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中里奈央 作品集
日時: 2004/03/17 01:01
名前: 赤川仁洋   <touzin@sannet.ne.jp>
参照: http://www.page.sannet.ne.jp/touzin/

中里奈央さんの作品を読まれた方は、よろしければ足跡を記してください。また、中里さんの思い出も歓迎します。みなさんの想いを、大切に保管させていただきます。
よろしくお願いします。
メンテ

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追悼文(EZ-magazine!に掲載) ( No.3 )
日時: 2004/02/27 22:21
名前:   <pl-h-otto@k2.dion.ne.jp>
参照: http://homepage.mac.com/hide51/index.html

              生死
              P
 彼女のことを友達と呼ぶのは不思議な気分だ。いっとう年の離れた友達
だし、もちろん年上でもある。最初に会った時、彼女の年はちょうど私の
倍だった。教わることが多かった。かなわないと感じることも度々あった。
 しかし友達と呼ばなければ怒られてしまうだろう。
 彼女はいつも私のことを友達と呼んでくれた。
 気の若い人で、若年寄の私と話の合うことが多かった。性格はだいぶ違
うな、と思っていたけれど。受け方のうまいところや人当たりのいいとこ
ろ、外向的なところ。話している時はそんな差を気にしたことはなかった
けれど。

 出会ったのはとあるサイトでだった。管理人と議論していた私を彼女が
見初めた……と、言うのだろうか。メールで、頭のいい人と友達になりた
いと彼女は言った。
 正直なところ意外な申し出だった。確かに、議論相手より自分の方が賢
いと感じる瞬間はあった。しかし基本的に私の特技は手の届かない事柄で
頭を悩ませることで、自分愚かだと思っていた。
 だから返答をしばらく保留した。
 その後、ちょっとしたトラブルで議論用の掲示板を閉じさせるようなこ
とがなければ本格的に交友を始めることもなかっただろう。
 彼女のサイトに遊びに行くようになって、メールでやりとりをして。交

友は夏の終わりから始まったはずだが、暮れにはもう親友のようだった。
 短期間で人と仲良くなるのは苦手なのだが、彼女はなぜか違った。
 彼女の、知恵の使い方をわきまえた賢さや人当たりのよさ、思ったこと
をやわらかくストレートに伝える話し方。そんな魅力の故だったか。それ
となく気遣っていただいたおかげか。
 気が合ったと、素直に思う。
 人当たりのよさの中に、彼女はきちんと爪を隠していた。受け流すので
なく受け止めるたちだった。どうしても表現を捨てられなかった。時々、
彼女の中に私に似た部分を発見することができた。

 彼女と私が場を共有したことはそれほど多くない。彼女のサイトでの語
らいを除けば、ちょっとしたコンテストに二人で作品を出してかき回して
みたことぐらい。
 彼女は彼女のペースで活動していたし、私には私の仕事があった。
 立場も違う。意見も違う。場もほとんど共有できなくて、それでも信頼
できた。いつでも尊敬することができた。
 密かに出会えた幸運に感謝していた。

 今、彼女を過去形で語らなければならないのはとても不条理なことだ。
 あなたが死んだことを理解できないぐらい、私は頭が悪いんですけどね。呼
びかけてみる。応えはない。

 訃報を聞いたのは出張先でだった。
 出勤前のメールチェック。
 前月から入院していた彼女が亡くなったという、それを伝えてくれたの
は別の友達だった。
 「まず見て」とメールに書かれたURL。
 彼女のサイトの掲示板につながっていた。
 娘さんの書き込みで、彼女が亡くなったことを知った。
 呆然としたまま出勤した。
 札幌にいるのでそちらに行きたい。連絡求むと娘さん宛にアドレスを付
記して書き込むことができたのは深夜だった。
 仕事はちょうど一番辛い時期を抜けたところだった。告別式に休みの日
程を合わせることができ、急行に乗った。
 礼服を買い、帰りの電車賃を抜いて香典に。
 何とか形だけ整えて彼女の骨と会った。
 私は少し怒っていた。
 そっちにモデムがあるっていうのか。
 どこでもいいからプロバイダーと契約して、早くネットに復帰して来い。
 モデムがないなら買ってくるから。
 くだらない文句で少しだけ気を落ち着けた。
 朝方見てきた掲示板の、書き込みの内容を話した。
 皆があなたを惜しんでいると伝えた。
 自分のことを、少し話した。
 写真の彼女は浴衣姿で、きれいに微笑んでいた。

