●NEXT (No.21)


「ふぅ……」
私は、個室に入りズボンのチャックを下ろした時、思わずそんなため息をついていた。
よくよく考えて見れば、そこは今日初めて一人になれた空間だった。
「全く忙しいな。ゆっくり考える隙もありゃしない。」
今日も朝から仕事に追われ、一人で考える時間も無かった。
自分を取り戻せる場所がここなのか?そんな疑問を自分に問い掛けて思わず苦笑いした。そんなことを思った時、ジャケットの中の携帯電話が鳴った。
「やれやれ、こんな時でも一人にはさせてくれないか……」
忌々しさを感じながら、私は電話に出た。直属の部下の石田君からの電話だった。
「あっ、課長。今、大丈夫ですか?お姿が見えなかったので電話してしまったんですけど?」
「ああ、大丈夫だ。それよりどうした?」
私のいる場所を彼には気づかれない様に、彼に話しを続けさせた。
「前田クリエイトの佐藤様が今日の夕方に会えないかとの電話がありました。先日の広告の件ですね。コンセプトだけでも見てもらいたいとの事なんですが」
「そうか……それがあったな、だが今日は会えないと伝えてくれ。朝、言ったように今日の夕方から吉岡の通夜に出る。明日の本葬にも出る予定だから今日の夕方から明日に掛けて私宛のアポイントは全て断ってくれ。すまんが頼む。」
「わかりました。吉岡さんのお別れですものね。課長も大変ですね。お体には気をつけてください。それとですね、吉岡さんと言えば……」
「ん?吉岡がどうしたんだ?」
「いや、なんでもないです。ただ、変な話しを聞いたもので」
「変な話?おい、ちゃんと教えてくれよ。いったいどうしたんだ?」
「いや、実は吉岡さんが持っていたはずの顧客リストが無くなっているそうなんです。東京23区内の顧客データらしいんですが。バックアップさえも無くなってしまっているそうなんです。それでちょっと問題になってるらしいんですけど、もう吉岡さんには聞けませんし……」
「顧客データがない?PCに保存されているだろう?それもないのか?」
「データが全て消失してしまっているそうです。意図的なのか、偶然なのか」
「意図的ってなんだ!!吉岡がそんなことをする訳がないだろう!!」
私は思わず場所も考えずに大声を出してしまっていた。
「すいません。ただ、そんな噂が社内に広まっているもので」
「そうなのか。大声を出してすまなかった。…わかった、一体どうしたんだろうな?もうすぐ戻るからアポイントの事はよろしく頼む」
「わかりました。口が過ぎまして、すいません。それでは、アポイントの方は断っておきますので」
そう言うと、石田君は電話を切った。
吉岡の事で剥きになってしまう自分に驚いていた。
一昨日の夜、私と同期入社の吉岡 光男が心臓発作で亡くなった。
会社の資料室で一人残業をこなしていた時にその発作は起こったらしく、出社した社員が彼の死体を見つけた時は資料を枕に寝ているようだったと言う。まだ44才という若さだった。
吉岡と私は、この会社に同期として入ってからのライバルであり良き友人だった。厳しい不況で次々と同期の仲間がリストラされていく中、私と吉岡は着実に会社の出世という階段を登っていった。
お互いに膨大な仕事量をこなしながら。
あいつは良くこう言っていた。
「所詮、俺達は社会の中の歯車に過ぎない。だがな、その歯車も本当に大きくなればその一つに意味がありそして見逃せない存在になる。かけがえのないものになれるんだ。」
こうも言っていた。
「俺は決して会社人間じゃない。会社の為の自分ではなく、俺自身というオリジナルなんだ」
仕事を完璧にこなしながらもあいつは常に野望を抱いていた。そんなやつの姿を私は少しばかり嫉妬に近い視線で見ていたほどだ。
奴とはある意味、戦友だった。私も彼のような社会人になりたいと心の中でいつも思っていた。その吉岡が突然死んだ。あいつらしく、仕事場で突然倒れ、そして帰らぬ人となってしまった。戦死とも言えるだろう。
「本当に、見送るのは辛いな……」
今までの、奴との思い出をひとつひとつ振り返ると自然と涙が出ていた。
企業社会という歯車の中で、私達は精一杯に仕事をこなした。それが、お互いの誇りだった。少しでも大きな歯車になるように。かけがえのない歯車になるように。
それにしても……
「奴の持っていた顧客データが無くなっているというのはどう言う事だ?」
小さな疑問はシミのように私の頭の隅から離れなくなっていた。
奴は何かをしようとしていた?
そう言えば生前、奴からこんな話を聞いた。
「大きなプロジェクトを進めている。それはな、会社だけの事でもないんだ。」
会社だけの事ではないというのはどう言う事だ?
そんな疑問を感じながら、私はトイレを済ませた。
拭い切れない疑問が浮かんできて、同時に深い違和感が私を襲い始めていた。
なぜ、吉岡は一人会社に残り資料室などにいたのだろう?
いや、それより何故奴は突然会社内で死んでしまった?あんなに元気だったじゃないか?
心臓が悪かったなんて聞いたこともない。それなのにどうして?
奴の言っていた大きなプロジェクトとはなんだ? 会社だけの事ではないとはどう言う事だ?顧客データが消えてしまったのはどうしてだ?
いや、それだけじゃない。
「どうして吉岡は死んだ?」
奴は死んだのか?それとも こ ろ さ れ た ??
拭い切れない違和感は私の頭の中をぐるぐると回り始めている。
「何かがおかしい・・・」
そう、おかしい…私は見逃してしまっている何かがある。それはなんだ?
絶対に重大な事を忘れてしまっている。
大切な何かがあったはずだ。
大事な 何かが……
そう思った瞬間、扉の外から声が掛かった。その声が私にその答えを与えてくれた。
重大な答えを。
「お客さま、礼服の試着はお済みですか?サイズはどうですか?」
気がつくと私の横には、黒い葬祭用のスーツが掛けられていた。
「そうだった。私はトイレではなく試着室にいたのだ……」

 

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