慢さで、彼女はわざとらしい作り笑いを浮かべ、優越感を隠すふりを露骨に見せてこう言った。
「良かったら、私たちと一緒に食事しない? 一人きりのクリスマスイブなんて、寂しすぎるもの。お気の毒だわ」
 次の瞬間、私はキッチンの包丁を持ち出し、彼女を刺していた。
その場に崩れ落ちたエプロン姿の女の体は、特売の豚肉の塊のようだった。
首を切断するのは気味が悪かったけれど、彼女の包丁は驚くほど良く切れた。
 文化包丁と果物ナイフしかなかったキッチンには、出刃包丁や刺身包丁など、首を切断するにはちょうど良い刃物が何本もあった。
自分の首を切り落とす凶器になるとは考えもせずに、彼女は毎日熱心に包丁を研いでいたのだろう。
 骨を切るときだけはちょっと苦労したけれど、首の切断は意外に簡単だった。
そして、テーブルの真ん中に置かれたケーキの上に、切り離した頭部をのせた。
 ケーキの上に彼女の生首を置いて、二段重ねにするつもりだったのに、それは無理だった。
彼女の顔は、ケーキの中にあごまで埋まってしまったのだ。
今まで考えたこともなかったけれど、人間の頭部というのは重いものなのだ。
 くずれたデコレーションを直し、首が傾かないように周りに果物をたくさん飾って支えにし、何とかケーキらしく形を整えた。
 服を着替えてから、最後の仕上げとして、彼女が用意したらしい何本ものクリスマスキャンドルや、部屋のあちこちに飾ってあったアロマキャンドルを総てケーキの周りに並べ、火をつけた。
 部屋の明かりを消すと、微かに揺れるたくさんの小さな炎の中に、華やかなデコレーションをされた色白の顔が、ゆらゆらと浮かび上がった。
真っ赤な唇が男を誘うように濡れている。なんて素敵な演出だろう。
 私は、洗い物用の薄手のゴム手袋をはめたままで部屋の中を見回し、忘れ物がないことを確認した。
手袋をはめる前に触った物の指紋は拭き取ったけれど、細かな部分まで気にする必要はない。
つい一ヶ月前まで通っていた部屋に、指紋がたくさん残っていても不思議ではないから。
 それじゃね、大好きだった雅彦。
もう二度と来ないわ。
彼女の永遠の愛に閉じ込められて、窒息しないようにね。
 ドアをそっと閉め、鍵を掛けずに外へ出ると、手袋をはずしてバッグの中に入れた。
合鍵は、きれいに拭いてから彼女の指紋をつけてドレッサーの引き出しに入れたのだ。
一番安全な捨て場所だから。
 証拠は何も残していないし、アリバイなら簡単に用意できる。
私の言いなりになる男はいくらでもいるのだ。
 動機だってない。
私のように自分の才能や魅力を十分に発揮しながら生きている女が、男のことでつまらない殺人など犯すはずはないのだから。
 私はただ、以前付き合っていた男に、素敵なクリスマスプレゼントをあげただけ……。
 もうじき帰ってくるはずの雅彦の顔を想像しながら、こみ上げる笑いをかみ殺し、私は、イブの夜へと歩き始めた。


Copyright(c): Nao Nakazato 著作:中里 奈央(ご遺族)

*タイトルバックに「CoCo*」の素材を使用させていただきました。
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中里 奈央(なかざと なお)
某大学哲学科卒業。「第4回盲導犬サーブ記念文学賞」大賞受賞。「第1回日本児童文学新人賞」佳作入選。「第3回のぼりべつ鬼の童話コンテスト」奨励賞受賞。
自らのホームページ(カメママの部屋)を運営する傍ら、多くの文芸サイトに作品を発表。ネット小説配信サイト「かきっと!」では、有料メールマガジン「かきっと! ストーリーズ」の主力作家として活躍。平成15年10月17日、病気のため逝去。

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