●NEXT (No.32)



 朝起きれば自分の服に真っ赤な液体がついているのに気がついた。鼻血でも出したかな?
そう思った僕は洗面台に向かった。自分の顔を眺める。鼻血が出た形跡はなさそうだ。
なんなんだこれは? 服についている液体はそれなりの量があり赤く服を染め上げていた。
薄気味悪いなぁ。そんなことを考えながら時計を見ると出勤時間が迫っていたので僕はとりあえずスーツに着替えることにした。

 会社に行くのは憂鬱だった。どうせ営業成績のよくない僕はまた課長に怒られるのだろう。
給料泥棒と罵られたのは数え切れないほどだ。会社に入ってもう5年になるけれど一度も仕事を楽しいと思ったことが無い。
自分自身でもこんな内気で弱気な僕が営業に向いているとは思えなかった。
でも、そんな僕が会社に行っていられるのは斉藤さんがいるからだ。同じ職場の同僚の彼女は僕のことをいつも励ましてくれる。
もしかしたら僕に惚れてるのかな?
 会社で仕事が始まったとたん僕は課長に怒られた。
朝の朝礼で、今月のノルマを達成していないのは一人だけです。誰か分かってるよねー君だよ無能君。と言われたんだ。
何も皆の前で言うことないのに。特に斉藤さんの前で言うのは止めてほしかった、カッコ悪いじゃないか。
やっぱり僕はこの課長が嫌いだ。同僚だって好きじゃない皆僕のことを心の中ではバカにしているんだ。

 お昼に斉藤さんがコーヒーを入れてくれた。
「課長に言われたことなんて気にしないでね」
彼女はそう言って僕を励ましてくれた。大丈夫、そんなの気にしてないよ。
一緒にお昼食べようか?と誘おうかと思ったけど彼女は里見とか言う男の同僚に呼ばれて行ってしまった。
またアイツか。いっつも斉藤さんに付きまといやがって。斉藤さんは僕のことが好きなんだよ。
お前の出る幕なんて無い。それに気がついてないなんてまるでピエロだね。
「お前は弁当を食ってる暇があったら仕事でもしたらどうだ? え?」
突然後ろから声をかけてきた課長に弁当の上にコーヒーをぶっかけられた。
僕はキッと睨んでやったが課長は気にも留めずスタスタと立ち去ってしまった。
見てろ、いつか思い知らせてやる。
「ところで、今日は三浦君は来てないのかね?」
課長が自分の机で話している声が聞こえてきた。
「いや、それが朝から会社に来てないんです。連絡もしてるんですが繋がらなくて」
無断欠勤とはけしからんな。課長が渋い顔をして呟いた。
なんだ三浦の奴風邪でも引いたのか。ざまあみろ。普段僕をバカにしてるからそういう目にあうんだ。
 
 午後の仕事を憂鬱な気分のまま終えた。やっと終わった。まったく毎日が面白くない。
街中を歩いていく人、人、人、みんな邪魔だ。幸せそうな顔しやがって。そんなの幻想だって何で気づかないんだろ?
みんな自分に酔ってるんだね。僕みたいに客観的に社会を見れば社会なんて何にもいいところが無いって気づくだろうに。
それに気づけない皆は逆にお気楽でうらやましくなるね。そんな僕にもオアシスというものがある。斉藤さんだ。
彼女がいるから僕はこのくだらない社会で生活できているんだろうと思う。
 商店街を歩いていた時、視界に斉藤さんが映った。彼女も仕事帰りなんだろう。
一緒に帰ろうと彼女に近寄ろうとした時、隣にまたアイツがいるのに気がついた。
なんなんだアイツは。斉藤さんは僕のものなのに……調子に乗るなよ。
……でもなんなんですか。斉藤さん? その嬉しそうな顔は? 僕には見せてくれないその笑顔は?
斉藤さんは……僕のこと好きなんですよね?

