●NEXT (No.17)


 私は今日、人間入り筒を二十三万円で購入した。これは普通の店では買えない非常にレアな一品である。ある教団関係者を通じて極秘に入手したのだ。日頃はどうしても人間というわけにはいかない。これは至って合法的に人間を飼育する方法でもある。筒の中の人間は行方不明後九年以上経過している者や死亡したとされている者もいるが、まさかこんな小さなガラスの筒に入っているとは誰も想像しない事であろう。もちろん消費期間は数日も無い。筒には数日分の酸素しか入っていないからだ。太く短く楽しむ品なのだ。
「まくらまくらまくらまくら……。」
 着古したよれよれの青い大きな縦じまの寝間着を来て、不安そうなこの男は幼子のように両手にしっかりと枕を持っていた。その涙目は一種の哀愁を私に喚起させる。
「23232323232323232323232323232323232323232323232323232323…。」
 ブツブツと唾を飛ばしながら自分の値段を呟いている。男の…おそらく大切であろう白い枕は既に皺々で、汗の水分で大いに湿り、修正不可能な茶色いシミまである。
「まくら…23…まくら…僕…23…まくら…消失。」
 男はそう言って涙を流し、頬を僅かに赤くして、赤子のように微笑んだ。この男、灰色の薄暗い螺旋階段の丁度、真ん中の地点にいる。裸足の足は赤く擦り切れて、一層この男を際立たせた存在にしている。
 私はこの気色悪い男を観察している。筒の中に鼠を入れて、どう動くのかと観察するのに近い。いや、人間なら一層、面白みが増す。
 私は目の前の小さな筒の中に綺麗に入れられた螺旋階段を眺めて笑みを漏らした。
「まくら…消失〜ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
 筒の中の男はそう叫んで枕を放り投げた。枕は螺旋階段の少し下の方に大した音も立てずにどてっと落ちた。男の手にはもう枕は無くなった。それから突如どうしようもない災害にでも遭ったかのように呆然と立ちつくし、暫らくした後、また思い立ったかのように顔を真っ赤にして泣き出した。
「まくら〜まくらが無いよぅ。えぐっ…えぐっ…。」
 私は思わずふき出してしまった。私は筒を親指と人差し指で軽く持ち、ちょいちょいと振ってやった。男は螺旋階段を転がり、枕に辿り着いた。男の両肘と両膝は階段を落ちた為に擦り切れてしまって、寝間着も皮膚もぼろぼろだ。しかし男は嬉しそうだ。
「まくらがあったよぅ!!」
 枕を大事そうに胸に抱きしめると再び螺旋階段を上り始めた。しかしこの男、二十三段毎に枕を投げては大泣きしている。二十三段上って、二十段落ちて、枕を見つけて、そしてまた二十三段上る。それの繰り返しだ。枕が無くなった男はそれなりに面白いが、何度も繰り返し見ていると男の単純さに飽きがくる。私は筒を逆さまにして、男を先に進ませてやろうと思った。すると男は必死で今居る場所にしがみ付こうとしているではないか。私は少し苛立った。私の予想以上に男がしぶとくへばり付いているからだ。私は渾身の力を込めて筒を振り下ろした。男は五段、更に七段と螺旋階段の終わりへと近づいてきた。もう少しだ…。
「2323…2323…やめてやめて…ゆらさないでぇぇぇ。」
 私は高揚した。男は確実に階段の終わりへと到達しようとしている。もっと…もっと…もっと振らなければ。私は夢中で筒を振った。絶叫と間の伸びた声とすすり泣き…。私はその声を大いに楽しんだ。そしてピタと声がしなくなったので、筒を机の上に置いて男の様子を見ることにした。
「…男が居ない。」
 私は螺旋階段の隅から隅へと目を走らせた。だが、男はいなかった。螺旋階段の所々には血液らしきものも付着しているというのに。
「…変だな。」
 筒をいくらみても男はいなかった。私は思い立ったかのように男の枕を探した。しかし筒の中には見つからなかった。
 トン…トン…。
「…うるさい。今忙しいんだ。後にしてくれ。」
 男はこの密閉された筒の中で消失した。これは一体、どんな秘密があるのだ?いや、物理的に密閉された空間からは外に出ることは出来ない。
 トン…トン…トントン。
「忙しい。後にしろ。」
 では、どうだ。もし、人知を超えた力が働いていたとすれば?男は異空間へ飛ばされた?それなら神隠しといったやつか?それとも完全に粒子になって、まだ筒の中に浮遊しているのか?うむ…考えれば考えるほどに奥深い筒だ。
 トントントントントントントントントントントントントントントントントン…。
「これだから使用人は嫌いなんだ。何度言ったらわか……。」
 肩から少し見えた赤い布切れに私は思考は停止し、無意識に得体の知れない恐怖を抱いていた。そして少しずつ耳にはあの声が聞こえてくる…。
「23…23…23…。」
「…お…お前は…。」
 赤く染まった枕を抱えて男は私と同じ大きさで立っていた。
「23…兄さん…ぼ、僕のこ、事…忘れちゃった?」
 私は震える体を制御できずにガクガクと震え続けていた。
「…このまくらね…。思い出せない?兄さん。」
 赤い枕を抱きしめて、男は無邪気に赤い血で染まった顔で微笑んだ。私はその男を凝視できずに目を逸らそうとした。けれどもすぐに男が赤い顔で覗き込んでくる。
「…兄さん…このまくらはね…僕と兄さんとの小さい時の思い出のまくらなんだ。」
 男のその言葉の後に私の視界は無くなった。男が私の顔に力ずくで枕を押し付けているからだ。あまりに強く押し付けられているので息が…私は足掻いた…しかし…枕は取れなかった…血と汗が入り混じった独特の匂いを吸い込み…薄れ行く意識の中で聞き取れた最後の音は…金切り声に近い声でその男が叫んだ言葉だった………。
「…僕を殺したまくらだよ!!!兄さん!!!」

 

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