●NEXT (No.19)


 ある日の病室で、医師が看護師に尋ねた。
「患者の容態は」
「はい。体温三六度五分、血圧一一〇の七六、脈拍六二、自発呼吸、意識ともにまだ回復しません」
看護師は患者の枕元で医師に答えた。患者は脳内出血を起こした五十代の女性で、医師たちの懸命の治療にもかかわらずほぼ植物状態だった。
「そうか。三時間前と変わりなしだな」
医師は看護師の報告を聞きながら患者の周りに並べられている脳波計や心電図計の画面を確かめた。でも、患者の脳波は消失したままで意識が回復する兆しは見られなかった。
 「容態はこのまま当面変わらないだろうから、先に持ち物を調べて身元を確かめてくれないか」
医師の言葉に看護師は驚いた。医師はもう「患者は植物状態だ」と見切りを付けてしまったようだった。
「ですが……」
「君の気持ちは分かるが、患者が意識を取り戻すのを待っていたらいつ家族に連絡できるか分からないぞ。患者の家族に連絡するためにも、患者の持ち物を調べてくれないか」
医師にそう言われて、看護師は納得できない思いを感じながらも患者の持ち物を調べ始めた。看護師に頼んだのは、「女性の荷物は女性に」というせめてもの医師の配慮のようだった。
 患者は病院に運び込まれたときハンドバックを持っていた。でも、中を調べても特別身元が分かるような物は見当たらなかった。
「身元が分かるような物は特にないようです」
持ち物を調べていた看護師がそう言って持ち物をハンドバックに戻そうとすると、医師が看護師に声を掛けた。
「ちょっと待ってくれ。それは宝くじじゃないか」
「そうですけど、それが何か」
「ちょっとその宝くじを見せてくれないか」
医師は看護師から宝くじを受け取ると、すぐに番号を確かめ始めた。
 「二三組の一三七一四〇……。間違いない、一等の当たりくじだ。一億円の当たりくじだ」
「『一億円』」
患者の前で不謹慎だと思っていた看護師も驚いてしまった。
「本当に一億円の当たりくじなんですか」
「ああ、私も同じ宝くじを買って抽選会を見ていたんだから間違いない」
言ってしまった後で反省している看護師と違って、医師は一億円の当たりくじに興奮しているようだった。
「ですが、患者の身元とは関係ないじゃないですか」
「確かに、身元とは関係ないが脳波計を見ていてくれないか」
医師は看護師に言い返すと、患者の枕元で患者に向かって大きな声で話し掛け始めた。
 「聞こえますか。あなたの宝くじが当たったんですよ。それも、一等一億円が当たったんですよ」
看護師があきれたことに、医師は患者に宝くじが当たったことを伝えようとしていた。
「先生、そんなことで患者の意識が回復するとでも思ってるんですか」
「良いから脳波計を見ていてくれないか」
医師は看護師に言われても気にしないで呼び掛け続けた。
「いいですか。あなたの身元が分からないままだと、一億円は国のものになっちゃうんですよ」
 当然のことながら、医師がいくら呼び掛けても患者の脳波は消失したままだった。看護師が見ている脳波計でも、呼び掛けへの反応は見られなかった。
「先生止めてください。そんなことをしたって患者の脳波は回復しません」
看護師が強引に呼び掛けを止めさせると、医師が看護師に言った。
「『一億円当たった』と聞いても反応がまったくないだなんて、明らかな植物状態の証拠だと思わないか」

 

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