 家についてテレビをつける。特に見たい番組があるわけじゃないけど、ただの習慣でつけてしまう。
今日はもう疲れた、さっさと風呂に入って寝よう。布団に入ってうとうとし始める。
TVではニュースが流れていた。僕はそれをうつろに聞きながら眠りに付いた。
『本日未明、三浦友康さん(28)の刺殺体が発見され……

 朝会社に遅刻してしまった。それもこれも朝また服に赤い液体が付いていたからだ。
また嫌味を言われるのかと憂鬱な気分で出社すると会社がざわざわと騒がしかった。
漏れ聞いた話によると、三浦の奴が誰かに殺されたらしい。
三浦の奴死んだのか。嫌な奴だったからな、殺したいと思ったこともある。
でも僕もそれぐらいで人を殺そうなんて思わない。そんなことで人生を捨てたくないからだ。
誰がやったのかわからないがぼくの代わりにやってくれたのは嬉しい。
 午前中の仕事が終わった。今日は久々に気が楽な仕事だった。
なにせ課長は三浦の葬式に出席しているから今日は仕事場にいないのだ。
課長がいないというだけでここまで気分が清清しくなるものなのか。
僕は何気なく辺りを見回してみた。斉藤さんが真っ青な顔をして俯いていた。
そんな彼女に他の女子社員が気づき声をかけていた。彼女は口に手を当て搾り出すように言った。
「里見君に連絡が付かないの……」
斉藤さんはただそれだけを繰り返していた。大丈夫よ。ちょっと風邪でお休みしてるだけよ、伊藤という同僚の女が彼女を励ますように言っていた。
どうして、あんな奴の心配をしているの? あんな奴がそんなに大切ですか? ……もしかして僕のことを好きじゃないんですか?斉藤さん。
……アイツがいるから僕のことを愛してくれないんですか? ……アイツなんで死んでしまえばいい。

 家に帰るとテレビをつけた。いつもと同じニュース番組。いつもこの時間に返ってくるんだから当たり前か。
何気なくそのニュース番組を見ていると、見慣れた景色が映し出された。なんだこれ? これ家の近所じゃないか。
『本日未明、里見貴一さん(25)が自宅で刺殺されているのが発見されました。里見さんは先日殺害された三浦友康さんと同じくナイフで全身をメッタ刺しに
されており、犯人も相当の返り血を浴びているものを思われます。警察は不審な男の目撃が無かったかなど聞き込み捜査を開始しました』
……なんだアイツも死んでるじゃないか。誰が殺ったのか知らないけれど邪魔者を消してくれるのはいいことだ。
僕は洗面所に向かい、朝脱ぎ捨てたままにしておいた赤い液体の付いたシャツを洗濯カゴから取り出すと洗濯機に放り込もうとする。
しかしいったい何なんだろう? この液体は?
カシャンという音と共に床に何か光るものが落ちた。どうやら内ポケットに入っていたらしい。
僕はそれを持ち上げるとしげしげと眺めた。僕がいつも護身用に持ち歩いているナイフだ。
ふと先ほどのニュースで流れていた言葉が頭によみがえった。――ナイフでメッタ刺しにされており。
確か三浦が死んだ日も、里見の奴が死んだ日も朝、服に赤い液体が付いていた。僕はナイフをいつも持ち歩いていて、アイツ等を憎んでいた。
もしかして僕が殺したって事だろうか?

 会社はまた騒がしくなっていた。この二日間で会社の人間が二人も死んだのだ、騒ぎにならないはずが無いか。
斉藤さんは会社を休んでいた。どうしたのだろう?
伊藤が可愛そうにねぇと話しているのが聞こえてきた、斉藤さん、里見さんと付き合っていたんでしょう?
何? 何を言ってるんだコイツは? 斉藤さんが僕以外の男と付き合うわけじゃないじゃないか! 僕の斉藤さんを汚すなよ。ムカツクなコイツ。
 仕事をしていても僕はまったく集中できなかった。まさか、自分が本当に殺したのか? その考えが頭から離れない。
そんな馬鹿な、いくらなんでも寝ている間に人を殺すなんて事があるだろうか?
そんなことはありえないはずだ。でも実際、僕が死んでほしいと思った人は次々死んでいってる。しかも朝には血のような液体の付いたシャツだ。
二人が死んだ日のことを思い出してみよう。三浦のときは確か朝起きたときいきなり血が付いていたんだ。
前日の夜……そうだ確か家で大量にお酒を飲んでいた気がする。でも駄目だその後の記憶が無い。昔から、酒や疲労がたまると記憶が残らないんだ。
里見のときもそうだ、あの時はいつも異常に疲れていて家に帰ってすぐ眠ったんだった。
やっぱり僕が犯人?

