●NEXT (No.12)


彼女が生きていた頃の話ですが
彼女の夢枕には
もう一人の彼女がいつも立っていた様です
もう一人の彼女を見ようとすると
胸の辺りが深い暗闇で覆われていて
その闇の奥深くに目を凝らすと
更にもう一人の彼女がいるのです
恐ろしさの余り、彼女は枕に顔を埋めて
忘れるために眠りにつこうとする
と、目が覚めると云った夢をよく見ていた様です


生まれ無き者、形無き者を
零つまり霊と云います

生まれ有る者、形有る者を
命と云います
命ある者は位置を得る事が出来ます
位置とは即ち壱つまりは和(かず)となるのです


彼女の母親は孤独でした
彼女の父親は関取なのですが
それを公にする事が出来なかったので
未婚の母になる決心をしていたのです


日本では妊娠した際に様々な理由で
約25%の方が人工中絶を選択しています
法で定めた人工中絶が認められている期限は
22週未満までです

そして中絶を望まない者であっても
生存確率の低い23週に満たない内に
早産になりそうな気配があれば
諦めて貰うケースがある様なのです

彼女の母親もそう云ったケースの一員でした
22週に入った頃に破水してしまったのです
しかし彼女の母親は諦めませんでした
たった7日程度の差で
胎動と共に芽生えて来た母性愛を
諦めるわけがなかったのです

「私のお腹の中には命が芽生えているんです
 例え生まれる事が出来なくとも
 この中に命として生きているんです」

彼女の母親はそう医師に言いました

彼女は確かにお腹の中に居ました
そこに存在していました
自分の位置を持っていたのです


23週さえ過ぎる事が出来れば
例え早産であっても生存する確率は上がるのです
これさえ過ぎれば
出産後の生存率は70%、
後遺症が出ない確率は50%だと説明されました

そして彼女の母親は入院をしました
彼女の命を守り育む為に

人工羊水を注入したり、子宮口を閉じたり
胎児の心肺機能形成の為の点滴を打ったりしました

抗生物質やマグネゾールの副作用に悩まされてか
或いは病院の合わない枕のせいなのか
満足に眠る事も出来ない日々が続きました

しかしながら彼女の母親は
不安で眠れなかったわけではありません
その時期には不安になどなる
精神的な容量が無かったのです

彼女の母親の心理と云うか感情と云うか
もう、全神経をお腹の子を生かす為に使っていたのです

もしこれが運命や宿命だとするのなら
そう云った大きなモノにも負けない意志があったのです
それは土俵に上がる力士の様に
日々、コンセントレーションを高めて行ったのです

精神的にも肉体的にも予定すらしてない早い時期の
間近に控えた運命との闘いに
自ら集中力を高めていったのです

分娩台に上ってから
自分と闘っている様では勝ち目など無い程に
強大な力を持った運命が相手です

自らの命を賭けても得るものが大きい闘いでした
もしもこれを賭けと云うならば
失うものが何も無いのが勝ちなのです
勝者が全てを得る事が出来るのです
母子共に生き残らなくてはならないのです

そして、27週目になった頃に
彼女はこの世に生を受けました
だが、彼女の母親は本来の出産予定日を過ぎても
母親として何もしてあげる事も出来ませんでした

彼女は生命維持機の中でしか
生きる事が出来なかったのです
心臓に大きな障害があったからです

そこで医師はある提案をしました
ある非公式の手術を行って
彼女を通常生活が出来る体にすると云う提案です
それは彼女のクローンを作り出して
30週を迎えた頃に取り上げて
クローンの心臓を彼女に移植すると云うものです

彼女の母親は悩む時間が無かったのですが
その限られた時間の中で悩み貫いた挙句
その提案を承諾したのでした

悩む時間が多ければ多い程に彼女は成長して
クローンとの月齢が離れてしまうのです
ですので人道的な事など考えてはいられませんでした

しかも承諾するのなら
医療費は全額、病院が負担すると云うのです
経済的にも承諾するしか選択肢が無かったのです

そして彼女は2才の誕生日を
自宅で迎える事が出来ました
手術は無事成功しました

そして一方クローンはと云いますと
存在そのものを抹消されて
この世から完全に抹殺されました

彼女は心臓に特殊な装置を付けている事以外は
普通に生活を送っていました
異常に色々な場所に出掛けるなと口煩い母親を
鬱陶しいと思いながらも何も知らずに
普通に生活を送っていたのです


そんな彼女が真実を告げられたのは
高校に上がる頃でした

その頃は丁度、携帯電話の普及率が
飛躍的に延びていた頃でした
そして私がある鉄道会社に勤務していた頃でした

やはりその頃の話なのですが
医学的にも人道的にも
大きな波紋を呼んだ話題がありました

クローン医療についての話題でした
非公式にクローン医療が行われていると
ある病院関係者が内部告発をしたのです

その話題をメディアで見掛ける度に
彼女の心臓は不規則なビートを刻む
ハードロックのドラムの様に鼓動するのでした

そして彼女の鼓動が止まる日が来ました

一方、私はと申しますと
電車に身を投げて自殺をして地縛霊として
第二の人生と云いますか
正確に申せば霊人生を送っていました


彼女は携帯電話が原因による医療機器の誤作動で
心停止をしてしまい死んでしまいました

そして彼女は失って行く意識の中で
自分とは違う意識を見付けたのです

それは頭部損傷で脳を撒き散らして
それと共に消失してしまった私の記憶でした
私は事故で頭がマグナムでぶち抜いた様に破裂したので
脳の一部がどこかに無くなってしまい
霊となった今も思考力、記憶力に支障があるのです