 私のカバンには一冊の本が入っている。
 「テレーズ・ディスケィルウ」
 彼女の本棚からいただいてきた、形見だ。
 まだ読んでいない。
 読んでしまうと何かが終わってしまいそうで。
 それとも何かが始まるのか。
 読み出せずにいる。
 いくつかのサイトは更新の後も、まだ彼女のサイトへのリンクを消して
いない。
 
 カメママ/中里奈央さんは、私達の永久欠番だ。
メンテ
書き込み、ありがとうございます。 ( No.4 )
日時: 2004/03/17 00:58
名前: 赤川仁洋  <touzin@sannet.ne.jp>
参照: http://www.page.sannet.ne.jp/touzin/

鈴雪さん、大江さん、Pさん、心のこもったメッセージ、ありがとうございます。
レスが遅くなってしまって申し訳ありません。
たぶんみなさんそうなのでしょうが、いまだに冷静に、中里さんのことを回想することができません。
それだけ、中里さんの死は突然であり、残念な出来事でした。

Pさんには、今月号に掲載した「中里奈央の恋愛ファイル」の原稿を送っていただきました。
中里さんの人間観察の鋭さ、洞察力の確かさがよく現れている作品だと思います。
永久欠番……、「文華」ではまだまだレギュラーとして活躍していただくつもりです。
なんだか、新作のメールを送っていただけるような気がしてしまうのです。
メンテ
「深紅の闇に沈む」を読んで ( No.5 )
日時: 2004/03/18 22:28
名前: 高岡水平

今月号に赤川さんが書かれている「中里さんの思い出」を読み、第1回トライアングル掌編文学賞の選考委員をさせて頂いた者の一人として、ここへ書き込ませて頂くことにしました。「深紅の闇に沈む」は、文章の丁寧さという観点から言うと、確かにとても印象に残った作品でした。

「アルバイトの経験もなく、女と付き合ったこともなければ、友と呼べる者もいない。そんな世間的には普通のことが、彼には大きな違和感の塊なのだ」

という一節など、今でも強く印象に残っています。赤川さんが「中里さんの思い出」の中で引用している中里さんの文章の一つ一つが心に響きます。あのとき何気なく読んだが「深紅の闇に沈む」が、今になって少しずつ心に沁みてくるのが分かります。人の気持が文章を通して他の人間に伝わるというのは、こういうことなんでしょうね。中里さんのご冥福を心からお祈り致します。
メンテ
言葉 ( No.6 )
日時: 2004/03/20 22:08
名前: 露樹影莉  <eri2yuki@yahoo.co.jp>
参照: http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/7897/

中里さんが書く作品は、どれもがとてもしっかりしています。文章、というより言葉に奥行きがあります。

それは多分、中里さんのお人柄が、創作に真剣に取り組む姿勢が、言葉ににじみでているからだと思います。

赤川さんが書かれた「中里さんの思い出」で引用されていた中里さんのお言葉を読み、改めて創作に対する自分の姿勢を考え直しました。

生前、ほんのわずかな機会ではありましたが、中里さんと言葉を交わせたことが、本当に嬉しい。そして中里さんが文章を、言葉を、こうして遺してくださったことに、感謝しています。

「書く」ということ。
「作品を公表する」ということ。
「生きる」ということ。

胸に響きました。

中里さんのご冥福を、心よりお祈りしております。
メンテ
書き込み、ありがとうございます ( No.7 )
日時: 2005/09/13 23:35
名前: 赤川仁洋  <touzin@sannet.ne.jp>
参照: http://www.page.sannet.ne.jp/touzin/