 ここ数日間、頭からそのことが離れない。僕が本当に犯人でいつ警察が乗り込んでくるかもしれないと思うとおちおち眠ることも出来なかった。
だから僕は何とか思い出そうとする。二人が死んだ日の夜のことを。そうだ! 僕はなんて馬鹿だったんだこんなことを忘れていただなんて。
僕は部屋の隅においてあったビデオカメラを取り出した。しばらく前に空き巣に入られたことがあって、防犯用にってカメラをセットして寝るようにしていたんだった。
ビデオテープを入れて再生する。そこには寝ている僕が映っていた。ずーっと二人が死んだ日のテープを早送りしてみたが僕はずっと眠ったままだった。
あははは、なんだよやっぱり僕のわけがないじゃんか。馬鹿馬鹿しい。これで枕を高くして眠れるよ。
でもするとなぜあの二人は僕が死んでほしいと思っただけで死んでしまったんだ? ただの偶然だろうか?
『呪いと言うものは本当に存在するんですよ。人を呪うだけで人だって殺せる。実際、そんな超能力みたいな物を持っている人もいるんです』
ちょうど流れてきたテレビの音声に僕は耳を疑った? 呪うだけで人が殺せる?
『たとえばこんな例があります、AさんはBさんを酷く憎んでいた。それでAさんは普段から呪いがかかるように強く念じていたんです。
するとですね、ある日BさんはAさんに殺されたんです。目撃証言もあって警察はすぐにAさんを逮捕に向かったんですが、Aさんは
犯行当日、犯行時間に友人と酒を飲んでいたのをたくさんの人間に目撃されていたんですよ。つまりAさんは強く念じることによってもう一人の自分を作り出し
犯行を行っていたんですね。それを終えればもう一人の自分は消える。まぁ仮の自分を作り出したって事ですね……』
馬鹿馬鹿しい、そんなことあるわけ無いじゃないか。呪いで人が殺せる? それなら罪に問われない? そんな都合のいい話があるもんか。
いいよ、やってみようじゃにないか。どうせ無理だとは思うけど。誰に呪いをかけよう?
そうだアイツにしよう、同僚の伊藤。アイツは僕の斉藤さんを汚したから。僕は伊藤を事を強く憎みながら眠りについた。

 はははははははははは。まさかまさか。本当にこんなことがおきるなんて。自分にこんな力があったなんて。
朝会社に行った時自分の耳を疑ったね、伊藤さんが階段から落ちて死んだなんて。
くっくっくコレが笑わずにいられるか。僕は念じて眠りにつくだけで、人を殺すことが出来るんだ。
しかも犯行を行うのは仮の自分、犯行を見られたとしても本当の僕は自分の部屋にいるんだ。まさに完全犯罪じゃないか。
こんな力を使わないのはもったいない。そうだな、今日はあのムカつく課長を殺してやるとするか。
あはははははははは。さぁ明日の朝が楽しみだ。

