●NEXT (No.36)


 私の元へ送り主不明のメールが届いたのは失恋から3日後、私が一つの決断をした日だった。
 普通の精神状態なら送り主不明のメールなど絶対に開く事はなかったっと思うのだが、自分に取って始めての相手を失った事の絶望と寂しさは、自分が普通で居ることすら許さなかった。
「玖留美(くるみ)、元気出しなよ。」と書かれたそのメールは、一方的に私の事を励ました たった1行だけの内容のメールだった。
 このメールが友達からの物ならば私はきっと泣き崩れお礼の返信を書いたに違いない。所が見ず知らずの相手からのメール、しかも私の失恋の事を知ってる人など居ないはずなのに……「誰? あなたは誰?」そうパソコンのモニタに向かって問いかけていた。

「あなたは誰? 何故、私の事を励ましてくれるの? どうして失恋の事を知ってるの?」

 たった1行だけの返事を送信した。見ず知らずの相手に対してメールの返事を書く自分。動揺も有ったが、この不可解なメールの送り主が気になって仕方なかったのも事実だった。
 数秒後、私は目を疑った。「えっ! 今、送信したんだよ?」送信の為に押したキーボードのエンター・キーから手を放した瞬間の事だった。
「新着メッセージが1通あります」それは送信後に行う自動受信の応答メッセージだった。

「まだ23才じゃん、これからだって一杯恋愛できるって。」

 こう書かれた1行だけのメールが私の目の前にある。私は無我夢中で返事を書いた。何故なのかはわからないが とにかく必死だった。このメールの送り主は私の事をなにもかも知っている。「今までの事もこれからの事も……」そう思ったからに違いない。
 数分の出来事なのか数十分なのか、こうやって1行だけメールのやり取りが始まった。

「私の事、知ってるの? 名前は? 何故、励ましてくれるの? 」
「玖留美(くるみ)の事? 知ってるよ。名前? ミルクかな…… 何故って? 大切に思う人だから。」

 彼女(ミルク)からのメールは本当に心が安らぐものだった。
 
「私さぁ〜、彼が始めての人だったんだ。」言わなくて良い事、彼との思いでの事を1行ずつ書いてメールを送った。返事は常に冷静で優しかった。

「玖留美(くるみ)さぁ、今時始めての人とか関係無いと思うよ。幸せって違うと思うな! 」
「だって今でも彼と過ごしたベット、彼の匂いの残る枕、私 忘れられないよ。」
「けどね、これから もっと好きな人が出来るかもよ? 」

 彼女(ミルク)の対応が余りにも優しすぎたからなのか、それとも自分の彼女(ミルク)に対しての思いやりのなさなのか、精神状態が不安定だったからなのか…… 友達にも逆ギレした事などなかったの私のはずが……

「そんな事わかってるよ! 全然、私の事わかって無いじゃん! バカッ! 」

 ついつい怒り口調の返事を送ってしまった。今まで送信と同時に来ていた返事が来ない!? 優しく接してくれていた相手に私は何て事をしてしまったんだ! 何度も何度も後悔していた。

 新着メールが届いたのは それからどのくらい時間が過ぎてからの事だっただろう。

「少しか落ち着いた? 」

 そのメールは彼女(ミルク)からの何時もの優しい口調なものであった。なんだか嬉しくって嬉しくって涙が溢れ出るのを止める事が出来なかった。「ごめんね、ごめんね」と心の中で唱え涙を袖でぬぐい何時もの1行メールを送った。

「ごめんね。私言い過ぎだよね、ミルク優しいのに…… 」
「平気だよ、わかってる、そんな時って誰でもそうだよ。頑張ろう! 」
「ミルクは失恋した事ないの? 」
「一杯有るよ。けどね、辛さが有るから楽しい事や嬉しい事を感じる事が出来るんじゃない?」

こうやって彼女(ミルク)とのメールが何日も続いた…… 食事せずに何日も何日も1行メールを書き続けて居た。お腹も空かない、それどころか このメールを書いている時は今までに経験した事のない安らぎを感じ、自分が部屋の空気と同化し現実の世界から消滅して行くとさえ錯覚する事も有るぐらいだった。
 その錯覚は失恋した過去を捨てる事が出来るならば、過去を消し去る(自分消失)事が出来るならばと現実逃避が生み出した物だったのかもしれない。

「あのね、玖留美(くるみ)。もうサヨナラの時間だよ。」
「何で? まだ私の話を聞いてよ、側に居て欲しいのに」
「――じゃぁ何で? もっと自分を大事にしてくれなかったの? 私は玖留美(くるみ)事が大好きだったのに…… 」
「――私の事が好き! ミルクって誰なの…… 」

 心地よい空気が流れ窓からは優しい光が差し込める中、私は意識が少しずつ少しずつ薄れていく。真っ白なキーボードが赤く染まり、その赤の眩しさに何日にも感じてた時間が ほんの数十分の現実に引き戻す。リスト・カットそれが自分の決めた決断! 現実の世界だった。

――1行メール。それは人が生死をさ迷う時だけに経験出来る錯覚なのかもしれない。そして生きていれば幸せになれたはずの 自分からのメールだったのかも知れない……

 

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