高岡さん、露樹さん、中里さんへのあたたかいメッセージ、ありがとうございました。
また、わたしの追悼文に対するコメントも、感謝します。
中里さんの日記からの引用文が多くなりましたが、わたしが余計なことを書くよりも、その方が中里さんのことをよくわかっていただけると判断しました。
とくに、夢について書かれた文章は、何度読んでもズシリと胸に響いてきます。
それでも夢が諦められない人は、深い霧や闇の中でも、前に進むしかないのでしょうね。
メンテ
Re: 中里奈央 作品集 ( No.9 )
日時: 2005/02/11 12:44
名前: 総支配人

『ボタン』
少し怖かったです。最後の所でなく、「さりげなくつけた」所です。もしかして・・バレてないようで、バレてるのかも・・。
メンテ
カメママに贈る ( No.10 )
日時: 2005/02/25 22:06
名前: 舘 里々子

お久しぶりです。
仕事を変え住所もかえ、今は別天地で生きています。
やっとのこと、再びネットにつなげる状態になって、また戻ってきました。

私にとって、中里さんことカメママの作品は、今でも、ダイヤモンドみたいな眩しい存在です。
再読して、ため息が出ました。同時に、口悔しくなりました。新しい彼女の作品と、もう出会えることはないのだと思うと。そして、文学について、彼女と、語り合うことができなくなってしまったのだと思うと。

『いつかきっと見ておれ。そして、草葉の陰で悔しがるがいいわ。』
とにかくできの良い作品を、私たちの手で産み落としてやりましょう。そうして、カメママさんから受け取った思いを、後生に伝えるのです。
彼女は、ネットという希薄な人間関係のなかで、これほど強く、濃厚な、人間関係を築いたのです。ここに訪れる人の数が、それを証明しています。
やはり、すごいひとでした。

でも、ずるいですよ。
あなたは私のライバルだけど、目標でもあったのに。
置いてきぼりを食らわすなんて。




メンテ
感想、ありがとうございます。 ( No.11 )
日時: 2006/07/18 19:14
名前: 赤川仁洋  <touzin@sannet.ne.jp>
参照: http://www.page.sannet.ne.jp/touzin/

総支配人さん、舘里々子さん、書き込みありがとうございました。
中里さんが生きていたら、きっと暖かいレスを書かれたことだと思います。
中里作品を新しい読者に読んでもらうことが、現在の「文華」の目的でもあります。

舘さん、お久しぶりです。
いろいろと身辺に変化があったようですね。
中里さんの力量は多くの人が認めていますが、舘さんの潜在能力もたいへんなものがあります。
天国にいる中里さんが、悔しがるような作品を書いてください。
メンテ
初めまして ( No.12 )
日時: 2005/08/25 23:45
名前: 水月咲妃(みづきさき)  <saki_watage@yahoo.co.jp>
参照: http://members.tohoku-wind.org/h12/oyako/

しばらく前に「カメママ」さんの作品を愛読していた者です。
見られなくなってから、どうなさったのかと探していましたが、先程、偶然にこちらに辿り着きました。

まさか、急逝されていたとは思いもしませんでした。
ずっと、新作を楽しみにしながら探していたので…。

以前に読ませていただいたのは怖いというか、ドキッとする作品が多かったので、表紙に載っていた「小鳥」を読んで「こういった作品も描かれるんだ」と驚きました。
これから、少しずつ、全ての作品を読ませて頂きたいと思います。

また、物書きを志すものとして、彼女が天国から微笑んで下さるような作品を生み出せるように努力していきたいと思います。
メンテ
水月咲妃さま ( No.13 )
日時: 2005/08/28 00:49
名前: 赤川 仁洋
参照: http://www.page.sannet.ne.jp/touzin/

書き込み、ありがとうございました。
中里作品のファンとして、新作が読めないのはわたしも残念ですが、多彩な中里ワールドをじっくりと堪能してください。
作家志望の方にとっては、参考になることがたくさんあると思います。
読者に対しても、友人に向かっても、サービス精神を忘れない方でした。
メンテ

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