霊となった私達には記憶を共有出来る能力があるので
彼女は私の記憶を自分の記憶に融合して
時々ですが私に私の記憶を見せてくれるのです

そして彼女の記憶も見せてくれる事もあります
今日も彼女の生い立ちをみせて貰っていました


私は彼女を密かに慕っていました
密かと云うのは間違いかもしれませんが
なぜならば言葉にこそしませんが
彼女と記憶を共有する事で全てを見せているからです

彼女は私に対して世話を焼くのが好きみたいです
理由はわかりませんが
彼女の心の中に、いや体の中で生きていた
もうひとりの彼女の命に対して
何も出来なかったからなのかな
と、思う事もあります

こうして色々なものを見せて貰ううちに
私の思考力は次第に回復して行くのでした
私は自分の居場所を見付けた様な気がして
とても幸せな気分になりました

人は結局は、自分の居場所を探して
生きているのかもしれません
居場所と云うのは物理的な場所と云う以上に
魂の居場所と云うものに近いかもしれません

自分を写す鏡を誰かに探しているのです
誰かの心を自分の心の眼で見た時に
そこに映るのが自分の心である事を望んでいるのです
そこに自分が映って居なかったり
他の誰かの姿が映っていたなら
そこは自分の居場所では無いと感じるのです


生きている間に自分の居場所を
見付けられた人はとても幸運です

それを見付ける事が出来なかった私は
地縛霊として土地に縛られている訳ですが
今はそうではありません

彼女の居る場所が自分の場所であり
生きている間に見付ける事が出来なかった
私の居場所だと思えるのです


でも彼女はどうなのだろう
彼女は何故この様な場所にいるのだろう
彼女を縛り付けているのは一体何なのだろうか
一人残った母親を心配してなのだろうか
それとも存在価値が単なる代用品であった
自分のクローンに対する負い目なのだろうか


或いは自分を殺した者に対する怨みなのだろうか


私は彼女の母親が気になって様子を見に行きました
思った程に落胆はしていない様にも見えましたが
何か罪悪感と云うか、後悔の言葉を漏らしていました

「私は、、、
 自分の子を救う為に、自分の子を殺して、、」

彼女の母親は肩の荷が下りたかの様な表情を浮かべながら
溜息を漏らす様に呟いて涙を流していました

そしてその直後
鬼の様にも羅刹の様にも阿修羅の様にも見える顔で
体中を自分の爪で掻き毟っていました

丁度その時TVのニュースで
彼女と同じ様に死んだ幼児の事が流れていました


誰もが自分の居場所を探して生きています
それは死んだ後も同じ事だと云えます
私は彼女と一緒に転生をして
新たに違う人生を歩みたいと思うのです

しかし、それは叶わぬ願いであったのです
彼女は一人で旅立ちました
私が自分の事は自分で出来るのを見届けて

彼女と私が転生するのなら
同じ世界に転生する事が出来ませんので
彼女なりの優しさだったのかもしれません
多くの罪を犯した私が
彼女と同じ世界に転生など出来る訳がないのです

けれど私は自分の居場所を失った気はしませんでした
なぜなら彼女が私の中に居るからです
側にいるよりも近い
私の中に居るからなのです

そして彼女が私の居場所だからなのです



私は転生する事も出来ずに
300年と云う長い時間を地縛霊として過ごしました

人間社会も大きく変化して
今では全ての人類が彼女と同じく
生命を維持する為に機械に頼る様になっていました

そして新しく生命を誕生させる事はせずに
クローン技術によって作った自分の体に
繰り返し自分の記憶を移し変える事により
永遠の命を手に入れていたのでした
永遠に若く生きる事が出来る様になったのです

同じく霊世界にも大きな変化がありました
以上の理由によって
新しく人間界に転生する事が出来なくなりました

そして地球環境の変化により
多くの種の生物が絶滅に至り
哺乳類や鳥類はもとより
魚類、両生類、昆虫類に至るまで
地球上で生存する事が出来なくなっていたのです

ですので、畜生道に落ちる事も出来ずに
地縛霊やら浮遊霊やら霊人口が溢れていたのでした

そして溢れすぎた霊達は新たな場所を探す為に
生活の場を宇宙に求めました
あまりにも多すぎる霊達は
互いの意識を融合する事を選びました
意識の集合体として一つになる事で
より多くの魂を遠くへ運べると考えたからです

意識の集合体となった霊達は
意識を集中する事によって
自らが住める星を探しました

そして10年の歳月を掛けて
ようやく住める場所を探したのです

更に意識を集中させた霊達は
その星へと旅立ちました
実体を持たない霊達は移動するのに
瞬く間も必要としないのです


一方、私はと申しますと
意識を融合する事を拒否して
今でも地縛霊を続けています
未来永劫続けて行くつもりです

彼女との想い出を
他の誰にも渡したく無かったのです
意識を融合して想い出を共有したく無かったのです
この想い出を胸に永遠にここに残るつもりです


未来永劫この場所で
記憶の中で地縛霊を続けて行くつもりです
彼女がくれた記憶の中で
彼女のいる記憶の中で

ここが私の居場所なのだから

 

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