 気がつくと僕は金属バットを持って会社にいた。……これが仮の僕か。なぜか僕には分かった。
僕は自分の職場へと足を運んでいた。斉藤さん、今日は出社してきてるみたいだ。
「貴様何をしてるんだ! ココは会社だぞ、遅刻したうえにそんなもの持って来てどうしようというんだ!」
課長が僕を見て怒鳴り散らしている。くっくっく、怒鳴られるのがこんなに気分がいいのは初めてだ。
僕が罵られれば罵られるほど、後が楽しくなる。僕は課長の目の前に立った。
「この無能野郎! 貴様に払う給料なんぞビタ一文ッ…」
ゴツッという音と共に課長の頭に金属バットがめり込んだ。割と鈍い音がするんだな金属バットって。
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた課長は信じられないものを見るような目でこっちを見ている。
「き、貴様こんなことをしてっ」
やっとの思いで言葉を搾り出している目の前の男にもう一発金属バットで足を叩いてやった。
ひっと声を上げて、床をはいずって逃げる課長。くくはははは、醜い醜いよ課長! 
逃げる課長を後ろから歩いて追いかけながら一発一発思いを込めてバットを叩き込む。
周りの社員たちは突然のことに声も出ないらしく呆然と見つめていた。
部屋の角に課長を追い詰めた。さぁどうしてくれようか。
突然、一人の男が僕に向かって飛び掛ってきた。僕を止めようという魂胆だろうか?
僕は振り向きざまにバットでその男の頭を振りぬいた。男は吹き飛ばされぐったりと動かなくなった。
課長とは違い、アイツには加減をしていないから死んじゃったかな? まぁどうでもいい。
オフィスの中が騒然とした、斉藤さんが甲高い悲鳴を上げた。大丈夫だよ斉藤さん。僕は捕まらないから。僕は課長のほうに向き直った。
ひっひっひぃ課長が小さく悲鳴をあげる、イイ、なんてイイ顔をするんですか課長。すぐにでも殺したくなっちゃうじゃないですか。
「助けてくれ助けてくれ……」
おびえる課長に僕は話しかけた。
「23、この数字が何か分かりますか課長?」
課長は必死になって首を横に振る。やっぱり覚えてないんですね。
僕は忘れていませんよ?
「課長が斉藤さんの前で僕を罵った数です。よくも恥をかかせてくれましたね」
課長は僕の目の前で土下座していた。助けて助けて助けてごめん悪かった悪かった、ブツブツと呟いている。
僕はそんな課長を見てゆっくりとバットを振り落とした。
2回3回4回5回6回7回……
一心不乱に僕は叩き続けた。思い知れッ! 思い知れッ! 
はぁはぁと荒い息をついて僕がバットを止めた時課長はすでに虫の息で身動きすら取れていないようだった。
でもかろうじて意識が残っている。僕は課長に笑みを浮かべながら言った。
「次が23回目、課長が僕に恥をかかせた回数ですよ。ケケケ」
僕はそういうとバットを思い切り振り上げて課長の頭に振り下ろした。
グチャという嫌な音と共に頭が割れて中から脳漿が飛び散った。ケケケざまぁみろだ。
僕は眉毛より上の部分が金属バットによって消失している課長の顔を眺めて笑った。
僕はゆっくりと、斉藤さんのほうに近づいていった。ほら、今の僕かっこよく無かったですか?
惚れ直したでしょ? 知ってるんですよ斉藤さんが僕のことを愛してるって事は。
「こ、来ないで!」
嫌だなぁどうして逃げるんですか? あ、課長の血で汚れてるからか。ごめんなさい。
僕はそう言うと先ほど殴り倒した男のそばに行くと手に付いた血を男のスーツで拭う。
ほらコレで綺麗なった。僕は斉藤さんの目の前で手を開いて見せた。斉藤さんの顔が歪む。どうしてだろう? 気分でも悪いのかな?
「そこまでだ! おとなしくしろ!」
突然、部屋の入り口から大きな声が聞こえた、僕がそちらを振り向くと警官たちがなだれ込んでくるところだった。
誰かが警察に通報したらしい。無駄なことなのに。だって本当の僕は今自分の部屋にいるんだから。
僕は特に抵抗もせず警察に取り押さえられた。
「ケケケ。僕を逮捕したって無駄さ無駄。だって今の僕は仮の僕なんだから。本当の僕は今部屋で寝てるんだ。ケケケ。だからまた明日会おうね斉藤さん」
僕がそういうと斉藤さんがヒッと体をこわばらせた。
「ケケケ」
笑いが止まらない。コレで僕を捕まえたと思っている警察が滑稽で仕方が無かった。
「ケケケケケケケケ」

 部屋の隅でついていたテレビが一つのニュースを流していた。
『先日起こった会社員男性連続刺殺事件ですが、犯人は被害者の方が勤めていたところの清掃員で会社でお金を持ってそうな人物に目星をつけ盗みに入っていたようです。
殺害された男性二人は盗みに入っているところを見られたから殺害したと供述していることが分かりました……』

 

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